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警察人生_機動隊編

警察には色々な機動隊の組織がある
県機動隊、管区機動隊が主力部隊
所轄の警察署にも機動隊がある
予備役みたいな
普段は警察署の署員として業務をおこなっている
有事の際、出動するのだ
私は40歳くらいまで隊員をしていた
現在、出動はあまりないようだが、私の時代には多い時に月1回は出動していた
昭和天皇の警衛が多かった
陛下は国内移動に列車を使うので、鉄道沿線を警戒するのだ
というのも、当時まだ中核派、革マル派などの極左暴力集団が活動しており、時限発火装置なるもので鉄道沿線に攻撃をしていた
特に、新幹線の警衛は怖かった
新幹線の軌道内に立ち入るのだ
時限発火装置などの爆発物が仕掛けられていないか検索するのだ
実際にゲリラ事件も起きた
新幹線は時速300キロメートルで走行する
「あ、来たな」
と思った瞬間、目の前だ
風圧がすごい
どこかに掴まっていないと巻き込まれるのだ
雨の日、検索に入った
私の担当区域内にトンネルがあった
カッパを着て視界も悪かった
トンネル内に入る時は生きた心地がしない
列車が来たらと考えるだけでも恐ろしい
JR東海からはすぐ退避所に逃げ込めと言われていた
数メートルおきにあるが、素早く行動しないといけない
トンネル内は新幹線が接近するのは割りとわかった
退避所に逃げ、ジッとする
ものすごい風圧と騒音、壁にしがみつく、耳が痛かった、死ぬかと思った
嫌な商売だ、あらためて感じた

災害警備にも出動した
当時、伊豆半島で群発地震が多かった
伊東沖で海底火山が噴火しそうだとの情報が入って来た
私の分隊は噴火予想地点の直近に配置となった
住民は全員避難、私たちだけしかいない
任務は監視活動だった、噴火したら無線で速報するのだ
現在であれば遠隔操作の定点カメラを設置すれば、人はいらない
当時はなかった
イスラエル製の暗視機能付きの双眼鏡を与えられ、海面を観察する日々が始まった
任務内容は現地で聞いた
署を出発する時、署長が見送ってくれた
分隊長は餞別をもらっていた
警備課長から食べ物や飲み物がたくさん差し入れられた
いつもそんなことはない
おかしいと思い、分隊長を問いただしたが、現地に行ってから話すとしか言わない
分隊長は現地で
「非常に危険な任務だ、海底火山の
 直近に行く、噴火すると水蒸気爆
 発し火山弾が時速300キロメート
 ルで飛んで来る、陸地であれば上
 から落ちて来るが、海だとバスケ
 ットボールの大きさの火山弾が水
 平に飛んで来るらしい」
と言った
私は分隊長に
「飛んで来たら逃げられない?死ぬ
 ということですか?」
と聞いた
分隊長は
「だから、現地に着いたら避難方法 
 をまず考える、避難方法が取れな
 い場合は、上に言うから心配する
 な」
と言った
幸い、海辺の傍にコンクリート製の車庫を見つけ、その前で監視することになった
噴火したら、直ちに車庫に逃げ込み
裏から建物内に避難するという段取りをたてた
分隊長や幹部は行く前から危険を承知していたのだ
身ごもの妻がいた、逃げたかった
分隊長以下9名、3人ずつ3班に分けた
任務を監視、待機、休憩の3つにし
ローテーションすることになった
そんな生活が数日続いた
やがて噴火のおそれがなくなり、任務解除になった
どっと、疲れた、帰りの車の中で爆睡した

オウム真理教の事件にも出動した
地下鉄サリン事件が発生し、麻原を逮捕するため、警視庁と静岡県警が共同して山梨の上九一色村にあった教団本部に踏み込むことになった 
何のまいぶれもなく、急きょ集められた
200名近くの機動隊員が集まった
警備課長から
「これから教団本部に踏み込むが、
 教団側はサリンの手榴弾を投てき
 して抵抗する、また、自動小銃で
 武装しているとの情報を得ている
 未確認情報であるが、状況は深刻
 だ
 自衛隊から急ぎ防護服を調達した
 が、10着しかない
 防塵マスクは用意した、今回は各
 自、拳銃を携帯するように、
 極秘捜査であるので家族に言うな
 すぐ出発する、明朝突入だ、健闘
 を祈る」
と指示を受けた
誰も一言も発しない
管機バスに乗せられ、出発した
バスの中はお通夜だった
家族の顔が浮かんだ、生きて帰れないかも、子供達の顔をひと目見て行きたかった
警視庁が先鋒、静岡県警は後方支援を務めた
終わってみれば、大した抵抗はなかった
本当に良かった、命拾いした


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