改竄だらけの天皇と日本・・・偽りから卒業できないと、、、日本人はこの世から卒業~死滅だな。


より

上記文抜粋
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記紀には、なぜ二人のハツクニシラスがいるのか?不比等は何を伝えたかったのか?

記紀の両方にある、二人のハツクニシラス。

初代 カムヤマトイワヒコ(神武) と 第10代 ミマキイリヒコ イニエ(崇神)。

  これは、前者は「ヤマト」の「イワレ」が列島に入ったことを国家の起源とし、
  後者は、 現実に、日本列島で、大陸型の統治(支配)が始まったこと を意味する。

  この事実の歴史年代を 如何に隠すか? さらに、自分の権威の確立に繋げるか?

  これが、壬申の乱を体験した不比等が 物語をまとめるにあたって腐心したこと。
    
  そのために、列島で体験した「事実」に関し、スピリチュアルと地球外からの関与を合わせ、
  神様界の物語を創作して交え、この二つの事実とユーラシアで実査にあった政治興亡を
  いかに引き離すか、この工夫がなされた。

  なぜ、それが必要か?  
  鎌足・不比等は、列島発の部族の出身ではなく、後発の外来で、ウマヤドの死後、
  さらに、白村江の敗戦後に、列島で大王になった中大兄に認められて、列島に自分たちの、
  永続的な「権威」の確立を目指すために、物語(ナラティブ)の必要性を感じ制作したため。

さらに、日本列島で、「国譲り」神話のもとになる、事実上の「大政変」が紀元後3世紀にあった。  
その意味と事実を巧妙に隠し続けるために、神様界から人間世界界への降臨という形で、
列島での「権威」を作った。

これは、まず 古事記では 稗田阿礼の口伝を踏まえながら、宇宙開闢の物語を語りだし、
その起源の主役を アメノミナカヌシとした。
日本列島に誕生した、中華皇帝も認める王権の威光についてはそ範囲を限定し、その物語として、日本書紀を描いた。
その物語の中では、始まりは 国常立 となった。

さらに、ここには、天皇の権威の元となるウマヤドに関することが書かれ、壬申の乱の勝者 大海人(天武)の妻の
ウノノササラが、その孫とされる人物に 譲位するまでを書いた。
 

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抜粋終わり

聖徳太子が「太子」だから、「天皇」に「国民を守る責務」が、その「権威」の条件に付かなかった・・とか思ったりする。

ようするに「天皇」は、開闢以来「日本人」にとっては、「寄生虫」だったのだよね。それもとても「奇麗」で大量に血を吸う寄生虫だ。

歴史の改竄は、「天皇」の開闢からの天皇家の伝統芸能だよ。


より

上記文抜粋
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 長らくブログを放置しており、申し訳ございません。今月末(2024年3月末)に拙著『江戸の憲法構想 ー日本近代史の"イフ"』(作品社)が刊行されます。前回の松平忠固の本を出したのが2020年でしたので、ずいぶん長くかかってしまいました。江戸文化研究者の田中優子先生が本のすばらしい推薦文を書いてくださいました。

推薦:前法政大学総長・田中優子
「日本を、江戸時代からやり直したくなる。いや、やり直さなければならない。
強くそう思わせる、驚くべき著書だ。現代日本を見ていて「何かおかしい」と感じ続けている。近代と戦後日本は、もっと別の可能性があったはずだ。なぜ日本の近代は天皇制となり、その結果、あのような戦争に突入して行ったのか?戦後になったというのに、なぜ藩閥政治のような考え方が今でも世襲的に繰り返されているのだろう? なぜマルクス主義者たちは国粋主義者と一緒になって江戸時代を否定したがるのか? これらは明治維新のもたらしたものではないのか?
本書は、それらの謎を解く、新たな入り口を開けてくれた。発想の転換だけではなく、価値観の転換を迫られる」 

 今回の本で論じたことの目玉はだいたい以下のようになります。(他にも多くのことを論じています)

(1)江戸末の慶応年間に現れた憲法構想を紹介することを通して、天皇を神格化する王政復古体制とは別の、天皇の象徴的地位を維持する、より穏健な近代化の途があったこと、江戸の憲法構想は決して単純な西洋思想の模倣ではなかったことを論証する。
(2)戦前の皇国史観、戦後の講座派マルクス主義史観、司馬史観などが、本質的に連続しているものであることを論証し、それらすべてを批判する。マルクス本人も批判する。
(3)折しもNHKで「映像の20世紀 バタフライエフェクト」を放送しているが、「バタフライ史観」を全面に出した歴史叙述を行う。バタフライ史観の源流として、エピクロスとルクレティウスの哲学を評価する。
(4)丸山眞男は、江戸を支配した朱子学が解体され、国学的思惟が日本を近代化したと論じたが、むしろ江戸の朱子学は近代的立憲政体や天賦人権論や普遍的な国家平等意識と親和的であったのであり、神話史観を強制した国学は、日本を近代から遠ざけたことを論証する。
(5)右派は西洋的な人権概念は個人主義的な価値観を押し付けて、日本の「国体」を否定したと批判するが、明治時代に「創造」された「国体」こそが、日本の伝統から乖離していたこと、江戸の儒教的伝統に基づく内発的な人権概念は、より人間の個性を尊重するものであったことを論証する。

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抜粋終わり

戦前の皇国史観、戦後の講座派マルクス主義史観、司馬史観などが、本質的に連続しているものであることを論証し、それらすべてを批判する。

明治以降は、保守もリベラルも、「売国奴」であるってことは間違いない。

右派は西洋的な人権概念は個人主義的な価値観を押し付けて、日本の「国体」を否定したと批判するが、明治時代に「創造」された「国体」こそが、日本の伝統から乖離していたこと、江戸の儒教的伝統に基づく内発的な人権概念は、より人間の個性を尊重するものであったことを論証する。

考えりゃ、明治維新になって「保守」などという思想は、死滅した。

国体=天皇=売国奴なんだからな。

なんせ聖徳太子のころから「天皇」は日本人に責務を背負うわけでなく、明治になりそれはより明確になり、それを実践したのが昭和天皇である。戦争責任を背負わない・・・てことが、「天皇にとって日本人は餌か奴隷」ってことだからね。

天皇を信じて日本人は死滅しましょう

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みの富む社会になりますように。

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