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仮説で




もしかして、毒親や、虐待した親や親族を、「供養」するのにも有効かもしれない。

どのみちDVや虐待をする親・毒親など「地獄が住処」で、好き放題するに決まっている。

なら「不動尊」の力で、奴らを極楽浄土で地獄の責め苦よりも苦しい「修行」を毒親亡者に為さしめてもらい、奴が正気に戻って、生きている人間の邪魔を防ぐのが肝心と思う。

極楽で救われるのが、憎い!ってのは、わかる。

でも地獄で好き放題されるよりもマシ。
であるし、復讐する場所を「地獄」から「極楽」に移しただけで、問題は無いし、毒親など極楽でも簡単に成仏できないので、さんざんに不動尊にしごかれて何度も死ぬのは必定だし。
想念上でも「地獄」で復讐すると、こちらの身にも危険があるかもしれないが、あっちで復讐しても最後は阿弥陀さんが、復讐したこちらも含めて浄化してくれるので、より良いはずです。


まあ、仮説ですが、大間違いではないはずです。

心理学・精神医学で、想念上で、毒親・虐待した相手を問い詰めて謝罪させて、それで一応最後は許す・・てメソッドが時々見かけます。

問い詰めて糾弾するでは済まない恨みでは、限界があるし、あとで自分で許すのも、下手したら難しい人も多いと思います。

でも、この妄想法は、復讐を執行するのは不動尊~ついでに矯正~だし、浄化は、こちらも含めて阿弥陀さんがしてくれる
自分で無理に許さんでも、「自分とついでに加害者を浄化する」・・で、一応取り繕って、間接的な許しから出来る

てなんとなく、考えてみました。


今の日本は、戦争の傷とそれを放置した戦後日本で心が深く病んだことと、それで虐待の傷が大きいです。


真っ当な信仰は、死滅しかけです。


このような詭計めいた方法でもしないと、本当に難しい「毒親・DV加害者への許しなり浄化」ができない気がします。

私のこのような危機感は、甘いのでしょうか。
それとも「無理にでも許せ」って言い、
出来もしないことを強要するのが、果たして「救い」なり「治療」なのでしょうか。


南無大聖不動明王


波切不動尊 高野山南院のレプリカ


南無阿弥陀仏


阿弥陀如来 神戸太山寺



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