見出し画像

【人道支援チャド】紛争地の医療(3/5)~モルヒネと少年~

割引あり

みなさん
人道支援家のTaichiroSatoです。

さて前回に引き続き今回も「紛争地の医療」をお届けします。
まだ前回の投稿を読んでいない方は、まずはコチラを読んでもらえたらスムーズかと思います。

前回投稿→→【人道支援チャド】紛争地の医療~国境を越えた人たち~ (2/5話)

また僕の投稿内容のイメージが湧くように僕のインスタグラムでこれから少しずつ写真や動画を可能な範囲でアップしていこうと思うので興味のある方はnoteと合わせて楽しんでもらえたら嬉しいです。

↓↓僕のインスタグラムはコチラ↓↓
Taichiro Sato(@taichirosato_ig)

紛争地の医療~モルヒネと少年~

「紛争地の医療」は全5話で投稿する予定です。
ーこの投稿は2023年4月から10月のチャドでのプロジェクトの記事ですー
(※登場する人物の名前は実際の名前から変えてあります)

朝のルーティーン
このころの僕には毎朝テント病院についてルーティンが出来つつあった。
朝、数百人ほどいる患者全員の顔をみて一人ひとり「サラマレコム」と朝の挨拶をすること。
夜のうちに見逃している重症化した患者がいないか。
それを自分の目で確かめるのだ。
あの人は昨日より顔色が悪いとか、ぐったりしているとか。
反応が無ければ声をかけ、昨晩からの記録をみたり看護師と話し合ったりする。
そんな中、銃でケガをした創部の感染状況を確認するのだが、僕一人が数百人の傷を一つ一つ確認することはできない。誰に教わったわけでもなく僕は、ハエが大量に集っている患者のところへ足を運んで傷の確認をするようになった。
なぜなら、感染した傷は、一日を通して大量の浸出液や膿が傷から出て包帯やガーゼが汚れる。その傷はガーゼから悪臭を発し、その膿がべっとりとついたガーゼに大量のハエがたかるのだ。
ハエがたかっている傷、すなわち感染が進んでいる傷をいち早く見つけるための僕なりの経験からくる紛争地医療への適応だったのだろう。
 
毎日僕らは銃で大きなダメージをうけた皮膚や筋組織を洗浄し続けた。
傷の感染のコントロールができないと数週間後の死亡率がぐんと上がることが予想されるからだ。40度を超えるテントの中で、傷の洗浄をし続ける僕らの全身は汗だくになり、顔の汗が傷に垂れないように気を使いながら自分たちの顔にも多くのハエがたかり僕らの集中力をそいだ。

僕らのテント病院の患者たちはほぼ全例で銃によってケガをした人たちだ。
12歳のこの少年は一見普通に見えるが、背中のガーゼを開けるとものすごい悪臭と膿が傷から流れ出し、脊椎が丸見えになるほど深い傷を負っている。その傷は指の長さではとても届かないほどの深さで、僕はペンライトで奥を照らしながら洗浄した。
傷を洗っているとき、少年はぐっと目をつぶる。
じっとりと汗をかき身震いをさせながら、ただひたすら創洗浄の痛みに耐えていた。

傷の洗浄は激しい痛みを伴う。通常であれば痛みどめの薬を可能な限り使い処置をする。しかし、これだけ多くの銃創患者の対応をし、毎日数十件の手術をし、安定した物流システムがない難民キャンプ地での活動で、痛み止めの在庫管理は困難を極め、満足に痛み止め薬を使用できない現状もあった。
ある日の朝は、糖尿も患う銃創患者の足におびただしい数のハエがたかっているのをみつけ、彼の足は既に壊死(腐ってしまうこと)していた。その後彼の下肢の切断術が施行された。足や腕が腐りかけている、そんな患者を診ることも珍しくない日々が続いた。

僕の聞いたスーダンの紛争
僕はチャド側でスーダン紛争と関わった。その上でたくさんのスーダン人からの恐ろしいストーリーを聞いた。
※あくまで人から聞いたストーリ―と僕の理解している内容になり事実と異なる可能性があります。

スーダンは大部分がアラブ系スーダン人(といっていた)と非アラブ系のマサリット(いくつかあるらしい)という少数派の部族で構成されているようだ。国軍側の事実上TOPはこのアラブ系から、事実上No2は非アラブ系だそうだ。この2人の対立が激しく、国軍と民間軍であるRSF(No2が指導者)の武力衝突が起きた。
過去にもアラブ系と非アラブ系の民族紛争の歴史があるが、今回僕が難民キャンプで出会ったのは皆マサリットという非アラブ系民族である。
今回の国軍とRSFの武力衝突が激化し、マサリットが迫害される状況が起こった。

あるマサリットの人は僕にこう説明した。
スーダン西部のとある町の北と南に関所がある。その町の周辺に住んでいる人たちは、暴力によって北へ北へと追いやられ、北の関所で皆足止めをくらう。そこで南側から追ってきた兵に銃を向けられ多くの人がなくなったそうだ。さらにそこから、北の兵士たちが彼らを南へ南へと押しやる。マサリットたちは散らばって逃げるしかなく、それはまるでハンティング(狩猟)さながらだった、と。

2023年9月 僕らが作った難民キャンプ診療所 初号

時を少し2023年9月へと送ろう。
9月、僕らは難民キャンプで医療アクセスを作るため難民キャンプの真ん中にクリニックを作った。
最初は困難で大丈夫か?とツッコミを入れたくなるほどのただの小屋だったが、2週間で建物もチームも大きくなり、1日200人以上診察し薬を受け取れるまでに成長した。

この難民キャンプ診療所で一緒に活動をしていた薬剤師のスーダン人たちは、僕にこんな想いを打ち明けた事もあった。

昨日2人目の子供が生まれたんだ!それはそれはかわいいんだ!
生まれ育った地に対する思い入れはもちろんあるよ。でもあそこには帰れない。
戻っても銃を突き付けられ殺されるだけ。あいつらは人間じゃない。
僕らは新しい生活をここで始めるしかないのさ。

2023年9月後半。
彼らは、チャド難民キャンプでの僕の活動の期間中にチャド国内にある新しく整えられたスーダン難民の為地域に移動していった。
彼らの生活が少しでも安定し、一日でも早く彼らにとっての当たり前の生活が築けますように。そして、この紛争が一日でも早く、一人でも少ない犠牲で終わりますように。

明日がくることを、希望として思える日が1日でも早く来ますように。
そう願わずにはいられない。

【余談】チャド人とスーダン人の混合チームの言語の面白さ
この時の診療所チームはチャド人とスーダン人(難民)の混合チームで編成されていた。使用言語はチャド人はフランス語とアラビア語。スーダン人は英語とアラビア語。僕は、フランス語と英語。アラビア語もチャドとスーダンでは違うらしく、彼ら曰く完璧にはわからないがなんとなく言っていることはわかるらしい。どぎつい方言の地方の方と話している感覚に近いのだろうかw 僕はというと、隣り合って座っているチャド人とスーダン人に英語とフランス語を使い分けて話さないといけないため頭の中はいつもぐちゃぐちゃで自分で英語をしゃべっているつもりでもフランス語でしゃべっていることもあったw 2026年頃には、アラビア語でコミュニケーションが取れるようになりたいので学習を続けていこうと思う。

タイチロの余談シリーズ

モルヒネの在庫と熱傷の少年

2023年7月夜のテント病院

2023年7月。僕らの紛争地医療活動へと話を戻そう。

病院ある日、全身熱傷の少年が救急テントに運ばれてきた。特に頭から上半身にかけてひどいやけどを負っていた。少年の状態は非常に厳しく、僕の経験上、先進国の医療でもこの少年の命を救うのは非常に困難なほどだと思う。
当時の僕たちには、全身熱傷の彼を適切に治療するだけのデバイスを備えておらず治療に限界があった。
熱傷ケースに限らず、限られた資源の中でより多くの人を救うために、誰に何を使うのか優先順位をつけ、限りある医療資源を助かる可能性の高い患者に効果的に使用するための治療の選択、これを僕たちは日々迫られる。
これをトリアージというが、文章にする以上に神経を使う。
僕らの意思決定が患者の命に関わるのだから。

少年は四六時中火傷の激しい痛みに襲われ続けていた。
意識ははっきりして、僕が声をかけると目でじっと僕を追いかける。
はっはっと浅く早く呼吸をしている。
唇は焼けて歯が常に見えているため言葉を上手に発することはできないが、この世の終わりともいえる苦痛の表情をしながら、うーうーと常に訴えている。
眠ることすらできず、何日も何日も悶えていた。

上にも述べたように、この少年のケースはトリアージで言うと黒(黒、赤、黄、緑で表される)で助かる見込みが非常に少なく、限りある医療資源を彼に割り当てることは当時の僕らには積極的には推奨されない状態だった。
特に当時の僕たちチームは、モルヒネという非常に強力な痛み止めの薬が圧倒的に不足していた。
想像以上の患者数と僻地での活動に物流が追い付かず、あと数日で今ある在庫の痛み止めが底をつきそうという状況にまで追い込まれていた。

手術に使うモルヒネを確保すると病棟管理で使える薬はないという状況。僕は看護師マネージャーでもあるから病院管理の立場から考えれば、モルヒネは少年に投与できない、ということになる。

しかし、 しかしだ。

彼の人生を考えたとき、僕はいち医療者として行動を起こさずにはいられなかった。
彼は理不尽な理由で火傷をし、そう遠くない死というものに少しずつ進んでいる。
24時間とめどなく、耐え難い痛みが全身を襲い、彼がこのまま死んでいくというのか。
家族はそれをただ横で見ることしかできないのか。
僕らの出来る治療や薬に限界があることなんてわかっている。

でも、どうしても僕はこのまま彼が死んでいくのが耐えられなかった。
手術を担当する外科チームドクターと話しあい、僕は残り少ないモルヒネを1アンプル、彼の痛みの緩和の為に確保した。
時間にするとおよそ半日ほど。希釈して時間を分けて使ったので1日くらいにはなっただろうか。

僕らは少年にモルヒネを使った。
少年の苦痛に満ちた表情が見る見るうちに和らいだ。
薬を使用した後、彼はすぐに眠りに落ちた。
彼の残りの人生のうちのほんの数時間。
それで彼が満足したかと聞かれれば、そうではないだろう。
でも、ほんの少しの時間でも彼を痛みから解放する時間ができた事。
それは本人にとっても、家族にとっても、そして僕たち医療者にとっても、必要な時間だったのだと思う。

紛争地の医療では、僕たちに出来ることなんて本当に少ない。
もっと医療を届けたくてもできないことばかりだ。
そんな中で、少年の残りの生きる時間の中に少しでも苦痛がなくなった時間を作れた。このことが、その後もこの地で活動をした僕自身にとっての活力になったことは間違いない。
痛みに対してモルヒネを投与。その治療には、患者や家族の為であることはもちろん治療に携わる僕らにとっても前に進み続けるための大きな意味があったのかもしれない。

モルヒネ投与から2日後。少年は息をひきとった。
少年にとって、この人生がどんなものであったのかは僕にはわからない。
これからやりたかったことがたくさんあったのだろう。
理不尽な理由によって人の人生は簡単に変わる。
そして人生の幕を強制的におろされてきた人を僕は数えきれないほど知っている。

生きるというあたり前に続くはずだった時間の流れが変わった人たちに、僕たち医療者には何ができるのだろうか。
例えば、その先に今までとは大きく変わった生きるが待っていたとしても。
例えば、その先に命の蝋燭が消える瞬間がくるとわかっていたとしても。

僕は一人の医療者として、たとえほんの少しの時間だけであっても、
その人が「より良く生きる」を創造できる医療人でありたい、そう強く思った。
限界がある中で「より良く生きる」を常に問い続ける。
この地での僕らの活動は続く。
それぞれにとっての より良く生きる そこに妥協なく。
明日も進む。


※投稿内容は全て個人の見解です。
最後まで記事を読んでいただきありがとうございます!
よろしければフォローも是非お願いします!!
また次回お会いしましょう。
Best,
Tai

✎2024年より✎
2024年1月1日 能登半島地震で被災された皆様、1日も早い安心安全な日常への復旧を願うとともに災害に関わる医療者として自分に出来る形でのサポートを模索していこうと思います。
亡くなられた方々へのご冥福をお祈り申し上げます。
被災地への僕なりの形として、国内外の災害に精通する医療者として、日本の民間企業の災害支援事業をアドバイザーとしてサポートすることになりました。一般社団法人Nurse-Men のメンバーを中心といた民間の災害対策本部を設置し、中長期的な被災地支援を実施していきます。
ご支援いただけますと幸いです。

尚、ぼくの投稿は全文公開にしていますが、有料記事設定しています。
頂いた金額は2024年1年間は能登復興支援に活用させていただきます。
よろしくお願いします☺

「🏝Naluプロジェクト🏝」
みんなで応援し合える場所づくりとしてメンバーシップを立ち上げ運営しています。2024年で2年が経ちました!興味がある方は一緒にメンバーシップを盛り上げてくれると嬉しいです。


ここから先は

0字

この記事が参加している募集

仕事について話そう

いつも記事を読んでいただきありがとうございます!!記事にできる内容に限りはありますが、見えない世界を少しでも身近に感じてもらえるように、自分を通して見える世界をこれからも発信していきます☺これからも応援よろしくお願いします🙌