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【作品の価値とは】経済界が芸術に注目、その真価はどこに?

アーティストは作品を創っていると想っている。しかし、自分自身が作品だという意識は高くない。このトピックでは、「作品とアーティストの価値」を、知ることができる。未だ“いい作品”を創れば自身の評価も高まると想いこんでいるアーティストの、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 アーティスト価値評価が先。 』

アーティストの多くは“作品”を生み出すことに躍起だが実のところ作品は、「アーティスト本人の価値」を越えることがないことはあまり知られていない。ここ「アーティスト情報局」ではことあるごとに、“作品とアーティスト本人は価値に両輪だ!”と公言し続けてきた。

だが、極論がいよいよ現実となり始めている。
「作品よりもアーティスト本人の価値が重視され」ておりさらに、「作品よりも先に、アーティスト本人の価値が測られる」という極論の現実化だ。

なかなかに理解されない考え方であるがたとえば、常識を覆されるほどの美味しそうな料理を爪の汚れたシェフが提供したならどうか。その料理は世紀の逸品ではなく、ゴミである。アーティストの作品評価にいま、同じことが起こり始めている。

状況はさらに加速し、「アーティスト本人のみの価値」で作品が売買される状況を迎えている。それもかつてのコレクターアイテムとしてだけではなく、メジャーの芸術ステージにて。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:モハメド アリの知られざるアートがオークションで大ヒット

ボクサーのモハメド アリが描いた十数点の作品が、火曜日に行われたニューヨークのオークションで100万ドル近くで落札された。

ボナムズ社がパークアベニューの本社で開催したこのオークションには、アリが1970年代に描いた知られていない26枚のドローイングやペインティングが出品された。

アリがボクシングで勝利を収めた際に描いた「Ali’s Sting Like a Bee」(1978年)は、英国のコレクターに42万5,000ドルで落札され、アスリートの芸術作品としては記録的なものとなった。この価格は、最低予想価格の10倍。この作品は、1979年にミシシッピ州で映画「Freedom Road」を撮影した際に制作されたものだ。他にも、1979年にキャンバスに「I Love You America」と書かれた作品が15万ドル、1967年に描かれたフェルトペンによるスケッチが2万4千ドルで落札されている。

ボナムズ社はアリの作品を販売することで、歴史的なスポーツ選手の記念品に対する需要の高まりを利用した。Sotheby'sやChristie'sのようなオークションハウスは、最近、新しい資金とノスタルジアを好むコレクター層を惹きつけるために、これらの作品をより多く売り出している。Bonhams社はこれらアリの作品を「アウトサイダー アート」と呼ぶことにした。

ニューヨークのRoギャラリーのディレクターであるロバート ローガル氏は、アリの版画を1000ドルという低価格で販売してきた。「これらのアイコンが生み出したイメージにより、作品は非常に収集価値があります」と述べている。 - OCTOBER 01, 2021 ARTnews -

『 ニュースのよみかた: 』

元世界チャンピオンのボクサーが描いていた趣味の画が、メジャーオークションで高騰中。そこはコレクターアイテムの売買ではなく、メジャー芸術マーケットだという記事。

今日ほど一般人が芸術への購買意欲を持っている時代はない、と言われる。だが実のところ日本にはかつて、“浮世絵”という文化があった。江戸時代に発展した町人の間のブームであった浮世絵とは、高価な娯楽や旅の代わりに手に入れる“手に届く芸術”であったわけだ。

その点でこの、“著名人の残した記念品”はまた「芸術」と評価されることに疑う余地はないなにしろ現実には、その“アーティスト自身”も含めてこその作品価値なのだから。

『 芸術表現×アーティスト=作品価値 』

どちらかがゼロであったなら、作品にはなり得ない。
また、作品価値の可能性はこそ、無限大である。

そこまではシンプルな話なのだが現状では、
一般人は本物と偽物の区別がつかず、NFTの出現で価値の本質はさらに曖昧になり続け致命的なことに、アーティスト本人が「作品価値」を理解していない事態に陥っている。

近年増え続けている“現代アート”が、
誤解を招いているように感じているのだ。

『 アーティストは“現代アート”を理解すべき。 』

作品創造のプロフェッショナルであるアーティストならばこそ、社会の認識に応じて変化し続ける“価値”を理解している必要がある。それは、「価値基準の方程式」を理解することでもある。くれぐれも、“金”や“流行”の話ではなく“価値基準”についての解析であることを理解頂きたい。

端的に書く。詳しくは調べれば良いのだから、結果だけでいい。

・現代アートはどう生まれた?
:第二次世界大戦から逃げた芸術家が好景気なニューヨークへ
:パリに勝てなかったニューヨークでは“抽象表現主義”が人気だった
:美術評論家も移動していたので当然に抽象表現を絶賛、ブームになる
:マルセル デュシャンというスター誕生

・マルセル デュシャンとは?
:「観念の芸術」を提唱、目で受ける刺激や快楽を与えるだけの芸術を網膜的絵画と批判し、鑑賞者の思考の中で創造的行為が行われることで作品が最終的に完成する、と宣言。現代アートに“方程式”が誕生し、現代に至る。

つまり、ただメチャクチャを演じた学生や素人作品には方程式に則った哲学が機能していない、ゴミだと答えづけられる。

メチャクチャにはめちゃくちゃ流の、ルールと方程式がある。

『 アーティスト格差 』

アーティストの格差が、急拡大している。無能と天才の差は相変わらずだがそれではなく、「知る者」と「無知」による結果の格差だ。

現代の作品を構成する「芸術表現×アーティスト」の方程式を知らず、デファクトスタンダードをアップデートし続けていない“アトリエ部屋おじさん”に騙されて作品を鑑賞、ましてや購入するド素人はもう一般人の中には存在していない。情報検索力に優れて高度に進化した観客たちは、アーティストの放つ“本質”をも、見極める力を備えた。

気付いたなら、学ぶべき。
日常の安定的な創作を求めるならそれは“職人”への路であり、ビジョナリーとして世間に提起するアーティストにはなり得ないのだから。
不規則不安定不均衡なメチャクチャには、ルールと方程式がある。
知ったら、学ぶべき。それは、アーティストの資格である。

『 編集後記:』

「アニメーションを、飾りたい。」と言われた。

わたしはその言葉をシンプルな概念だと想いこみ、“オリジナル原画展”のようなアーティスト個展を準備した。しかしそのアーティストはオリジナルの、“アニメーション”を描き始めたのだ。意味が判らない。原画展示に“動画”は必要ないのだから。アーティストはもう一度、言葉を選んで伝えてきた。

「アニメーションを、飾る」

わたしはやっと、理解した。
“アニメーター”という職業を生きるこの超一流アーティストは今日まで、“作品の中”にいた。そしていま、作品と共に現世に出現しようとしているのだ。

わたしたちは、アニメーションを、飾る

 OCTOBER 15, 2021 - @ GINZA TOKYO

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アーティストたちの影なる闘いに敬意をこめて、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記