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葛藤がない

なんとなく見始めて、面白いので次を楽しみにしているドラマ

概要はリンク先をお読みいただければ。
先週の放送は第5回副題は『二番目の夫』だった。
このタイトルとこれまでの経緯から物語の展開はおおよそ予測できる。
自分の予想が的を射ているのを確認して、やっぱりね!と内心にんまりする。
あらすじを追うだけがドラマの愉しみじゃないのだし。

だがしかし。
この回の進展はあまりに思い通りで、そこまで都合よくコトが運ばれる人生があるものか、というより、あっていいのか、いや、物語として作り上げていいのかと思ってしまった。

私にはおかしなクセがある(らしい)
夫とドラマや映画を観ていて、例えばこの『金と銀』で言えば、このような立派なお母さんの実の息子三人がこれほどに仲違いをするものなのか、特に長男と次男は血のつながりを無視したとしても、あまりにお互いを憎み蔑み合い過ぎている、と感じて、夫に言う。
すると夫は、バカだなあ、それじゃあドラマにならないじゃないか、と答える。
いやいやいや、仮に作り話としても、理に叶わないのは納得できない、私の大好きな高島礼子さんが悲しむのが辛い(リアルとフィクションが捩れて交錯している)

まあ、思い通りにならないのが人の世の常で、ましてや子育てなんてこう育てたからこうなる!なんて結果論から作り上げた戯言に過ぎないのは百も承知であるはずだが。

四代目跡取り息子の振る舞いがあまりにあまりなのを見兼ねた私はつぶやいた


死んでくれたらいいのに。

そうしたら、ほんとうに死んでしまったのである。
それはないでしょう!?
何も死なせなくても…
故に『二番目の夫』につながるわけなのだが、これは予測しなかった。
死んでくれたらいいのに、は予測ではなく願望である。
それも、本気じゃない、バーカ、もう一度生まれてこい、と言う程度の。

そしてその後件の母親はさすがに泣いていたが、主役の妻も弟も涙一粒こぼさないのである。
またつぶやく。

建前でも泣けよ!

葛藤、というものがない。
なくなっていくなら、きっといらないものなのだろうか。
葛藤を描いたらドラマのテーマがぼやけてしまうのかもしれない。
ドラマは、そういうふうに見るものなのだろう、たぶん。


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