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八杉さんが遭遇した広島の閃光

1945年8月6日午前8時15分 人類史上初めて都市への核攻撃が行われました。 テニアン島の基地から飛来したB29エノラ・ゲイ号により投下された原子爆弾リトルボーイは20万人もの命を奪いました。 私も広島県にある平和記念資料館へ行ったことがありますが 壁に影だけを残して亡くなった方や被爆直後の地獄の様な光景再現展示など今でも思い出すと身震いするほど凄惨でした。 以前紹介した戦艦大和元乗組員の八杉康夫さん 八杉さんは戦艦大和の最期と言う地獄から生還した後、広島へ戻り本土決

    • キスカで起きた奇跡

      1943年7月29日 キスカ島の撤収作戦が行われました。 キスカ島は前年6月に行われたミッドウェー島の攻略作戦を支援するべく実施されたアッツ島の攻略作戦により日本の支配下に置かれました。 しかしミッドウェー沖海戦で日本の主力空母である赤城、加賀、飛龍、蒼龍の4隻を失う大敗北 戦艦大和も主力艦隊旗艦として参加するも空母機動部隊のはるか後方にいた為、なす術なく引き返す事になります。 アッツ島、キスカ島は元々重要視されていなかった為、最低限の守備隊しかいない状況でしたがアメリカ

      • 特撮の神様は七夕に生まれた

        今から123年前の7月7日、福島県で圓谷英一が生まれた。後に特撮の神様と呼ばれる男、円谷英二その人である。 まず前提として「特撮」とは 特殊撮影技術の略でSFXとも呼ばれます。 定義や様々な手法がありますがここでは"実際には存在しない架空の映像"を作る事を指します。 円谷英二(以降監督)は幼い頃、飛行機に興味を持ち、操縦士に憧れた少年でした。 15歳の時、家族の反対を押し切りその年に創設されたばかりの日本飛行機学校の第1期生となります。しかし、翌年整備不良による練習機の墜

        • トメさんと中島軍曹

          6月23日が沖縄戦戦没者慰霊の日という事で追悼式典が行われていましたね。 恥ずかしながらなぜ6月?と知らなかったので調べたところ 「旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる日」 ここでは書ききれない程の悲劇があり いつの日か沖縄に行けたら各地の遺構、史跡を巡る慰霊は個人的に行いたいと思っています。 話が変わって、少し前に書いた知覧の鳥濱トメさんのお話 こちらの中では詳しく書けなかったトメさんの話の中で6月に亡くなった中島豊蔵さんのお話を、私的に1番印象に残った話なのでご

        八杉さんが遭遇した広島の閃光

          フルコースをやるとしたら

          料理好きとしての悩み。それは自分の料理を食べて欲しいけど相手がいない事。 「じゃあお店やんなよ!」と言ってくれる方もいるが、趣味の範囲のウデマエしかなく、しかも経営に自信なく… だから家族、親族、友人関連など食べてくれる機会は重要 特に招待するとなるとおもてなしもしたい。 私はパーティなどの集まりで料理を任せてもらえるならキッチンに居座るタイプなので以前考えたのが 自分が現段階で作れる料理を中華のフルコース形式である「冷菜」「主菜」「主食」「点心」「湯」に分け その中から1

          フルコースをやるとしたら

          方舟の盟主を想う

          6月13日、プロレスラー三沢光晴選手の命日に想いを一筆 ※画像は他のユーザー様が使用したものを利用しています。 私はプロレスが好き。子どもの頃から好きで一度総合格闘技に流れたあと YouTubeで初代タイガーマスクとダイナマイト・キッドの試合を観て沼へ深々と 当時は4代目タイガーマスク選手がいたので新日本プロレスを追い始めた最中 私の趣味のほとんどの大元である伯父がプロレスリング・ノアの札幌大会へ誘ってくれた。 まだまだプロレス初心者だった私はなんもかんもよくわからないノ

          方舟の盟主を想う

          パンを焼けるようになってきて

          パン焼くんです最近 今まで小麦粉を捏ねて、オーブンで何かを焼くことを経験せずに過ごしてきたのですが ここ10年間の間に母がホームベーカリーでパンを焼き、オーブンで同じくパンやスイーツを作り始めた。 母は元々得意だった為、おかげで素晴らしいものを見て食べさせてもらっていました。 その内、手伝いで材料の計量やカスタードクリーム作りをする内に私もホームベーカリーで食パンを焼き、最近は同じ生地を使いテーブルロール風の食事パンを作るようになった。 さて、長々と前置きしたが私は元来

          パンを焼けるようになってきて

          町の歴史を知らせる音で起きる朝

          5月に入ったのになかなか暖かくならない今日この頃 起きて出勤の身支度をしていたら突如鳴り響くサイレン 一瞬空襲など何かしらの警報かと身構えたが、すぐ今日5月11日が枝幸大火があった日である事を思い出した朝 枝幸町は何度か大火が起きているが有名なのが昭和15年、1940年5月11日に発生した大火です。 筆者は頭が悪く、ほっかいどうの防災教育ポータルサイトなどの丸写しで申し訳ありませんが 当日は気象条件から西寄りの強い風が吹く中 山火事が発生 市街地まで延焼するとわずか30〜

          町の歴史を知らせる音で起きる朝

          鳥濱トメさんの命日に想う

          戦艦大和の最期に触れた事を機に太平洋戦争に興味を持ち始めた私に、伯父が1本のビデオをくれました。 内容は鳥濱トメさんと知覧から飛び立った特攻隊員達を取り上げた番組 特攻、神風特別攻撃隊、ワードと内容は何となく把握はしていましたがトメさんの話を通じて触れた特攻隊員達の様子は当時の私にとって戦艦大和の最期と同じくらい衝撃を受けたのです。 「皆、良か衆やった。皆極楽に行く人だからとっても優しいのね」 番組内で晩年のトメさんのインタビュー映像が流れる、全編を流しているわけではない

          鳥濱トメさんの命日に想う

          4月7日

          4月7日 この日は私にとって特別な想いがあります。 理由は戦艦大和が沈んだ日。 1945年3月末から始まったアメリカ軍による本格的な本土侵攻となる沖縄への上陸が開始。 地獄の様な地上戦ならびに、特攻隊による捨て身の攻撃が行われる中 戦艦大和も沖縄を守るべく、大日本帝国海軍最後の艦隊出撃が決まった。 海上特攻隊として沖縄へ向かい 浜辺に乗り上げて海上砲台となりアメリカ軍へ攻撃 砲弾が尽きたら乗組員による突撃を敢行する一億総特攻の魁、生きて帰らぬ死での旅路 大和は第二