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代ゼミで小論文「D判定」だった凡人が、10数年経ってwebライターをしている話

10数年前、大学受験に向け代々木ゼミナール(代ゼミ:)に通っていました。仲の良い友達は現役で進学していたこともあり、今でいうところのぼっちな浪人生です。この記事を書くにあたり通っていた津田沼校(千葉県)が元気か調べてみたら、2015年に廃校したそうです。

それはそうと、受験科目の小論文を毎週1コマ(90分)受講していたんですが、定期的に行われる「小論文を書くテスト」はいつもD判定でした。A~Eまでの5段階評価で安定の下から2番目。AやBを獲得するクラスメイトが羨ましく、その才能に憧れていました。

そんな凡人が、いまやwebライターとして文章を書く仕事をしています。

受講した小論文講座ではいつもD判定

高校時代から文章を書くのが苦手でした。先生方の言う「起承転結」が理解できなかったからです。理解できたのは、“自分で問題を提起して(起)落ちをつける(結)”ところまで。承・転は全くわかりませんでした。いまでもよく理解していません。

厄介なことに志望校では小論文が必須受験科目になっていました。合格するためには苦手を克服しなければならず、それで代ゼミの小論文講座を毎週1コマ受講していたんです。

講義では、例の起承転結をもとに文章の書き方を教わりました。正確に言うと「教わったような」気がします。30代くらいで声と雰囲気の柔らかい、優しい男性講師だったことは覚えているんですが、教わった内容はほとんど記憶に残っておらず。

はっきり覚えているのは、定期的に行われた「小論文を書くテスト」でいつもD判定だったことだけ。たしか600文字程度の文章を書くテストだったんですが、毎回400~500文字弱しか書けずに字数不足で低評価をいただいていました。

当時は、自分の考えをアウトプットするのに抵抗がありました。「こんなことを書いていいのか」「内容のないことを書いても意味がない」といった感じで。

自分の考えに自信が持てなかったり、価値を見出せなかったりして筆がとまってしまい、規定文字数を書くことさえ難しかったんですね。

大学入学後も、論文形式のテストでは再履修に

それで、なんとか大学に入学できてからも「文章を書く」という難題に苦しめられました。

そのひとつが論文形式のテストです。

進学した大学は医療系で、科目の中には論文形式で定期試験を行うものがありました。例えば、「発達障がい児の支援について私見を述べなさい」みたいな。

講義で勉強した内容をもとに挑む論文テストだったんですけれど、いざはじまると、やっぱり自分の考えを文章にする抵抗感を感じ、90分かけてもテスト用紙の8割も書けませんでした。

「こんなこと書いたら頭の悪い学生と思われるかも」とか考えながら、書いては消してを繰り返していたんだと思います。自分で言うのもなんですが生真面目で模範的な学生でしたし、講義を担当していたのが業界では有名な大学教授だったんですね。

要するに、自分に良い印象を持ってもらいたいがために、下手なことを書くよりも字数不足で提出することを選んだんです。

テスト終了後、結果が出るまでは淡い期待を抱いていました。おそらく先生は真面目に講義を受ける姿勢を加味してくれて「(文字数が足らなくても)大目に見てくれるだろう」と。

もちろん、そんなことは全然なくって。結果的には“不可”判定をもらい、翌年も同じ講義を受けることになりました。

なぜ文章が書けるようになったのか?

予備校から大学まで、文章を書くことについて全く能がなかったわけですが、あの頃から10数年が経ち、気づいたらフリーライターとして働いていました。ありがたいことにリピート発注してくださる取引先もあり、活動開始から数年が経過しました。

いま、なぜ文章が書けるになったか考えてみると、それは「仕事で文章をたくさん書いたこと」が大きな要因だったように感じます。

勉強や趣味とは違い、仕事となればそこには「責任」が発生しますよね。

約束した日に納品できなければ、取引先に迷惑がかかります。

全く内容のない記事では、取引先に(参考にならない、読む気にならないと)何度も修正を求められます。

そうこうしているうちに、どこからも仕事を発注してもらえなくなってしまったら死活問題です。

となれば、誰だって必死になるはずです。僕の場合も「文章を書きたい!」というよりも「文章を書かなければ!」という感じで。

取引先のため、何より自分や家族のために必死にやってきて、結果的に「文章が書ける」ようになった気がしています。

文才がなくてもwebライターになれた

noteのタイムラインを眺めていると、「webライターを目指している」とか、「webライターになったのはいいものの文章が書けない」とか、そうした目標や悩みをよく見かけます。言うまでもなく僕もそうでした。

そういう時期は、文才のある人、高い教材・セミナー、それからライティングの資格といったものが気になります。特殊なスキル・資格があったほうがより良い文章を書けるのかもしれませんが、少なくとも「文章で飯を食う」ために必要なのは仕事として実践的に文章を書くことでした

いまは、クラウドソーシングサービス等をはじめ、副業感覚でできる仕事も無数にあります。数をこなしていくと、自分の型ができたり、頭の中の考えを早く文章化できるようになったりして、文章を書くことに自信もついてきます。

文章を書きたいにしても、文章が書けないにしても、ひたすら書くのがwebライターに与えられた使命ではないでしょうか

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