5/15 「じょうずに『ひとを許す』ということについて。」

売り切れ


「ひどいことをされた。その相手を許すのは、過去の自分が無かったことにされている感じがして、すごくイヤだ」という問題ね。

「許しは隠滅にすぎない」という意見なんだね。わたしは、ちょっとだけ違う意見だ。

さて、だいぶ意訳するけど、もしも全然違ってたらスマンね。あなたは19歳の大学生で、「過去の自分」について語っている、全体的に「説明的な言葉」が足りていないところなんかを見ると、たぶん親、あるいは兄弟についての問題と推測する。

もしかすると同級生、についてなのかもしれないけど、それにしては言葉に「慣れ」がない。

ひとは集団と対峙して苦しみ悶えたときに、必ず「説明的な言葉」を発達させる。もっと外側に理解を求めるようになる。その過程で、ひとに説明するための客観性が言葉にまとわりついて離れなくなる。

あなたには、ちょっとその形跡はない。年相応ってかんじで、あるていど健全な「悩み」にみえる。よって、ここでは親族への不満と取るのが自然と思う。

うーん。そうだな。お母さんかな?なんだか、幼い子が素朴な疑問についてお母さんに話してるような感じだ。そういう経験が「足りなかった」のかな?お母さんとのコミュニケーションに不足がみえる。

まあ、誰だっていいや。結局、そんなに変わらんことだ。ここでは、一旦あなたの問題を「お母さんを許すこと」と仮定するね。違ったら、『お母さん』の部分にいちばん嫌いなやつの名前を代入して聞いてくれ。

さて、これはたしか「許す」という行為の隠蔽性についての話、だったね。


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