25歳 男 ADHD (6歳~10歳)大人への 軽い対人恐怖症

第二編に入りました。
前編は、記憶が曖昧であまり深い内容を書けなかったです。
すみません😭
こっからわたくしのADHDを徐々に発揮していきます!
では!!いっきまーーす!!

6歳(小学校入学)

東京 大田区の小学校に入学します。
私が住んでいた社宅に同級生が2人いました。
2人を紹介します。
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・A君                         ・B君      
ゲーマー                   ゲーマー
ガキ大将           ラガーマン
サッカー      サッカー-
いじめっ子     足速い
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ぶっちゃけあまり仲良くありませんでした。
当時は家が近いという理由だけで、よく遊んでました。
A君とB君は、ゲームが好きでふたりで楽しんでおり
私は、マイペースで多動症のためゲームをずっと家でやること
ができませんでした。
今になってわかった面白い話ですが、小学校の席順って名前順ですよね
私の後ろの席の女の子がセクシー女優に14年後なっておりました。(笑)
人生なにが起こるかわかりませんね!!

7歳 趣味との出会い

小学2年生ですね!!
ここで、人生の趣味に出会います。
それは野球です
近くに住んでいた友達に誘われます。
その友達は親友になります。
野球を通して色々な人と出会い、色々な場所に行くことができました。
最初の思い出は、ボールを投げれない、バット重いという感覚でした。
でも、なんか楽しかった。友達といっしょに何かやるってことが初めてだったので新鮮だったんだと思います。

8歳 勉強やらされる

公文(学習塾)に入らされます
毎朝勉強させられましたが、いい経験になりました。
勉強習慣が身についたと思います。
好きなことに没頭できるADHDであったため、野球も毎日練習したおかげで
チームのエースピッチャーになることができました。
冬にはスノーボードやったりと楽しかったです。

9歳 エースピッチャーに

結構順風満帆な感じな題名、ストーリーになっていますが、
ここで壁にぶち当たります。
まず、中学受験のための塾に入塾させられます。
難易度が上がったこともあり、勉強が一気に面白くなくなります。
全国テストでも下位ランクを争っていました。
そして、勉強を逃げ出し野球をやろうとするが…….
エースピッチャーになり、チームが昭和の野球チーム
暴言・暴力は当たり前でありました(今でもトラウマです)
エラーやファーボールのたびに、殴られていました。
そこから、怒られるのが怖くなり、言われたことを受け流す癖がついてしまったと思います。

10歳 野球が怖くなる

小学5年生、チームのエースピッチャーとして背番号1を渡されます。
ですが、暴力・暴言が怖くなり突如ピッチングがうまくできなくなります。
ボールのコントロールがうまくできず、ストライクが入らず、試合にならなくなり、殴られるの繰り返しで野球が嫌になります。
やめなかったのは、野球とチームメイトが好きだったからです。
そのときから、人の話を聞けなかったり、じっとしてられなかったりとADHDの症状はでており、よくコーチに怒られてました。



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