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個人の私の強化

いつも 「〜な自分」という形象を作り出して、それが自分だと信じている。

「困っている人がいて、何かしなければと思う自分」「病気の症状が出て、不安になる自分」「抵抗を感じて、辛いなと思う自分」
いつも外側に「問題」があると判断して「自分」を強化する。

その自分が実在していると強化するので、もちろん「困っている相手」も「病気」も「抵抗」も、つまり苦しみが実在していることを強化する。
「〜な自分」の連続で常に「問題=苦痛」が実在し、個人の私の歴史が作られていく。常にこの活動だけをしている。

赦しがうまくできた時も同じで、その後に「赦しがうまく出来た自分」を形象化し強化する。赦しができない時も同じことをしている。
学ぼうとする自分、赦しをしようと頑張る自分、これも個別の自分であり、分離を強化しているのだなと思う。

それらの自分は、自我が作り出したもので、実在しない。
真の問題は、それらに同一化することを望み、選んでいること。
それに気がついて、それを手段として使って訂正し、赦しをしていくのだなと思う。

真の私は具体的な形のあるものではなく、無形であり、平安そのもの。一度も壊されたこともなければ、これからもない。

いつもそこに触れていること、そこに戻ることだけが、私のすることなのだと思う。赦しは苦しく努力するものではなかったのだ。今動いている、間違っている自分、そのままを赦していくこと、それを問題とせず、何もしないことなのだ。

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