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25歳 男 15歳~20歳 野球・学校・成人・海外・借金

はじめに

夏の酷暑も過ぎ去り、段々と秋に近づいてきたこの頃です。
私の最近は、昔の友人と会う機会が増えてきたように感じます。
まず、謝りたいのですが、10歳~15歳編を飛ばしてしまいました。


15歳 高校受験(志望校選び・勉強)

高校受験の年になり、私は高校野球の強い高校でやりたい希望がありました。
野球推薦で1校、地元の私立高校からオファーがありましたが断り、高校受験することになりました。
志望校選びには悩みました。分厚い塾の高校の紹介本を読んでました。(四季報みたいなやつ)(笑)
ちょうど、母親の勤め先の同僚の息子が某大学付属 男子校に入っており紹介され、野球も強いこともあり、なんといったって大学付属イコール大学受験しなくていいという安直な考えで志望校を決めました。
ですが、その志望校の偏差値と現時点での偏差値が大きく離れていました。
そのため、平日は塾で22時まで勉強、週末は図書館で勉強しておりました。
その塾でも、ADHDの特徴かもしれませんが集団授業にはついていけませんでした。 授業中にわからないことがあるとずーーと考えてしまい、置いてけぼりになります。
お金はかかりますが、個別塾は合っていました。
勉強はできない方でした。

15歳 中学野球引退

私は、中学野球の恩師と出会えたことで人生が変わりました。
この恩師に出会えたおかげで高校野球まで本気でやろうと思えました。
なぜなら、高いレベル、意識で野球を考えることを教えていただきました。今でも感謝しております。
そして、関東大会まで出場することができ、引退することになりました。
ここでもADHDを発揮した体験として、練習場まで、自転車で片道45分かかるチームに一人で入部して最後までやり遂げたことです。
このチームには、中学1年生の夏に移籍してきました。移籍した理由としてはもっと高いレベルのチームでやりたかったからです。
ADHDは自分のやりたいこと、叶えたいことに対して貪欲にできると思います。ピュアな気持ちを素直にやることができる当たり前だけど、難しいと思います。 
この経験から、色々な人々と接するいい経験をさせていただきました。

高校受験 入試

第一志望の人のみ、学校の評定が基準を満たしていれば試験を受けました(一般入試前の推薦入試みたいなやつ)
結果は、落ちました。
ですが、諦めずに一般入試を受験して、合格することができました。

16歳 高校入学・高校野球 高1

入学式で、男子校の洗礼を浴びます。
廊下をパンツイッチョウで走り回るやつ などなど
新鮮でしょうがなかったです。
共学と違い、男子校だったので女子の目を気にせずに青春を過ごしたのは
楽しかったけど、何かを失ったと思います。(笑)
そして、高校野球が始まります。
活動日が週7日
学校がある日は授業終わりに16時~21時まで練習 
週末・祝日は 朝9時~18時迄 試合or練習
今思い出すだけでも、嫌になります。
入部最初に練習は、外周をするのですが、めちゃめちゃきつかったです。
ここで人数が少なくなっていきます。
高校1年目は、練習して、練習試合に出るので終わりました。

17歳  初の海外へ・先輩引退 高2

高校野球の生活にも慣れてきたこと、後輩が入ってきて、先輩としての振る舞いや指導したこと。(体罰とかやってません・めっちゃ仲良かったです・後輩と将来のこと話したり、ラーメン食べに連れていってました)
結構充実した生活をしていました。
ただ、野球では、自分を表現することが苦手でした(今でも苦手)
野球はチームスポーツのため監督に出場選手を選んでもらうことが重要です。
長男なのか、かわいがられることは本当にできない性格です。
で、修学旅行で海外に行きます。
ハワイに行きまして、世界の広さを感じた17歳でした。
真珠湾攻撃の現地に行き、弾丸が貫通した跡が残っている基地を見学したり
アラモアナショッピングセンターで買い物したりといい思い出ばかりです。
男しかいませんでしたが(泣)
海外の人々・文化に興味を持ち始めたきっかけを頂きました。
英会話がなにも出来なかったことを今でも覚えています

18歳 野球引退 

夏の甲子園に向けて最後の追い込みをしていた4月頃に鬼コーチが異動することになりました。
私はBチーム(二軍)の選手だったため、Bチーム監督をしている鬼コーチの異動は嬉しくもあり(キツイ練習から解放される)、寂しさもありました。鬼コーチは、とても厳しく、よく怒られていましたが熱血漢で、自主練では遅くまでご指導いただきました。(感謝です)
いなくなってわかることもあり、普段叱ってくれる人のありがたみが本当に身に沁みて感じました。
最後までAチームに入ることもなく、スタンドから応援することになります。 チームはベスト8で敗退して引退することになります。
よく高校野球で負けて泣いている光景をみると思いますが、私は泣きませんでした。
正直、野球を10年やってきて集団行動が嫌になることがあり、野球に飽きている自分がいました。
負けて、やっと自由な時間がある。 今まで野球ばっかりだったため色々なことに挑戦したいなど、そんな考えから泣きませんでした。

18歳 進路決定

大学付属高校だったので、エスカレーターで大学に入学することになりました。
文学部に入りたかったのですが落ちまして、第三希望の商学部に入学することになりました。
正直、将来についてもっと真剣に考えるべきでした。
勉強が苦手なら、手に職をつける道など
今からでも遅くないとは思いますが、やっぱり挑戦するなら若いうちのほうがいいと思います。
また、ADHDの特性をこのころわかっていたら、もっと色々な対処ができたと思います。

19歳 大学入学・社会生活でADHDの特性

高校が男子校だったため、共学は中学校以来 
女子と喋ったり、遊んだりするのは本当に楽しかったです。
ですが、人見知りから女子と話すことが苦手だったなぁー(笑)
高校時代ずーーと野球をやっていた反動で、アルバイトだったり、旅行が楽しかったです。
初めてのアルバイトは、コンビニでした。本当にポンコツでした。コンビニのアルバイト店員っていっても業務が多くて(レジ打ち、メルカリ等の発送、ホットスナック補充、商品の補充、陳列)マルチタスクが苦手なADHDには無理でしたね(笑)
ですが、社会を知るいい経験をさせていただきました。コンビニって普段、なにげなく使ってるけどこんなにたくさんの人のおかげで成り立っているのを知りました。
また、海外に行った際に思ったんですけど、日本のコンビニ、マジですごい(弁当・おにぎりがうまい、商品陳列がきれい、照明・店内がきれい)
日本のすごさだと思うな
もちろん海外の良さもあると思う。海外はなんかラフな感じね
ADHDの良さってラフさだったり、万人が発想しない考えができるとこだと思うからいい感じにミックスするといいなぁーってね(笑)

20歳 大学二年生 投資案件に誘われ・借金する

20歳 成人式です。
楽しかったです(笑)
20歳は大人の仲間入りということで、色々な誘惑が押し寄せます。
これまでの大きな失敗なのですが、大学のサークルの先輩に投資案件(マルチ商法)に誘われます。
誘われ方は、飲み会で100万円の札束を見せられ、俺は普通とは違う的なことを言われ(社長になる)
まぁー若かった私は、真に受けてしまい、為替チャートを予測できる50万円のUSBを購入して投資を始めます。
最初に50万円がないため、消費者金融で借金します。
また、投資する元手がないため、友人を紹介して、紹介料で5万円を稼ぐために友人に営業をかけます。
結局、7人を紹介します。(計35万円)
地獄の学生生活の始まりです。

21歳~25歳編に続く



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