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「真如堂」参詣録【京都市・左京区】

真如堂しんにょどうは京都市左京区にある天台宗のお寺です。正式名は鈴聲山真正極楽寺れいしょうざんしんしょうごくらくじと言い、創建は984年で戒算上人かいさんしょうにんが 比叡山延暦寺常行堂のご本尊阿弥陀如来東三條院(一条天皇の母)の離宮に安置したのが始まりです。浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞ら多くの念仏行者や民衆の篤い信仰を集め、特に女性の深い帰依きえを受けてきました。3月は1年を通してもこの時期だけの「真如堂 大涅槃図 特別公開」があり、極彩色の大涅槃図を直接鑑賞できる良い機会だったため 真如堂へ参詣に出かけました。今回はその参詣録です。🙂👍



真如堂

真如堂しんにょどうは京都市左京区にある天台宗のお寺です。「鈴聲山真正極楽寺れいしょうざんしんしょうごくらくじ」が正式名称ですが、本堂を表す真如堂しんにょどうが通称として定着しています。ご本尊は阿弥陀如来うなずきの弥陀)です。984年戒算かいさん上人が 比叡山延暦寺常行堂じょうぎょうどうのご本尊阿弥陀如来東三条院藤原詮子ふじわらのせんし(一条天皇の母)の寝殿に移し安置したのが始まりとされています。992年には一条天皇勅令ちょくれい本堂が創建され、不断念仏の道場として浄土宗の法然や浄土真宗の親鸞ら多くの念仏行者、庶民 特に女人の信仰を集めました。応仁の乱(1467年)の際お堂や塔は消失、乱の終息を待って再建するも その後江戸時代には2度も本堂が全焼する憂き目を見ます。1693年に東山天皇の勅令で現在の地に戻って再建され、1717年に本堂が建立され現在に至ります。🤓

◆大涅槃図
お釈迦様
の入滅(最期)の情景を極彩色で描かれた涅槃図としては国内最大の 縦6.2m×横4.5mの大涅槃図です(極彩色ではないものの 泉桶寺せんにゅうじ涅槃図は縦16m×横8mあります😮)。横たわるお釈迦様を多くの仏弟子達や様々な生類(鳥獣、魚類、爬虫類、両生類、昆虫等々)が取り囲んでおり、天空には満月と雲に乗る摩耶夫人まやぶにん(お釈迦様の母親)が描かれています。描かれている生類は127種類もあり、日本国内の涅槃図でも最多😮(東福寺の涅槃図では52種類)と言われています。1706年制作。


真如堂へのアクセス

[所 在 地]
〒606-8414 京都市左京区浄土寺真如町82

[主要駅から]

JR京都駅からのルート
阪急 河原町駅から/京阪 祇園四条駅からのルート
地下鉄 丸太町駅からのルート

真如堂の公式HP/交通>交通アクセスより抜粋

今回は 京都駅から地下鉄烏丸線に乗り烏丸丸太町駅(260円)で下車、そこから徒歩(30分位)で真如堂へ行きました。🚄🙂👉🏯

京都駅から地下鉄~徒歩のルート


境内(図)マップ

境内の散策には 真如堂の公式HP>境内にある「Guide 境内」でも、主要な建物同士の位置関係を把握するには便利です。以下に掲載します。👇🙂

境内 | 真正極楽寺 真如堂 (shin-nyo-do.jp)

境内図


真如堂境内の散策(総門~本堂~書院・庭)

総門前からスタート。公開中の「大涅槃図」を いの一番に鑑賞すべく本堂へ。その後、本堂と廊下続きの書院と書院を囲むを鑑賞します。😊

総門へと続く参道」
総門(京都府指定文化財)/西側にある神楽岡(吉田神社)の神々が出入りする際 つまずかないように敷居がないとされています🤔」
総門/1695年完成🙂」
「左:新長谷寺、中央:本堂、右:鐘楼堂へ続く道です🫡」
手水舎/ボタンを押すと水が出ますよ方式👇😮」
本堂(重文)/度々焼失するも1717年に再建されました🙂」
本堂/真如堂の大額(よ、読めない・・・🙄)」

・・・と言うわけで 本堂仏間は撮影禁止でしたが 実際に観た極彩色で描かれた涅槃図は色鮮やかで 圧倒的な迫力で迫って来ます。お釈迦様仏弟子らの表情や127種類もの生類をつぶさに観察するのもおもしろく、じっくり時間をかけて観賞しました。真如堂のHPには「大涅槃図」の画像がアップされていましたので、以下に掲示します。👇🙂

真如堂 大涅槃図」/真如堂公式HPより

特に涅槃図に描かれた生類数としては国内最多の127種類の生き物を確認しながら観るのは楽しく、タコイカ、クジラ(←ご住職の見解ではサメ)などの海の生き物や蝶々などの昆虫。果ては麒麟のような伝説の動物まで描かれており、ご住職にも最後まで不明だった謎の生き物まで描かれています。🤔天空には天界より雲に乗りお釈迦様を迎えに来られた摩耶夫人(お釈迦様の母)が描かれ、さながらミケランジェロの「最後の審判」を彷彿させるような構図です(「この世とあの世は地続きだ!」と説いた某映画スターを思い出しました😑)。さて、多くの涅槃図では「」は描かれていません。それは 摩耶夫人が天界から不老長寿の「薬袋」を持参したものの、投げた「薬袋」が沙羅双樹さらそうじゅの枝に引っ掛かってしまい お釈迦様の手に届きませんでした。それを見たねずみがその木に登り 枝を噛み切らんとしたところ、それを見たを追い払ってしまい 結局薬袋がお釈迦様に届かないままご入滅となりました。(ここから薬を患者へ渡すことを「投薬」と呼ばれるようになったとか・・・)😮このため涅槃図の生類のなかにが描かれなくなったと言われています。ところが、真如堂涅槃図にはしっかりが描かれています。ほとんどの生き物がお釈迦様の方を見て悲しんでいる図の中で、だけあらぬ方向をじっと眺めています。その視線の先には・・・😒

「真如堂涅槃図の中の猫と鼠

真如堂のご本尊は阿弥陀如来(重文)で 開山時に比叡山延暦寺常行堂の阿弥陀如来を移し 安置されたと言われています。この阿弥陀如来像撮影禁止だったため、真如堂公式HPよにある画像を以下に引用します。👇🙂

阿弥陀如来、不動明王、千手観音の各像」/真如堂公式HPより

こちらも一般公開は一年に一度だけ。なので しっかり拝観しました。この阿弥陀如来慈覚大師円仁じかくだいしえんにん作で 完成直前に「比叡山の修行僧のための本尊になり給え」と述べ 眉間に白毫びゃくごうを入れようとすると阿弥陀像は三度首を振って拒否されました。「ならば、京の都に下って 一切衆生(全ての人々)をお救い下さい。特に女人を救い給え」と頼むと、阿弥陀像は三度うなずかれたとの伝承があり、そこから「うなずきの弥陀」と呼ばれています。😑

次は書院を鑑賞しましょう。🙂👉📚

本堂から外へ出てこの階段を降りて書院へ行く渡り廊下へ」
「渡り廊下を進みます。」
涅槃の庭/北(左側)を頭にしたお釈迦様入寂にゅうじゃくされ、その周りを弟子達が囲んでいる様子が表現されている(・・・そうです)🤔」
書院・襖絵/孔雀図」
書院・松の間/鈴木松年作」
書院・襖絵/松図」
随縁の庭/随縁とは事象が縁によって様々な現れ方をするの意です。2010年重森千青氏作庭」
書院・四季殿の庭
中庭
渡り廊下からの眺め・・・早咲きの桜かな?」
「本堂東面/本堂に戻って来ました」
「小みちの向こう側に萬霊堂宝蔵が見えます🫡」
釈迦三尊像/本堂の真後ろにあります。(アクリル板の反射で見難いなぁ・・・🤔)」
本堂の入口へ戻って来ました」


真如堂境内の散策(本堂前~鎌倉地蔵堂~県井観音堂~三重塔~鐘楼~本堂南~東辺り)

次は本堂正面から~本堂の南側~東側辺りを散策してみましょう。👇🙂👉

京都映画誕生の碑/1908年境内で撮影された時代劇が京都映画の最初。2008年「京都・映画100年祭」に記念碑が建立されました😮」
京都映画誕生の碑/カメラをモチーフにしたモニュメントです。」
伝教大師巡錫之像/最澄が東国を巡り、上野国・下野国に宝塔を建てられた時の姿をイメージした像です。🙂」
宝篋印塔ほうきょういんとう/過去・現在・未来にわたる諸仏の舎利(聖者の遺骨)のための供養塔です😌」
菩提樹(京都市指定巨樹名木)/シナノキ科。この木の下でお釈迦様が悟りを開いた聖木😌」
鎌倉地蔵堂/家内安全、福寿、延命、冤罪えんざいを晴らし心の病を治すご利益があるそう😌」
縣井あがたい観音堂/御所三名水の一つが縣井で、そこに現れた如意輪観音を祀っています。😮」
縣井観音堂/病気平癒や安産のご利益ありです😌」
三重塔(京都府指定文化財)/1817年再建。安置されていた四天王像の腐食が分かり新たに多宝塔に安置し祀った本瓦葺きで高さ30m。🫡」
三重塔/桜、新緑、紅葉、雪景色と写真映えする趣深い古塔です🙂」
三重塔/現在は立入禁止です😢」
三重塔/下から屋根裏を見上げたところ🙄」
鐘楼堂(京都府指定文化財)/江戸元禄年間時建立。梵鐘ぼんしょうは1759年に竣工🙂」
鐘楼堂のすぐ脇に身代観音が・・・」
身代観音みがわりかんのん/比較的新しい石造で蓮の花を持たれています😌」
應當謄禮大士おうとうたんれいだいし
應當謄禮大士像のすぐ隣には阿弥陀如来露仏があります。」
阿弥陀仏如来露仏/江戸時代に木食正禅養阿上人が建立。」
阿弥陀如来露仏/背面に木食正禅造立 享保四年八月十五日 弟子 蓮入 朋真 願真と刻まれています🤔」
三界(欲・色・無色)萬霊塔/この世のあらゆる命あるものの霊を宿らせ、供養することを目的として建立された供養塔です(無縁仏も葬られます)😌」
斎藤利三の墓はこっちです👉」
本堂南側に広がる墓地
斎藤利三の墓明智光秀の重臣の墓です。本能寺の変の後、山崎の合戦で秀吉軍に敗れて斬首されました😮海北友松(画家)は斎藤利三の友人で利三の首を奪い、真如堂に葬ったとのこと😢」

さらに本堂の南東方面の小径を進んで行くと・・・

會(会)津藩殉難者墓地あいづはんじゅんなんしゃぼち石碑
會(会)津墓地の由来の碑/会津藩主松平容保は徳川家茂から京都守護職に任ぜられるも、幕末の京都で守護職となった会津藩士らの犠牲は大きく 350霊以上が葬られているらしい・・・😑」
松平容保公かたもりの像(左)と鳥羽伏見の戦いの戦死者を祀る慰霊碑

・・・会津藩殉難者墓地は、真如堂から金戒光明寺こんかいこうみょうじの境内につながる道の途中にあります。真如堂から大分離れてしまいましたので 一旦真如堂境内へ戻ります。👈😐🤚


真如堂境内の散策(元三大師堂~新長谷寺~真如堂塔頭〔吉祥院、喜運院〕)

一旦本堂へ戻り、本堂の北側~西側辺りを散策します。👇🙂👆

本堂に向かって左横に位置する池。池の奥側に元三大師堂(左)と真如山荘(右)が見えます🫡」
「弁財天との扁額がありますが、赤崎弁才天は念仏行者の善阿弥が諸国を周り勧進して池の中の島に建てたほこらです🤔」
元三大師堂がんざいだんしどう(京都府指定文化財)/おみくじの創始者である元三大師良源がんざいだんしりょうげんの護摩供法要をしているお寺です。正面に置かれている石灯籠は地元の人らが琵琶湖疎水工事に感謝し寄贈したものです🙂」
元三大師堂/1696年建立。良源の自画像と地蔵菩薩、不動明王が安置されています🤔」
新長谷寺しんはせでら元三大師堂のすぐお隣りが新長谷寺です。👈🙂」
新長谷寺/明治時代の神仏分離により吉田山より移築されました😮」
新長谷寺奈良県の長谷寺のご本尊を模した観音像が祀られています🤔」
喜運院新長谷寺のすぐお隣にある寺院👈🙂」
喜運院真如堂の塔頭たっちゅう寺院の一つです。(塔頭とは寺院のなかにある個別の小寺院のこと。寺院を護持している僧侶や家族が住むお寺。)」
喜運院/御住職の原田氏は大卒後ゼネコンに入社するも27歳で出家し1993年に真如堂喜運院入りし、後に住職になりました🤨」
吉祥院真如堂の塔頭たっちゅう寺院の一つです。」
吉祥院/普段は非公開ですが、定期的に写経や唄会のような集まりがあるそうです🤫」
総門に辿り着きました😝」

・・・本堂仏間の「大涅槃図」「うなずきの弥陀」参拝後、書院の襖絵や「涅槃の庭」「随縁の庭」を鑑賞した後も境内の建物石碑、モニュメント等が沢山あり 結構見所が豊富でした。桜満開にはちょっと早かったものの、一部早咲きの桜も拝められて 有意義な参詣だったと思います。😌

・・・真如堂の参詣録はここまで。🤟🙂👌


感想

涅槃図は他にも何度か鑑賞したことはありましたが、真如堂極彩色豊かな大涅槃図は迫力満点で臨場感があり、お釈迦様入滅のシーンに我が身をその場に置いているかのような没入感を覚えます。2010年には絵の修復は完了。細部まで鮮明なため 比較的容易に生き物の識別も可能で「この生き物って何?」を推理する面白さが味わえます。当日はご住職(と思われる)お坊さんが涅槃図の前に着座し 絵の解説をしておられました。お年から察するに長年涅槃図を見てこられた方とお見受けしましたが、「絵の説明文ではクジラとありますが、私はサメだと思います」「この背中に亀の甲羅みたいなものが乗っている生き物の正体が謎です」「泉桶寺の涅槃図は大きさだけなら確かにでかいですが、極彩色で描かれた涅槃図ならうちのが一番大きいです」などと歯に衣着せぬ物言いにとっても親近感が湧きました。涅槃図鑑賞のための特別拝観料は1000円ですが、一緒に頂いた お供えの鏡餅を焼いて黒砂糖を絡めた「花供曽はなくそあられ😮」が軽くて意外と美味です。🤤

花供曽あられ

最後まで本記事を読んでいただき、ありがとうございます。😌


まとめ

今回の参詣ルート


おまけ

「うなずきの弥陀」にまつわる・・・あの伝承です。



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