ローカル線の地下想像力 寺山修司
とんでもないタイトルをつけましたが、きわめてローカルな「万葉まほろば線」の某さみしい駅に、なんと寺山修司の足跡があるというのです。
ほんとか嘘か、そんなお話を聞きましたので、少し地下的な想像力を加えて、ご紹介します。
ここは、JR桜井線、またの名を「万葉まほろば線」といいます。
奈良駅~高田駅間を結ぶJR西日本の鉄道路線です。
14ある駅の北端の駅・奈良駅から南へ四つ目の駅が、天理市の「櫟本(いちのもと)駅」です。
実は櫟本駅を集合場所として、某民俗文化研究会の現地研修(古い町並みや史跡を歩く)があり、これに参加いたしました。(2024.5.11)
この研修の詳細は別記事にするかもしれませんが、今回は、しょっぱなから興味深いお話を伺いました。そのエピソードをご披露いただいたのは、某研究会のサポート会員、地元・櫟本在のF氏です。
な、なんと、寺山修司が、この田舎の櫟本に来たことがあるというのです。
駅近傍に某普通高校が今もありますが、当時は農業高校だったようです。この農業高校を訪れたんですね。朝日新聞に記事が載ったとか。
寺山の目的がなんだったのか、またその年代も不詳です。
「寺山が来たらしい」
F氏も朝日新聞の記事を実見はされておらないようでした。なので伝聞になりますが、これこそ火のないところに、、、ですから真実性はあると思います。
寺山が、この櫟本の農業高校を訪れたのだとしたら、駅に降り立った彼は、当時たいそうな賑わいの駅前に出て、賑わいの通りへは行かずすぐ左折し、、、
線路の反対側へ出るため、線路の高架の下をくぐったことでしょう。
農業高校は、高架を抜ければ、ごく近いところにありますから。(今回私たちはそこまで行かなかった。)
寺山が、このレンガ積みの高架をくぐって行ったのかと想像すると、忘れた記憶を司る右脳のどこかでマッチが燃えたような気が致しました。
ガート下を行く二人のJK。ここは今も高校生の通学路になっているようです。彼ら彼女らに尋ねてみたい。
「知っているか? 寺山を」と。
さて、家に帰ってから、ネットで検索しましたよ。
「寺山修司」「奈良県」「天理市」「櫟本」「○○農業高校」「朝日新聞」、、、しかし、一つたりともヒットしませんでした。そこはF氏が綿密に調査済みだったと思います。
F氏も根拠となる資料は確認できていないようでしたので、ほんとうに寺山の櫟本行があったのかなかったのか、そこんところは、はっきりとは申せません。
はっきりとはしないものの、しかし埋火のような地下想像力がちょこっと目覚めたか、私の青春時代の憧れ、尊敬する人物としての寺山修司が思い出され、再び身近に感じられたことでした。
しかし故郷を憶う気持ちはあっても故郷へは帰らないように、もう寺山の本を読まない私だと思う。
おしまい