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本格ミステリについて考えるときに僕が考えること

 先日、ある本格ミステリ作家さんから聞いた話が、ずっと心に残っている。
 その作家さんが取材されたときのこと。記者に、
「本格ミステリって、何ですか?」
 と、質問されたという。
 どう答えたらいいのか迷った作家さんは、
「では、あなたが考える『ミステリ』ってどんなものですか?」
 と、逆に問いかけてみたそうだ。すると、
「殺人みたいな謎があって、トリックがあって、それを探偵が解決するものです(正確ではないけど、そんなような内容)」と答えたそうな。作家さんは、
「それ! それこそが本格ミステリですよ」
 と言ったのだけど、その記者はピンと来てなかったらしい。

その作家さんはこのエピソードを紹介した後、
「『本格ミステリとは何かを知ってもらうためにはどうしたらいいか?』とずっと考えてきましたが、どうやら本格ミステリ以外のミステリについて認識してもらうことが必要なのかもしれません」
 と、話されていた。

ついにそういう時代が来たのか、と僕は感じ入った。そして、これまでのこと、これからのこと、を考えてみたのだった。

本格ミステリ作家クラブが設立された2000年頃は、本格ミステリはミステリの主流とは見なされていなかった。
 たとえば2000年の推理作家協会賞長編及び連作短編集部門は天童荒太さんの 『永遠の仔』と福井晴敏さん 『亡国のイージス』だった。『永遠の仔』はこのミスの1位も獲得している。
『永遠の仔』はミステリだ。だけど○○ミステリと銘打つのが難しい作品でもある。『亡国のイージス』もそうだけどミステリ要素以外の部分に多く筆が費やされ、そちらの方にテーマが強く打ち出されている。
 対するに本格ミステリとは本来、謎と解決を何よりもメインとしたもので、それ以外の要素は謎と解明を下支えするものだ(異論は認める)。
 何よりも謎とトリックと解明の面白さを求める本格ミステリ読者&作者は、それ以外の部分に重きを置くミステリばかりが称揚される状況に不満を持っていた。すでに新本格が勃興して12年の月日が流れていたけど、本格ミステリはエンターテインメントの鬼子扱いだった。だからこそ推理作家協会があるのに本格ミステリ作家クラブを作り、このミスがあるのに本格ミステリベスト10を選出し、乱歩賞があるのに鮎川賞を設立した(と、僕は理解している)。
 あくまで本格に評価軸を置いた運動を起こしたわけだ。

しかし、状況は変わっていく。
 2002年、山田正紀さんの『ミステリ・オペラ』が推理作家協会賞と本格ミステリ大賞をダブル受賞する。
 2004年、歌野晶午さんの『葉桜の季節に君を想うということ』も同じく推理作家協会賞と本格ミステリ大賞をダブル受賞する。
 以下、2011年には麻耶雄嵩さんの『隻眼の少女』が、そして今年2022年には芦辺拓さんの『大鞠家殺人事件』がダブル受賞することとなる。
 今や本格ミステリは、もう傍流でも鬼子でもなくなった。ミステリのメインストリームを走るジャンルとなったのだ。
 援軍は小説以外の分野からもやってきた。たとえば「名探偵コナン」だ。漫画とアニメのダブルで毎週「殺人と謎とトリックと解明の物語」を若い受容層に供給し続けた。
コナン以外にも謎と解明を面白さの主眼としたコンテンツが「ミステリ」として次々と作られ、親しまれていった。
 その結果が、冒頭の作家さんのエピソードだ。
 すでに若い受け手にとって「本格」の文字は意味不明。僕らが本格ミステリと呼んできたものは、ただ「ミステリ」として認識されている。

こんな時代に「本格ミステリとは何か?」について語るとすれば、「本格ミステリ以外のミステリとは何か?」について語らなければならない。
 社会派? 冒険小説? ハードボイルド? ノワール?
 違う。そうした言葉で定義付けできる、ジャンルがはっきりわかるものではない。
『永遠の仔』が、『亡国のイージス』が、『ワイルド・ソウル』が、『ユージニア』が、『ジェノサイド』が、『アラビアの夜の種族』が、『スワン』が推理作家協会賞を受賞した。これらの作品で共通的に表される「ミステリ」とは、一体どのようなものなのか?
そのことを明らかにしなければならないだろう。
 僕にできるかどうかは別として。

そんなことに何の意味がある?
 そう思わないでもない。
 僕の大好きな本格ミステリは今、大盛況だ。
 毎年、びっくりするような傑作が、新しい書き手によって次々と世に送りだされている。
 それに鼓舞されたようにベテラン作家もあらためて傑作を物している。
 本格ミステリは今、我が世の春を謳歌している。

でも、だからこそ、怖い。

僕は知っているのだ。
 本格ミステリが時代遅れと馬鹿にされていた時期があったことを。
 お化け屋敷と揶揄されていた時代があったことを。
 流行なんて水物だ。あっと言う間に流れが変わる。
 いつまた本格ミステリが省みられなくなる時代がやって来ないとも限らない。
 そうならないためにも「本格ミステリとは何か?」「本格ミステリでないものとは何か?」について、何らかの形で語っておく必要があると考えている。

一時期僕は本格ミステリ作家クラブも本格ミステリ大賞も、もう役目を終えたと考えていた。解消してもいいんじゃないかと。
 でも、今は違う。
 本格ミステリという一点で集まった作家が、本格という評価軸のみで選ぶ賞を存続させることは、この先にまたまたやってくるかもしれない「本格ミステリ冬の時代」に備える大事な資産だと思っている。

そのためにも、もうちょっと本格ミステリ作家クラブ事務局長の仕事をがんばらないとね。

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