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少し長いタイトルです。(『歴史愛好家のための日本の歴史~平安時代編~』)
お待たせしました。(どなたか待って下さってたのかしら・・)
2024年2月29日、私が活動しているFacebookの歴史グループ【歴史Mind】の6冊目の共著本が出ます。
タイトルは少し長く『歴史愛好家のための日本の歴史~平安時代編~』です。
今年の大河ドラマ「光る君へ」で一躍(?)平安時代ブームがきておりますが、今回はその平安時代を
した考察本です。
今回、私は本編第九章「紫式部と藤原道長
肥前有馬氏の足跡を追って⑤【廬山寺 菊亭ジュスタの墓】(2023/10訪問)
蔵出しですが、2023年10月に京都市上京区にある廬山寺の菊亭ジュスタ(有馬晴信継室)の墓にお参りしました。
蘆山寺は天台系のお寺で、かの紫式部の邸宅跡といわれています。拙著「紫式部と藤原道長ーそして、物語は残ったー」(2024年2月 ㈱And Tech発刊『歴史愛好家のための日本の歴史』所載)の取材を兼ねての訪問でした。
ここで、有馬晴信についておさらいします。
【肥前有馬氏第14代当主 有
肥前有馬氏の足跡を追って④【延岡城】(2024/4/29訪問)
前回の③に続き、肥前有馬氏と延岡城のことを書きます。
*前回の記事はこちらです。
内藤記念博物館を見学した後、雨足も少し弱くなってきたので延岡城跡へ移動。
西の丸跡にある博物館からも石垣が見えていました。
シリーズ③にも書きましたが、築城したのは初代藩主の高橋元種です。
高橋元種について、実はこの時点で"高橋氏だから岩屋城の戦いで有名な高橋紹運の系統?"くらいの知識しかなかったのですが、後で
肥前有馬氏の足跡を追って③【内藤記念博物館】(2024/4/29訪問)
肥前有馬氏が慶長19年(1614)に移封された延岡の地を念願かなってGWに訪問することができたので、昨年5月に投稿した記事「肥前有馬氏の足跡を追って」シリーズの続きとして投稿したいと思います。
*昨年投稿した記事はこちらです。
ここで戦国~江戸初期の肥前有馬氏について少しだけおさらいします。
【戦国~江戸初期の肥前有馬氏】
・鎌倉時代から肥前国有間荘(現在の長崎県南島原市北有馬町、南有馬町付
與賀神社訪問@佐賀県佐賀市 (2024年4月)
先日のことですが、佐賀市与賀町にある與賀神社にお参りしました。
*HPを見たら、読み方は「よが」ではなく「よか」と読むようです。
上の写真にある三の鳥居は「肥前鳥居」とよばれる肥前国(現在の佐賀県・長崎県)にある独特の形の石造りの鳥居です。
慶長八年(1603)の銘があり鍋島直茂公夫妻の名前(「豊臣朝臣直茂」「藤女」)が刻まれています。
(ところで余談ですが、佐賀市内の神社は平地にあることが
江藤新平と大隈重信 ー大隈重信記念館訪問ー(2024年4月)
先日「没後150年特別展 江藤新平」を観た後ですが、同じく佐賀藩出身で明治新政府で活躍した大隈重信の記念館が佐賀市内にあるので、訪問してみました。
2人は藩校、弘道館で共に学んだ友人で、国学者である枝吉神陽の下「義祭同盟」に名を連ねた同士でもありました。維新後ともに明治新政府に出仕しますが、征韓論では袂を分かち大隈は大久保利通側につきました。
しかしながら、征韓論に敗れた江藤が佐賀の不穏な様子を鎮
「没後150年特別展 江藤新平」を観覧して
明治初期の混乱期に肥前佐賀藩から彗星の如くあらわれ、わずか数年間で日本の司法制度の基礎を確立した江藤新平。
現在、佐賀城本丸歴史館で開催されている展示を、満を持して観に行くことができました。
(佐賀市内は自宅から車で1時間半くらいなので、ちょっとしたドライブ感覚で行けるのです。)
私の江藤新平に対する思い入れは、以前、長南政義先生の講演を聴きに行った時の記事にありますので、よろしければ御覧下さい
久能山東照宮訪問(2023年5月1日)
2023年のGWのことですが、共著本『家康考』執筆ご褒美の旅として静岡へ行きました。その2日目に久能山東照宮を訪問。
ご承知のとおり、久能山東照宮とは徳川家康公をご祭神としてお祀りした全国にある東照宮の総祀にあたる神社です。
下から階段で昇ることもできるそうですが、その気力体力がないので、この日は日本平からロープウェイで上りました。
8:10位に日本平に到着し、余裕だと思っていたら、8:30
西彼杵郡長与町にある岩淵神社。
川沿いにある小さな御社で、境内はきれいに整えられ清浄な気にあふれています。
階段を上りまず目に入るのは加藤清正公をお祭りした加藤神社。
更に上ると拝殿があり、中に入って参拝することができます。祭神は八意思金神様。地域の方に親しまれている神社です。