電車の線路 最近、鉄道関係のことで、いろいろ問題が起きてるが、今回の話は、あくまでも昭和の時代の事なので。 子供の頃、電車が、ストライキで全線停まったことが、記憶する限り三回あった。 で、どうするかというと、線路を歩くのである。滅多に歩けるものではない。 これは、すさまじく楽しかった。とことんおもしろかった。線路の上を歩けるのである。 線路の上は、歩きにくい。まず、当たり前だが、線路がある。そして、たくさんの石が敷き詰められている。 どこを歩いても、歩きづらかっ
団地のウワサ 団地というのは、広いようでいて、狭い世界である。 号棟数は多く、人も多いが、たいがい団地中央のストアや商店街で買物し、同じ建物に住み似たようなモノを食べる。顔見知りは、やたらと多く、至るところで、世間話をしている。 団地内というのは、ウワサが広がるのが早かった。ネットなんてない時代でも、アッという間に、口コミで広がる。 学級委員Rが、朝、病院に寄ってから学校に行った。あらかじめ届け出た二時間の遅刻である。知ってるのは、親と先生だけなのに、学校帰り、すで
宿題 小学四年、五年、六年とクラス替えがなかった。そして、担任の先生も変わらなかった。 K先生は、あまり宿題は出さなかった。いつもジャージを着て、宿題を出さない、そんなところも含め、「熱中時代」の北野先生みたいだ、と後年言われた。いい先生だったのである。 そんなK先生が、ある時、結構な量の宿題を出した。何年生だか忘れたが、夏休みの宿題だった。 どうしてこうなったかと言うと、明確な理由があったのだが、その明確な理由を、完全に忘れている。 そして、夏休みになった。何を
思い出徒然 四 子供時代、海水浴に行った記憶があるのを思い出した。 その海は汚かった。実に透明度がない。あんな汚い海に、よく入ったな、と思う。神奈川のどこかである。 海に潜っていた。一応、水中メガネは付けていた。とはいえ、汚い海なので、水の中は、ほとんど見えない。バチパチパチと左腕に針が何本も刺さったような感触があった。かなり痛い。 海から体を出して、腕を見た。赤くなっている。クラゲの仕業だった。手首から肘にかけて、ドワーッと刺されている。ますます痛くなる。その後、
海の教会 そこがどこなのか、まるでわからない。覚えていなかった。多分、横浜か川崎か、そのへんの海だと思う。 工業地帯のような所、という気がする。 海の真横に教会があった。柵て囲まれている。柵の向こうは、海である。海の向こうには、煙突とかあったような、記憶がある。 小さい教会だった。屋根の上には、十字架があった。 その教会の横は、芝生で、大きな木があった。芝以外にも、クローバーとか、生えている。 その木が、なんだったのか、多分、楠の木と思うが、ともかく、立派な樹だ
夜の団地 子供時代、なぜかあまり夏の記憶というのを、思い出さなかったのだが、最近、じょじょに甦ってきた。 そして、夏の記憶は、夜が多かった。 冬は寒かった。昭和の冬は、大変寒く、夜なんぞは出歩く気にはならなかった。しかし、夏は、当たり前だが、暖かい季節は、問題がない。 夜、外出するに関して、親は特に文句は言わなかった。たいがい団地内なら比較的安全だし、行く所も想像がつく。 塾の先生のとこ行って聞いてくる、とか、山岡(女学級委員)の所で勉強のこと聞いてくる、とか、な
幻のデパート デパートというほどの、オオゲサなモノではないのだが、一応、その店の本体はデパートなので、こういう書き方をした。 なんで幻かというと、人にこの話をしても、覚えていない奴が、多いからで、いやホントにみんな忘れていて、なので、自分まで、本当にあったのだろうか?と思いたくなるレベルの事だった。 団地の中を流れる川。いつも遊んでる川。この川を、東側に向かって行くと、別の自治体になり、マンション群がある。 その北側の坂の上は、高級住宅街であった。 マンション群と
においの記憶 嗅覚の記憶は、ほかより千倍あるという。なんかの本で読んだ。 子供の頃から、においには結構、敏感だった。 団地の匂いというのは、明確に明瞭に覚えている。ドアを開けた途端、感じるにおいがある。あれはなんのにおいなのか、今もってよくわからないが、においが強い家、弱い家とあっても、どこのウチでも同じニオイなので、団地の材質の問題だろうと思う。 鉄筋コンクリートだけでなく、なんかいろいろあるだろうから、そんなのの混ざったモノではないか?似た匂いに、味噌汁がある。
緑のピクニック 団地は植物だらけだった。よって緑が多かった。 夏の芝生を思い出した。芝が高い。密生している。ここを自転車で走ると、タイヤが重く、大変走りづらかった。ときにはタイヤが芝生にからむ。 しかし、歩くのは、楽しかった。芝生の緑の中に足が埋まり、なんとなくそれが愉快だった。 昔も今も、なぜか、緑を見ると安らぐ。その中で生活できないか?とこの歳になっても思う。 そういうことを言ってる奴は、ほかにもいて、よってピクニックをしよう、ということになった。小五か小六の
怪我の夜 小学何年の時か、理由を完全に忘れたが、三村夏子(仮名)とケンカした。 「何よ。しおりちゃんに頭上がんないクセに。全部聞いてるんだからね」 しおりちゃんとは女学級委員山岡のことである。これはムカついた。当たってるだけに、腹が立った。いわゆる図星というやつである。 「バーカ」三村は捨てゼリフを吐くと去って行った。 どうしてくれよう。本気で思った。 三村は少林寺拳法をやっている。戦ったらコッチが負ける。友達のキーちゃんに、理由は言わずに、三村腹立つよな、と言った
学食 学食によく行っていたときは、昭和であった。 メニューは豊富だった(この時代では)。定食、スパゲッティ、チャーハン、ラーメン、うどん、蕎麦、カレーなど結構あった。うまくもないし、落ち着かないし、騒々しいのに、どうしたわけか、案外覚えている。 学食で一番食べたのは、カレーである。カレーが大好きというわけてはない。一番の理由は、運ぶのが楽だから、というもの。定食は、お盆が大きいのである。なんかひっくり返しそうで、席に着くまで怖くて仕方なかった。人がたくさんいる中を、大
大予言 ノストラダムスの大予言のことである。 ーーー1999年七の月、空から恐怖の大王が降りてくるーーー これを知った時は、小学校何年の時か、多分、六年生のときと思う。驚いて軽いパニックに陥った。 恐怖の大王が、なんだかわからないが、要するに、1999年に人類は滅ぶのである。 だが、そのうち冷静になってきた。その時、1975年頃である。まだ、二十年以上ある。充分、生きられるではないか。果たして、その頃、自分は何をやっているのだろうか?だいたい生きてるか、どうかもわ
大阪の女 いつも行く団地の公園である。小四か小五か、そのへんの時だと思う。 何人か、いつものメンバーがいた。誰だったか、よく覚えていない。ところが、知らない女が一人いた。黒縁メガネをかけた髪の長い女の子が、ベンチに座っていた。 「こんにちは」そのコが、思いきり大阪訛で言った。 この時、自分が大阪弁というものを知っていたのか知らないのか、定かではない。記憶としては、ないのだが、テレビとかで関西漫才師など見ていたから、多少の知識はあっただろう。 誰かがこのコを紹介する。
夜の捜索 夕食後、電話がかかってきた。八時を過ぎていた。学級委員R(仮名)からだった。 クラスメイトの日村達史(仮名)が、行方不明だという。そこで、みんなで捜すので、来てくれないか?というものであった。 夏休み、暑い季節だった。自治会長の高橋さんが、招集をかけた。クラスメイト高橋の母親である。高橋さんは「あたしの名前出しな」で、ほぼなんでも解決してしまうスゴい方であった。 この時、警察もいたのか、その辺のことは覚えていない。 団地中央グラウンドに集まった。みんなな
冬の夜の悪知恵と警官 多分、小学五年生だったと思う。 なんかイヤなことがあって、夜、家を出た。真冬である。シャツの上にセーターを着ただけの服装だった。 おそらく、何かして、怒られる可能性でもあったのだろう。そのへんは覚えていない。 お気に入りのミニカーを一つ持って出た。 とはいえ、小学生に、夜行く場所などない。友達の家なんかに行くと、連絡があり、すぐバレる。 なので、とりあえず、団地の中をブラブラした。大変、寒かった。 見つからない場所はどこか?と考え、広い駐
病院徒然 子供の頃から実に病院にはよく行った。頭も悪いし体も悪い。まさに箸にも棒にも、というやつである。 昭和の病院は、開業医の話だが、家と一緒という所が多かった。少なくとも、自分の回りでは、そういう感じだった。 学級委員Rがいつも行っていた病院の話は、少し驚いた。ウチの号棟と学級委員Rの家は、同じ団地とはいえ、少し離れていた。 よって、よく行く内科医院も違っていた。その病院は、保険証をいつも預かっていたという。病院に行って、受付で名前を言うと、受付のおばさんが箱に