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ショートショート『空の国』

カルチャーセンターで小説の書き方について教えていたとき、生徒さんからキーワードを出してもらって即興で書いてみせた作品です。



「何だって?」
 思わず訊き返した。
「だから、空の国です。俺の故郷」
 彼は繰り返した。
 俺たちがいるのは屋根の上だった。といってもまだ瓦は葺かれていない。建設途中の住宅だ。
 昼休み、五月の柔らかい風が吹く中、俺は最近会社に入ってきたその男に話しかけた。おまえ故郷はどこなんだ、と。話の取っかかりのつもりだったが、あまりに意外な返答に戸惑う。彼は言葉を継いだ。
「本当の名前は篠宮村です。北陸のど真ん中の、すごい田舎です。無人駅しかないし、バスも一日に四本くらいしか走らない。そんなところです」
「それがどうして『空の国』なんだ?」
「役場がね、村おこしをしようと考えたんです。で、アピールできるものを考えた。その結果が、空だったんですよ。山の向こうから見える真っ青な空。天の川がくっきりと見える夜の空。明け方や夕暮れ時に見えるピンク色の空。それを売りにしようと役場のある職員が発案したんです。『空の国』って名前も、そのときに付けました。少ない村の予算をずいぶん使って宣伝もしたんですよ」
「でも、それは……」
「ええ、空なんてどこにでもある。それを売りにするなんて意味ないですよね」
「で、その村おこしはうまくいったのか」
 俺が尋ねると、彼は苦笑を浮かべる。
「うまくいってたら、俺も村を出たりしません。女房と別れて都会で働いたりしません」
 ふと思った。「空の国」を発案した職員というのは、彼なのではないか。しかしその疑問を彼にぶつけることはできなかった。
 彼は立ち上がり、周囲を見回した。
「でも、あそこの空は、ここよりずっときれいです。それだけはたしかだ」
 俺もあたりを見回した。民家とビルが延々と続く先に薄ぼんやりとした色合いの空がある。雲もなんだか、はっきりとしない形だった。
 彼とはその家が完成するまで共に働いた。が、その後すぐに退社してしまった。最後に彼は俺に言った。
「やっぱり、きれいな空が見たいんです。でも、故郷には帰れない」
 彼は故郷のような空を求めて、どこかに行ってしまった。
 以後、彼のことは忘れていた。思い出したのは数年後、家族で東北へ旅をしたときだった。
 そこで、かつて見たことがない青空に出会った。あまりに青くて自分が吸い込まれそうな気がするほどの空だった。
「きれいね」
 妻が言った。子供たちも青い青いとはしゃぐ。
 その空を見上げながら、彼のことを思い出した。もしかしたらここに彼はいるかも。
 それとも故郷へ帰ることができたのかも。
 どちらにせよ、この空のことを彼に話してみたい、と思った。

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