得たもの。失ったもの。謙虚さを失えば、たいがい「すべて」を失う。


上記文抜粋
・・・・・・・・・・

朝のお勤めが終わったあと
和尚さんが

和尚さん:『今朝おつとめしてたら
すごく古い神さまが来られてな~』

古い神さま!?∑(゜ロ゜ノ)ノ

しのぶ:『古い神さまって・・・?』

和尚さん:『僕にもはっきりとは
分からないんやけど
たぶん地球が出来た時から
いらっしゃる古い上の方の
神さまやと思う』

しのぶ:『その神さまが来られたの?』

和尚さん:『うん。
それで昔の地球の事を教えて
下さったんやけど、"大昔の地球と今の
地球は全然違ってる"っておっしゃられて』

しのぶ:『うんうん』

和尚さん:『何億年、何十億年
前の地球は今と違って水がとても
良かったんですよって』

しのぶ:『お水?それって、昔の地球のお水は
綺麗だったけど、今は文明の発達に伴って
環境破壊とかで汚染されてしまってるって事?』

和尚さん:『もちろんそういうのも
あるんやけど、昔の地球の水って
病気を治す効果があったんやって~』

えぇ~っっ∑(゜ロ゜ノ)ノ

しのぶ:『ええ~!?昔の地球のお水は
飲んだだけで病気を治す
力があったの~??
すごーーい!!』

和尚さん:『僕も映像でちょっと
見せてもらったけど、確かに普通の
水とはちょっと違ってて
すごく綺麗な水なんやけど
泡がポコポコって湧きたってるような
そんな感じの水やったなあ』

昔の地球のお水に
病気を癒す力があったなんて~

神さまは昔は人間同士がお互いに
病気の治療ができるように
人類全てに神さまの種の治療の力を
与えて下さっていましたが

さらに地球のお水にも
病気を治す効果があったなんて。。。

(動物なんかはお互いに
手をかざしたりできないから
そのお水を飲んで病気を治したり
してたのかなあ・・・)

しのぶ:『神さまの種の事と言い
地球のお水の事といい
元々の太古の地球のシステムって
本当にすごいというか
便利な道具も何もないのに、ある意味
今よりもハイテクだったんだなあって思う。』

和尚さん:『そうやなあ。
昔は人類みんなが神さまの種を
授かっていて、治療も出来てたし
人同士がテレパシーで会話も
できてたらしいよ』

しのぶ:『え~っ・・・!?
以前から、宇宙の地球以外に
住んでる人達やあの世では
みんなテレパシーで会話してるって
神さまから教えて頂いているけど
地球人も昔はテレパシーの力があったの~?』

和尚さん:『そうだよって。
だから遠くに住んでいる人達とも
会話したりできてたんですよって』

しのぶ:『それって、今でいう
電話みたいだよね。。。
そのお力も神さまの種のように
取り上げられてしまったの・・・?』

和尚さん:『そうみたいやなあ^^;』

しのぶ:『人類は自分も含まれてるから
全然偉そうには言えないけれど
せっかく頂いていた力を取り上げられて
ばっかりなんだね・・・・(´;ω;`)』

なんてもったいない
人類・・・・

人類がどれだけやりたい放題
してしまったんだろうか。。。。

私が思いっきり肩を落として
うぉおお・・・・と苦悩していると

和尚さんが
クスッと笑いながら

和尚さん:『何か今神さまが
しのぶが、取り上げられてばっかり~って
ガックリしてるのをご覧になられて
はははって笑いながら
"治療の力とテレパシー以外にも
他にも色々と取り上げられた力が
ありますけどね"って
おっしゃられてるよ・・・^^;』

しのぶ:『えええ~!?(>_<)』

そんなぁ~・・・・

和尚さん:『人類は本当に色々なお力を
神さまから授かっていたみたいやで~。
それが神さまの怒りを買って
そのお力を取り上げられてしまったんやなあ。
そして、最終的には滅ぶっていう事を
今までの地球の歴史の中で何度も
繰り返してきてるらしい』

電気も水道もなく
病院もお医者さまもなかった
遠い遠い昔の地球。

きっと不便な事も
あったのだろうけど
きっと今よりもずっと
人同士がお互いに助け合っていて
心の距離ももっと近くて
平和な世界だったのだろうなあと

緑豊かで、人も動物も集まってくる
回復の泉みたいな水が湧き出ていて
そこを中心にしてみんなが集まって
平和に穏やかに暮らしていて

そんな太古の昔の地球に
見た事もないけれど
思いを馳せてしまった
古い神さまからのお話だったのでした

今世紀に入って神さまは
太古の昔に人類から失われたお力
"神さまの種"をもう一度
みんなに授けるという
大きな大きな使命を和尚さんに
与えられました。

これから必ず
必要になってくるから、と。

今は科学も医療も発展していて
治療の力やテレパシーが使えなくても
その代わりになるものはあって

でもその上で、もう一度
昔のような力が
必要になってくるということは

近い将来に何か
とてつもなく大きな問題が
人類に直面する事になるのでは
ないかと思いました。。。

それにしても・・・

取り上げられた他の
色々なお力って
一体どんなお力だったのか・・・

とっても気になる~!

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり

昔の地球のお水に
病気を癒す力があったなんて~

神さまは昔は人間同士がお互いに
病気の治療ができるように
人類全てに神さまの種の治療の力を
与えて下さっていましたが

さらに地球のお水にも
病気を治す効果があったなんて。。。

"治療の力とテレパシー以外にも
他にも色々と取り上げられた力が
ありますけどね"って

まあ、上記文抜粋

・・・・・・・・・・

朝のお勤めが終わったあと

和尚さんが

和尚さん:『今朝おつとめしてたら

すごく古い神さまが来られてな~』

古い神さま!?∑(゜ロ゜ノ)ノ

しのぶ:『古い神さまって・・・?』

和尚さん:『僕にもはっきりとは

分からないんやけど

たぶん地球が出来た時から

いらっしゃる古い上の方の

神さまやと思う』

しのぶ:『その神さまが来られたの?』

和尚さん:『うん。

それで昔の地球の事を教えて

下さったんやけど、"大昔の地球と今の

地球は全然違ってる"っておっしゃられて』

しのぶ:『うんうん』

和尚さん:『何億年、何十億年

前の地球は今と違って水がとても

良かったんですよって』

しのぶ:『お水?それって、昔の地球のお水は

綺麗だったけど、今は文明の発達に伴って

環境破壊とかで汚染されてしまってるって事?』

和尚さん:『もちろんそういうのも

あるんやけど、昔の地球の水って

病気を治す効果があったんやって~』

えぇ~っっ∑(゜ロ゜ノ)ノ

しのぶ:『ええ~!?昔の地球のお水は

飲んだだけで病気を治す

力があったの~??

すごーーい!!』

和尚さん:『僕も映像でちょっと

見せてもらったけど、確かに普通の

水とはちょっと違ってて

すごく綺麗な水なんやけど

泡がポコポコって湧きたってるような

そんな感じの水やったなあ』

昔の地球のお水に

病気を癒す力があったなんて~

神さまは昔は人間同士がお互いに

病気の治療ができるように

人類全てに神さまの種の治療の力を

与えて下さっていましたが

さらに地球のお水にも

病気を治す効果があったなんて。。。

(動物なんかはお互いに

手をかざしたりできないから

そのお水を飲んで病気を治したり

してたのかなあ・・・)

しのぶ:『神さまの種の事と言い

地球のお水の事といい

元々の太古の地球のシステムって

本当にすごいというか

便利な道具も何もないのに、ある意味

今よりもハイテクだったんだなあって思う。』

和尚さん:『そうやなあ。

昔は人類みんなが神さまの種を

授かっていて、治療も出来てたし

人同士がテレパシーで会話も

できてたらしいよ』

しのぶ:『え~っ・・・!?

以前から、宇宙の地球以外に

住んでる人達やあの世では

みんなテレパシーで会話してるって

神さまから教えて頂いているけど

地球人も昔はテレパシーの力があったの~?』

和尚さん:『そうだよって。

だから遠くに住んでいる人達とも

会話したりできてたんですよって』

しのぶ:『それって、今でいう

電話みたいだよね。。。

そのお力も神さまの種のように

取り上げられてしまったの・・・?』

和尚さん:『そうみたいやなあ^^;』

しのぶ:『人類は自分も含まれてるから

全然偉そうには言えないけれど

せっかく頂いていた力を取り上げられて

ばっかりなんだね・・・・(´;ω;`)』

なんてもったいない

人類・・・・

人類がどれだけやりたい放題

してしまったんだろうか。。。。

私が思いっきり肩を落として

うぉおお・・・・と苦悩していると

和尚さんが

クスッと笑いながら

和尚さん:『何か今神さまが

しのぶが、取り上げられてばっかり~って

ガックリしてるのをご覧になられて

はははって笑いながら

"治療の力とテレパシー以外にも

他にも色々と取り上げられた力が

ありますけどね"って

おっしゃられてるよ・・・^^;』

しのぶ:『えええ~!?(>_<)』

そんなぁ~・・・・

和尚さん:『人類は本当に色々なお力を

神さまから授かっていたみたいやで~。

それが神さまの怒りを買って

そのお力を取り上げられてしまったんやなあ。

そして、最終的には滅ぶっていう事を

今までの地球の歴史の中で何度も

繰り返してきてるらしい』

電気も水道もなく

病院もお医者さまもなかった

遠い遠い昔の地球。

きっと不便な事も

あったのだろうけど

きっと今よりもずっと

人同士がお互いに助け合っていて

心の距離ももっと近くて

平和な世界だったのだろうなあと

緑豊かで、人も動物も集まってくる

回復の泉みたいな水が湧き出ていて

そこを中心にしてみんなが集まって

平和に穏やかに暮らしていて

そんな太古の昔の地球に

見た事もないけれど

思いを馳せてしまった

古い神さまからのお話だったのでした

今世紀に入って神さまは

太古の昔に人類から失われたお力

"神さまの種"をもう一度

みんなに授けるという

大きな大きな使命を和尚さんに

与えられました。

これから必ず

必要になってくるから、と。

今は科学も医療も発展していて

治療の力やテレパシーが使えなくても

その代わりになるものはあって

でもその上で、もう一度

昔のような力が

必要になってくるということは

近い将来に何か

とてつもなく大きな問題が

人類に直面する事になるのでは

ないかと思いました。。。

それにしても・・・

取り上げられた他の

色々なお力って

一体どんなお力だったのか・・・

とっても気になる~!

・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・

抜粋終わり

>昔の地球のお水に

病気を癒す力があったなんて~

神さまは昔は人間同士がお互いに
病気の治療ができるように
人類全てに神さまの種の治療の力を
与えて下さっていましたが

さらに地球のお水にも
病気を治す効果があったなんて。。。

"治療の力とテレパシー以外にも
他にも色々と取り上げられた力が
ありますけどね"って

まあ、レイキとかあるし。

まあ、治療力は失ったが、医学は得て、能力の無いものでも、それなりに「治る」ことができる。

でも、本当は、失わなかった治療力と医学を合わせ持てた可能性も有る。

医療に関したら「レイキ」などその名残だろう。

水が治す・・あり得ない話ではない。

こちらの感受性と、水の力が合致したら、治療されていることも多々あっただろうし。

得たものの大きさで、実は「失ったもの」が見えなくなってしまった。

それが本当の「喪失」であるのだろうね。

のぶみさんが「とりあえず、否定せずに聞いてみる」ってのは、本当に大切と思う。

ちなみに私は、オカルトとか神秘は「?」で断定はしないけど、真摯に事実を、話を、聴いて受け入れるのは、肯定します。

より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・・

(まっとうな)知識人は、自分の立場が危うくなるような場合でも、勇気をもって多数派の意見に反対する。似非知識人は、異端を嘲笑しながらも、その分野の"最も信頼できる権威"に従順に従う

・・・・・中略・・・・・・

懐疑論

真の意味での懐疑論は古代ギリシャに端を発し、知識の絶対確実性は不可能であるという立場を表している。言い換えれば、絶対的な疑念と絶対的な確実性の両方の概念を否定するものである。

もっと簡単に言えば、懐疑主義とは確実性を疑うことである。しかし、懐疑論者と称する人の中には、自分自身の世界観を確信したまま、それに代わる見解にのみ"懐疑"を向ける人があまりにも多い。これは疑似懐疑主義であり、懐疑主義の真の哲学的定義を明らかに堕落させている。この優れたリンクは、様々な形で擬似懐疑主義を暴くことに焦点を当てている:懐疑論者について懐疑的な

この言葉が今日使われるとき、私たちは一般的に、新しい考えや理論を支持するために経験的証拠を要求する、批判的思考による懐疑主義を思い浮かべる。科学的懐疑主義とも呼ばれるこの現代的な多様性には実際的な利点がある一方で、批判を受ける可能性もあり、問題を引き起こすこともある。

「哲学とは、言語という手段によって我々の知性を惑わすもの(幻惑)との戦いである」
ウィトゲンシュタイン

・・・・・・・・中略・・・・・・


知識人は問うべき正しい質問を探し、似非知識人は正しい答えだと主張するものを与える。

知識人は明らかに、真理に対する無関心な愛に突き動かされている。一方、似非知識人は、自分が正しいかどうかにかかわらず、正しいこと、あるいは正しいと思われることに関心がある。

知識人は、自分が知らないことの方が知っていることよりもはるかに大きいことを進んで認める。似非知識人は、対象について知りうる限りのことを知っていると主張する。

知識人は、敵対する人物に対して、できる限り良い事例を述べる。似非知識人は、優位に立つように見せるために、わら人形を用意し、それを死ぬまで叩く。

知識人は人間の理性の限界を深く常に意識している。似非知識人は理性を神格化し、理性の入り込めない領域にまで押し込もうとする。

知識人は、アイデアは人を選ばず、思いもよらない場所で、思いもよらない人々からもたらされるものであることを認識しながら、あらゆる情報源から光を探し求める。似非知識人は、専門家やスペシャリスト、公認の権威からしかアイデアを受け入れない。

知識人は、自分が真実かもしれないと期待する仮説を提唱し、似非知識人は、自分が真実だと主張する教義を提唱する。

知識人は、対立するものが常に矛盾しているわけではなく、実際に互いに補強し合っている可能性があることを認識する。似非知識人は、白か黒か、正しいか間違っているかで絵を描き、反対の視点が入る余地はない。

知識人は人間の問いに最終的な答えなどないことを知っている。似非知識人は、仮の暫定的な答えのひとつひとつを、最終的な答えのように聞こえるようにする。

知識人は、自分の立場が危うくなるような場合でも、勇気をもって多数派の意見に反対する。似非知識人は、異端を嘲笑しながらも、その分野の"最も信頼できる権威"に従順に従う。

知識人は聴衆を見下すような言い方は決してせず、できるだけ明瞭であろうとする。似非知識人は、聴衆を煙にまき、印象づけるために、聴衆の上に立って話をする。

「科学においては、何千もの意見の重みは、一人の人間の中にある小さな理性の輝きほどには価値がない」
ガリレオ・ガリレイ

「真理の発見をより効果的に妨げているのは、物事が見せる偽りの姿であり、誤謬へと惑わすものであって、推理力の弱さによる直接的なものではなく、先入観や偏見によるものである」
アーサー・ショーペンハウアー

・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり

知への、現実への、敬虔さ・真摯さが、あれば、もしかしたら、治療力とかテレパシーは失われなかったかもしれない。

それでもダメであっても、
少なくと「似非知識人」のようになり、あからさまな事実や一目瞭然なことを見失い、自分や他者を損ね続けて失い続けるような、今の無様な人間のありようから離脱でき、
安寧な世界を失わなかったと、私は思う・・・・。

お読みくださりありがとうございます。

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