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「竹島」散策録【愛知県・蒲郡市】

竹島たけしま愛知県蒲郡がまごおり沖(三河湾)に浮かぶ周囲約680mの無人島です。本土からは387mの竹島橋で繋がっており、島まで徒歩で渡ることができます。島全体が国の天然記念物であり、三河湾国定公園の一部になります。また、島全域が日本七弁天の一つ八百富やおとみ神社(竹島弁天)の境内になっており、他の4つの神社(宇賀、大黒、千歳、八大龍)と共に島全体が神域であり、パワー・スポットです。・・・と言うことで、今回は竹島の散策レポです。🙂👍



竹島

 竹島たけしまは、愛知県蒲郡がまごおり沖(三河湾)に浮かぶ、標高22m、周囲約680mの三河湾国定公園の一部を構成する無人島です。本土からは387m竹島橋で繋がっており、島まで徒歩で渡ることができます。だいたい30~40分で島全体を1周できます。竹島では対岸のクロマツ林とは異なり、これ迄に65科238種暖地性の植物や常緑広葉樹の自生が確認されており、これら植物群の保護を目的とし昭和5年には島全体が国の天然記念物に指定されました。🙂
 竹島は島全域が、日本七弁天の一つである八百富やおとみ神社竹島弁天)の境内であり、「縁結びの島」としても有名です。島には他に宇賀うが神社、大黒だいこく神社、千歳ちとせ神社、八大龍はちだいりゅう神社の四神社があり、島全体が神域であり、パワー・スポットになっています。🤓

八百富神社
竹島
五神社の中心となる神社で、御祭神の竹島弁財天市杵島姫命いちきしまひめのみこと)は開運招福・安産・縁結びの神様です。1145年に三河守となった藤原俊成しゅんぜい(蒲郡開拓の祖・藤原定家の父)が、1181年に滋賀県は琵琶湖に浮かぶ竹生島ちくぶしまの「竹島弁天」から勧請かんじょう(分霊)したと言われています。その際 竹生島の竹を2本根こそぎ持ってきて ご神木として植えたことから竹島と名付けられたと伝えられています「竹島縁起より」。竹島弁財天の御開帳は6年毎で 次回は2025年(巳年)です。江戸時代には徳川家康が、また 昭和に入っても東郷平八郎元帥が参拝されている由緒ある神社です。😌


竹島へのアクセス

■所在地
 〒443-0031 蒲郡市竹島町3-15

■蒲郡へのアクセス

蒲郡へのアクセス
3大都市圏どこからでもアクセスしやすい蒲郡
        蒲郡市観光協会公式サイト「がまごおり、ナビ」>蒲郡へのアクセス より抜粋

■竹島へのアクセス

アクセス方法 access
愛知県の公式観光ガイド Aichi Now トップページ>スポット・イベント一覧>竹島 より抜粋
竹島の所在地
駅、ICからのアクセス


竹島散策マップ

竹島島内の散策には、愛知県の公式観光ガイドのHP:
Aichi Now>トップページ>スポット・イベント一覧>竹島
から参照できる「アクセスマップ access map」(Google mapなので適宜拡大して使って下さい)があります。🙃👇

竹島マップ/全体
竹島マップ/各社の位置関係


島内散策(竹島橋~宇賀神社~大黒神社~千歳神社~八百富神社~八大龍神社)

竹島橋の本土側から散策スタートです。🙂👉🏞️

「本土から竹島まで約400m(387m)です🫡金沢で生まれの彫刻家野水信(愛知県で没)作の二体のハニワ像が仁王像のように阿吽の呼吸で参詣者を迎えます😮」
竹島橋/カップルで渡る時はしっかり手をつなぎ、渡り切るまで振り返ってはいけません・・・『縁結びの橋』と呼ばれるこの橋の言い伝えです😏」
三河湾の様子・・・海鳥が群れています😮(潮干狩りできそう♡)」
八百富神社の大鳥居/大正4年(1915年)建立。初代の額は東郷平八郎元帥の筆によるものの、太平洋戦争中に国へ供出され戻らず、昭和63年竹島氏子有志らにより新たに奉納されました😮」
「おっと🫢橋を渡り切る前に振り返ってしまうと縁切りされてしまいます😫」
境内案内図/ここで社の位置関係を確認!🫵🙂」
天然記念物八百富神社社叢しゃそうの説明看板 by 文部省」
甑嶋こしきじま竹島八景の一つです🙂」
竹島橋から続く石畳・・・」
「この鳥居をくぐると」
101段の石段!うひゃー大変だ!😮」
「・・・あれ、大したことなかった🙄(101段はもうちょっと前の石段からカウントでした😓)」
手水舎(左)できれいに手と口を清め、正面に最初の神社が見えます🙂」
宇賀うが神社/御祭神の宇迦之御魂神うかのみたまのかみは「食べ物」(穀物)を主宰する神様です。実は伏見稲荷大社の主祭神、稲荷神(お稲荷さん)でもあります😮
大黒だいこく神社宇賀神社参拝後 振り返った所にある神社。御祭神は大国主神おおくにぬしのみこと商売繁盛の神様😌」
大黒神社七福神大黒天習合しゅうごう(融合)し福の神としても親しまれています🙂」
「・・・謎の五重塔🤔」
「御神馬🙂
社務所/右隣りが授与所です。おみくじもできます!」
「ここのおみくじは余にも珍しい「大大吉ありの大凶なし」おみくじ。運試しで引いてみると・・・でした🙂👌
八百富神社・拝殿/竹島5神社でも中心的神社。御祭神の市杵島姫命いちきしまひめのみこと(弁財天)は開運招福・安産・縁結びの神様です。」
八百富神社旧竹島弁天社江島神社、竹生島神社、厳島神社・・・などに並ぶ、日本七弁天の一つとされています😌」
「拝殿の右隣りに不自然な竹藪が・・・?」
元竹もとだけ/藤原俊成が琵琶湖の竹生島ちくぶじまから持ち込んだ竹島唯一の人工栽培された竹・・・でもこれ・・・死んでますよねぇ?🤔(色変わってるし)」
「神社横に立つ御神木(記念杉)/昔雷がこの杉に落ちて八百富神社本殿を守ってくれたそうです😮」
千歳ちとせ神社藤原俊成をお祀りしている神社。俊成が91歳と長寿だったこともあり、御祭神は長寿、学問、芸能の神様です😌」
八大龍神社はこちら👉」
八百富神社・本殿
「途中気になったやたらと目立つ大きな木🙄(でもそんなのかんけねぇ♪)」
八大龍はちだいりゅう神社/御祭神の豊玉彦命とよたまひこのみこと雨乞いの神様です。家内安全、夫婦円満、厄除けのご利益ありです😌」
「5神社の参拝完了です。最後に鳥居に一礼😌」
「海岸へ移動します🙂👉」

これで五神社全てお参りしました。「奈良春日大社の十五社巡り」の教訓をしっかり活かし・・・お賽銭をたっぷり用意しておいて良かった😓


島内・外散策(龍神岬~竹島遊歩道~八百富神社遥拝所~海辺の文学記念館~藤原俊成像)

先ずは海岸(龍神岬)へ出て、遊歩道経由で竹島橋を目指します。🙂👉

龍神の松/なんか龍っぽいんだとか・・・そうかぁ?🤔」
「おぉ、海が見えてきた!🫡」
龍神岬の碑/えっ、ここにこれ!?😮(ここは岬じゃないよねぇ・・・)でも竹島八景の一つ。」
「おっ、視界が開けた!ちょっと高い所からの良い眺め!🫡(龍神岬から三河湾が一望できるってことか?)あっ、あの岩場にも石碑が立ってるぞ!🤨」
「あれ?昭和十年七月?日建設・・・だって?🤔でもここが竹島の最南端です。」
川獺岩かわうそいわ竹島八景の一つ。かわうそ🦦・・・ぽい?🤔」
「👈が竹島遊歩道です」
旭渓あさひなだ竹島八景の一つ。ここからの眺めもグー!🫡」
龍神岬の石碑/あれ、ここにもあるよ?🤔」
沖の島おきのしま/園児?ぽい子供の集団と遭遇!😮」
「ピクニックですか?」「ええ・・・まぁ」「・・・」「・・・(気まずい)」
「一応、遊歩道らしい道をさらに進むと・・・」
「なぜか道が真っ二つに割れてるところがあったり・・・😱」
「さらに遊歩道を進むと・・・」
焙烙岩ほうろくいわ竹島八景の一つ🙂」
「あら、手摺までついてる!🙂(バリアフリーじゃないけど)」
「波は穏やかに見えますが・・・橋の上はすっごい強風です😑」
「これでも遊歩道?・・・あっ橋が見えてきた!😀」
常磐の磯ときわのいそ竹島八景の一つ🫡 」
「橋から島を逆回りする場合の看板は👉向き😀」
「やっと橋に到着!では橋を渡って戻りましょう!👋🙂」
木下恵介(映画監督)歌碑/〔竹島の橋の長きが悲しくて 母の思い出 吾もその年〕昔お母さんとこの橋を渡った思い出があり、後日その当時をしのんで詠まれた歌です🥲」
竹島園地内の謎のオブジェ」
「竹島橋のどん突きに神社!😮」
八百富神社遥拝所ようはいじょ/創建は不明ですが 当時竹島にある八百富神社には容易に参拝できず遙拝所が必要になったと考えられています🤔」
八百富神社遥拝所/江戸時代に松平守惇もりあつが造営。屋根と柱と遙拝所だけの構成で、正面に竹島を望むことができます🙂」
御鍬神社おくわじんじゃ八百富神社遙拝所正面の駐車場を隔てて鳥居があります。1765 or 67年に伊勢より勧請したのが始まり。御祭神は伊佐波登美命いざわとみのみことの謎の神社🤔(現在は立入禁止です)」
「唐突に『世界は一つ』の標語石碑 by 湯川秀樹😮」
常磐苑ときわえん/大正・昭和初期に多くの文人達に愛された旅館「常盤館」の雰囲気を再現したものです🙂」
海辺の文学記念館/旅館「常盤館」の趣きを再現した文学歴史記念館です」
記念館内部/竹島界隈の写真、十二支透かし彫り額、蒲郡を舞台にした作品などが展示されています。入館は無料ですがお茶をすると有料です(抹茶300円、珈琲500円)😋」
「竹島海岸へ移動します」
藤原俊成卿像/平安~鎌倉時代息子の藤原定家と同様に有名な歌人。1145年12月から3年5ヵ月三河国司をつとめ蒲郡の礎を築きました。竹島の八百富神社は俊成が琵琶湖の竹生島から竹生島弁財天を勧請したのが始まりとされています🙂」
「藤原俊成卿御歌の石碑」
藤原俊成と竹島
さらば竹島!👋😀」

ここでタイムアップ!竹島園地に到着してから1時間弱。島への往復の際に竹橋上で豪風に吹き飛ばされそうになりましたが、何とか帰還できました😓

・・・竹島内/外周辺の散策録はここまで。


感想

当初「島」と呼ばれるくらいなので「船にでも乗って参拝に行くのかな?」などと適当に考えていた私ですが、実際は全長400mの軽合金製手すり付きの立派な竹島橋が架かっており、スキップしながら上陸できました。ただ、途中900ヘクトパスカル級の突風に煽られ、橋の欄干から三河湾に叩き落とされそうになり😱命辛々からがら竹島に辿り着いたと言う一幕もありました。そんな竹島参拝の幕開けでしたが上陸してみると、うって変わって穏やかでちょっとだけ厳かな島内の雰囲気。YES!心の洗濯ができました。🤗

さて、最初にお参りした宇賀神社。ご祭神は宇迦之御魂神うかのみたまで、穀物・食べ物の神様と言うから「あら、豊受大神と一緒じゃん?」と思い、よくよく調べてみると、確かに「同じ神様だ!」と言う人もいるようですが、系統的には別の神様のようです。😮お稲荷さんこと宇迦之御魂神は、豊受姫神とも呼ばれ、本当に紛らわしいですけどね。🤔
その次にお参りした大黒神社についても、御祭神の大国主神おおくにぬしのみことって「だいこくさま」のこと。でも七福神の大黒天とは別な神様。でもですよ。そもそも神社の名前が「大黒」でしょ?別の神様と言いながら大黒天と「習合」して、まとめて福の神ってことにしちゃってるじゃありませんか?😮(※習合:宗教上で異なる教理や学説が融合すること。神と仏を結びつけた神仏習合思想はその一つ)あれ、待てよ・・・八百富神社だって、 市杵島姫命いちきしまひめのみこと(神道系)と弁財天(仏教系)の習合八大龍神社だって、 豊玉彦命とよたまひこのみこと (神道系)と八大龍王(仏教系)を習合した御祭神じゃないですか?🤔(竹島では唯一千歳神社だけが俊成の独り神様!)

・・・そう思うと日本人の宗教観って、何でも受け入れちゃう懐の深さと言うか・・・異教であろうと他者をリスペクトし排除しないで融合しちゃうと言うのが根本思想のように思えてきました。🙄日本って世界中のあちこちで起きている宗教や宗派の対立による爭い事とは無縁な国なのかも?🙂

最後まで本記事を読んでいただき、ありがとうございます。😌


まとめ

今回の散策ルート
(島外の移動ルートは省略します。)


おまけ

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