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なぜ歴史投稿を始めたのか【歴オタがゆく】

 ひとみ@反・関ケ原合戦です。
 いつも拙い記事をお読みいただきまして、ありがとうございます。 
 今日は少し趣向を変え、私がなぜ歴史投稿を始めたかを書いてみたいと思います。

 その切っ掛けとなったのは、2017年に九州国立博物館で開催された
 「新・桃山展ー大航海時代の日本美術ー
という展示でした。

 当時美術鑑賞にはまっていた私は「新・桃山展」に「狩野永徳の唐獅子図屏風が出る!」と聞き、それを目当てに1人で太宰府市まで運転して観に行きましたが、桃山という時代、そして地元の歴史をあまりにも知らなかったことに気付き愕然としました。

 それまでも歴史は好きでした。子どもの頃から大河ドラマや偉人の伝記などで歴史に親しみ、長じてからは司馬遼太郎を読み漁りました。特に坂本龍馬や高杉晋作などが活躍する幕末が好きで、幕末関連の本を購入したり、萩に旅行も行き幕末の史跡を巡っていました。日本史は学生時代の得意科目の1つでした。
 
 その私が「新・桃山展」を観て、以下のような地元の歴史の話に全くついて行けなかったのです。


「王直・・って誰?何で倭寇の親分が南蛮貿易に関係するの?」

「有馬晴信・・え?この人何で山梨県に流されて亡くなってるの?島原じゃなかったの?」

「伊東マンショの肖像・・長崎歴史文化博物館所蔵・・え、地元にこんなのがあったの?天正遣欧少年使節って教科書で習ったけど、使節団の少年も、派遣したキリシタン大名の大村純忠も有馬晴信もよく考えたら地元じゃん!」

「オランダ人・・出島で貿易したよね。南蛮人って、ポルトガル・スペイン人のことでオランダ人は紅毛人って言うんだ。南蛮貿易も日蘭貿易も区別がついてなかった(汗)」


 
 歴史が好きだとはいえ、教科書と子どもの頃に読んだ伝記、大河ドラマ位の知識しかないことに気付いたのです。長崎に住んでいてこれでは恥ずかしい (*/□\*) と思い、少しずつ地元のことを調べて、その成果をSNSに投稿するようになりました。

 幸いといいますか、SNSで参加していた歴史グループのメンバーには九州在住の人が少ないので、少しでも長崎や九州のことを知って欲しくてレポートのつもりで投稿していました。コロナ禍で県外の旅行や美術館に行きにくくなったことも、地元の歴史にのめり込んだ理由の1つでした。投稿するからにはいい加減なことを書くわけにはいかない、とネットやら文献やら読み漁り、時には史跡を巡っているうちに、いわゆる歴史の「沼」に嵌ってしまったのが実情です。
(下の鈴木春信の絵はイメージ。こんなに若く可憐ではありません/笑)

本を読んでいる2人の若い女性/鈴木春信(シカゴ美術館所蔵)

 ちなみに、この「新・桃山展」の公式図録は資料も豊富でビジュアル的に解りやすく、今でも手元に置いて参考にしています。

 
 「沼」に嵌るあまり、昨年12月には所属している歴史グループが作成した同人誌に初めて寄稿する機会を得ました。
 実はこれまで、関ヶ原合戦は遠い美濃国の出来事で地元の大名である大村氏、有馬氏にはほとんど関係がないと思っていましたが、文献を探したところ、西肥前の諸大名が合戦前後なかなか面白い動きをしていることがわかってきました。
(ご興味ある方は以下のリンクをご覧ください。)

 
 これからもSNSやnoteに歴史投稿を続けていきたいと思います。
 その成果をいつか「肥前国シリーズ」としてまとめることができればと思いますので、今後とも応援の程よろしくお願いいたします。


*文中挿絵はシカゴ美術館のパブリックドメインから借用しました。
リンクは以下です。


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