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私が回想録を作るわけ、そもそものはなし。

今日は、回想録を作り始めたきっかけについて話したいなと思います。

そもそも、本当にそもそもの話まで遡ると、「捜神記」という本が好きだったことが始まりです。この本は、4世紀半ばごろ、東晋の干宝という人物が書いた「志怪小説集」のひとつと言われています。たまたま本屋さんで手に取って読みはじめたら面白かったと言うだけで、この手の本に詳しいわけでは全然ないので、以下、解説より引用します。

志怪小説は、前述のごとく、作者が構成に意を用いて、いわゆる小説の世界を展開してみせるというようなものではなく、あくまで事件そのものを伝えるという記録性にその特徴がある。したがって、話の面白さは、素材の珍奇さに寄りかかっていると言える。

「捜神記」干宝/竹田晃訳/平凡社ライブラリー/解説より

この本には、464つの話が載っています。驚いたのが、ありえないような珍奇な話がしれっと事実っぽく書かれていることです。煙に巻かれるというか、えっ?って感じで数行で終わります。「こういう事件(出来事)がありました(終わり)」みたいな感じです。「あっけなさの容赦のなさ」と「奇想なのに当然ぽく言ってくる感じ」が、まさにツボにはまって面白いのです。

干宝自身も、話の真実性について原序で述べています。

いま私がここに収録したもののなかに、先人の記録に記載されている誤りを、そのまま受け継いでいるものがあれば、それは私の責任ではない。また、たとえ最近のことを採録した場合に、偽りやまちがいがあったとしても、同様の欠点は昔からあったものであるから、これに対する非難は、いにしえの賢人や前代の学者たちと分け合って受けることにしたい。

捜神記原序より

結構堂々としています。でも、紙一重な感じが面白いんです。訳者の方の解説を読むと、これらの話は説話(伝説や民話、昔のうわさ話的な)のようですね。今でも都市伝説と言われる噓のような真実が隠されているような、ゾクゾクする話がありますが、そんな感じでしょうか。

話の引用はしませんが、ぜひ、立ち読みでもいいので(良くはないか)一読してもらって、その破壊力にツッコみを入れてもらいたい気持ちです。

そして、話を最初に戻しますが、この本により「記録性」の面白さに気づかされて、自分も今の時代を記録として残してみたいと思ったのです(内容が事実かどうかが重要ではなく、それが語られたということが重要だと考えます)。この本は4世紀中ごろと言われています。日本だと古墳時代。この頃の人々が何を考えていたか、記録(書物)が残されていたから知ることが出来たわけです。

文章の良いところは、視覚の情報ではなく想像で理解するところです。装飾品とか民具とか建築物とか、それらは現代とのギャップを意識させますが(そういうものも大好きですが)、人のこころが書かれた文章は視覚化されない分、今と変わらないなと親近感がわきます。4世紀の人と自分が変わらないなって、良いような悪いような、でもちょっと嬉しい気もします。

回想録は、その人の一生が本人の視点で書かれます。その方が、70年生きていたとして、70年間の日本を知っているということです。それもその方の物語として経験している。歴史的な出来事だけでなく、その時代の人々の体験やこころが記録として残るのは、とても重要だと私は考えています。本人の歴史、家族の歴史、日本の歴史、人の歴史。今は当然でも、きっと、もっとずっと先に、どこかの読者が私と同じように興味深く読むかもしれないと、淡い期待を持っているのです。


ここまで読んで下さり、ありがとうございました。


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