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【短編小説】病はメッセージ~俺は間違っていた!?~

病はメッセージだという。

受け取らなければ、何度でも運ばれてくる。

正義はようやく二度目でメッセージを受け取った。


「俺は間違っていたのかもしれないな」

診察室を出た正義(まさよし)の手には診断書があった。

診断名は「うつ病」、休職期間は1ヶ月となっている。

とりあえず診断書が出たことに正義は安心した。

「間違っていた」と素直に思えたこと自体が成長とも思えた。


吉野正義、40歳。

30歳から教職の道に進んだ転職組だ。

最近、教師不足から転職組の教員に出会うことも増えたが、この業界ではまだまだレアな人種だ。

逆に2世3世の世襲教員は多い。

「間違っていた」と思えた出来事は、10年前にさかのぼる。

初任校での思い出だった。

朝、最寄り駅から学校へ歩いていると、コインパーキングから見たことある顔が出てきた。

「シー!」

立てた人差し指を唇に当てたのは、美術科の森先生だ。

「学校には秘密にしてくださいね」

定期券として交通費は支給されているし、車通勤は禁止されていることは教職1年目の正義にもすぐにわかった。

森先生は正義より少し年下だが、教員歴は長い。

ただ同じ「講師」という立場だ。

学校の先生といえば皆同じと思われるが、採用試験に合格した教諭と合格していない講師がいる。

「期限付き講師」ともいわれ、産休や病休、学力向上の補助などとして現場に採用される。

講師とはいえ教員免許がないと採用されない。

かといって講師が教諭より劣っているという訳でもない。

むしろ教諭という身分にあぐらをかき、鼻持ちならない教諭が少なからずいる理不尽さは、1年目で身に染みて感じていた。

「去年まではタイにいました。お金がなくなったので、また講師を始めました。」

講師としてお金を稼ぎ、海外で遊んでは、また現場に戻ってくる。

昼食にコンビニのお弁当をほおばりながら森先生の身の上話を聞いた。

「なんだこの腰かけ教員は」

正義は正直、あきれていた。

特に初任校で教育熱も高かったことから、正義は森先生を毛嫌いしていた。

さらに決定的だったことがある。

採用試験の申込みの時の出来事だ。

毎年、4~5月にネットで申し込みをする。

「森先生、いけた?」

教頭先生が心配するなか、森先生はパソコンに向かって一生懸命申込み作業をしていた。

今日は申込み最終日、それも締め切り時刻ぎりぎり。

「あー、ダメでした」

それを聞いた教頭先生をはじめ周りの教員も残念がる様子は見せるものの、それほど深刻に心配した様子ではなかった。

正義にはすべて信じられない光景だった。

なぜもっと早くから申し込みをしなかったのだろう。

本当に採用試験に合格したいのだろうか。


合格してはいけない理由があったのだ。

いまの正義には、あの時の森先生の気持ちが手に取るようにわかる。

合格してはいけない、いや合格したくないのだ。

合格して教諭になってしまえば、担任を持ったりと責任が重くなる。

一方、正義は早く合格して担任を持ち、3年間生徒を見たいという気持ちが強かった。

だから当時は、森先生の言動がまったくわからなかったし、受け入れがたかった。


「遊びがメインで仕事はサブ」

精神科医である樺沢紫苑氏の『精神科医が教える 毎日を楽しめる人の考え方』に書いてあった一文を正義は思い出した。

「物事を継続する秘訣は楽しむこと」ともあった。

ん!?

これ森先生のことじゃないか!!!

正義は、頭に稲妻のような衝撃を受けた。

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」

正義の父である昭雄がよくいった言葉である。

人生は苦しいものであると正義はずっと思っていた。

森先生とは正反対である。

森先生は、遊ぶために働いている。

正義は初任校以来、自分を犠牲にしてまで学校に尽くしてきた。

10年後、正義はまさか大学病院の精神科に行くことになるとは夢にも思わなかった。

「教諭」ってなんだ
「働く」ってなんだ
「生きる」ってなんだ

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」

人生は苦しいものではなかったのか。

苦しかった人生が、さらに苦しくなった。

重荷をさらに自分で重くしていたような気がした。


いくつか学校を変わったが、どこにも正義の居場所はなかった。

それどころか、いつも疎外感があった。

よく考えれば家庭でも孤独だった。

連休も部活動があり、小さかった我が子の相手もろくにできなかった。

すきま時間を見つけて教材研究。

生徒は喜んでくれたが、夫婦仲は険悪だった。

居場所とは心理的な居場所であって、物理的な居場所ではない。

家や家族がいても孤独を感じていれば、心理的な居場所はない。

「好きな楽器と出会えば、宝くじが当たるよりも幸せな人生だ」

これは社会心理学者である加藤諦三氏の『自分の居場所をつくる心理学』の一文だ。

副題は、「The psycology of establishing your identity」と英訳されていた。

居場所をつくる=アイデンティティの確立」と英訳されていたことに正義は気づいた。

これがまさに、『自分の居場所をつくる心理学』の結論だった。

心理的な居場所をつくることは、アイデンティティの確立が不可欠だと。


「あなたから会社をとれば何が残りますか?」

アイデンティティは2種類ある。

役割アイデンティティ自我アイデンティティだ。

学歴や肩書、父親などは役割アイデンティティ。

簡単にいうと、自我アイデンティティとは、一人で楽しめることがあるかということである。

それが自分にとって仕事だと勘違いしている人は意外と多い。

自我アイデンティティがないので、仕事に逃げているといった方がわかりやすいだろうか。

自我アイデンティティが確立し、仕事が趣味の延長戦だったという天職の場合もある。

正義は前者だった。

自我アイデンティティがないので、役割アイデンティティである仕事に逃げるように打ち込んだ。

しかし、その場合、疎外感や孤独を感じ、どこかでしわ寄せは必ずくる。


楽しいことはお金をかけなくてもいいし、他人からとやかく言われても気にならない。

秋晴れの日に散歩して、「気持ちいいな」と思えることである。

人からどう見られるかを気にして、身の丈に合わない車に乗ることではない。


正義は20代の時、一度うつ状態を経験したことがある。

沖縄で行われた友人の結婚式がきっかけで沖縄音楽に興味を持った。

あの不思議な音色、体がついつい動き出してしまいそうになる軽快なリズム。

気づいた時には、通信販売を利用して三線(さんしん)を正義は買っていた。

三線は沖縄の伝統的な楽器で、中国大陸から伝わった楽器だ。

その後、本土にも伝わり三味線となる。

猫の皮で作られた三味線と違い、三線は蛇の皮が張ってある。

YouTubeでお手本を見ながら練習した。

暇を見つけては一節弾いてみる。

誰に聞かせる訳でもない。

ただただおもしろい。

南国の音を聞いていると、本州の寒い冬でも固まった心が躍り出す。

三線が助けてくれたのかな!?

森先生が行ったタイも沖縄と同じ亜熱帯の南国だ。

あれから10年の月日が流れた。

森先生は今頃なにしてるかな?

もしかするとまたタイにいるのかな!?


「俺は間違っていたのかもしれない」


森先生を否定していた正義は、自我アイデンティティの欠如から役割アイデンティティである仕事に逃げていた。

森先生は、遊ぶために仕事をしていた。

別に仕事に一生懸命打ち込んでいる人を悪く言っているのではない。

継続の秘訣は、ものごとを楽しむことである。

仕事でも楽しんでやっていればいい。

苦しい時も当然あるが、基本的に楽しんでいるので乗り切ることができる。

「若い時の苦労は買ってでもせよ」とはいうが、余計な苦労は買わない方がいい。

元メジャーリーガーのイチロー氏は高校時代、寝る前に10分間の素振りを365日3年続けた。

「寝る前10分素振りをしろ」と突然、親に言われたらどう思うだろう。

野球部で将来プロ野球選手をめざしているのであれば、まだいい。

特に野球が好きではない子どもにとっては地獄である。

苦労が不必要なのではなく、好きなことをしていても苦労は必ずある。

むしろ苦労や努力の方向性が大切なのだ。

好きな楽器がうまくなりたいから、努力する。

好きなことをする資金を調達する手段として頑張って働くのだ。

森先生の生き方は、ある意味理にかなっていたのだ。


ピローン!

電子音と共に「517」の数字がテレビモニターに表示された。

会計の準備が整ったという合図だ。

正義はもう一度、整理券の数字を確認して立ち上がった。

とりあえず休職は1ヶ月、だがもう10年立った教壇に戻ろうとは正義は思っていなかった。

40歳、人生80年として折り返し地点である。

あと半分は「楽しむ」ことを優先してみようかな。

やっと気づいたよ、ありがとう森先生。

会計を済ませた正義は病院の自動ドアを出た。

昼過ぎだが、優しくなった日差しに気がついた。

もう夏も終わりか。

そんなことに気づく心の余裕を持ったのは、いつぶりだろうか。

「俺は間違っていたのかもしれないな」

正義はようやく病からのメッセージを受け取った。


※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。

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