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【note】「スキ」という名の優しい嘘-自分の記事に気付かされる-

 皆さんは、noteにおいて、他人の記事に「スキ」をすることに疑問を感じたことはありますか?

 noteの住民にとって、もはや息をするのと同じくらい当たり前な「スキ」という行為。私は図らずも、自分の書いた記事によって、その当たり前について考えさせられることとなりました。今回は、そんな私の気付きの文章です。


 私は以前、「優しい嘘であっても許されない【嘘についての考察】」という記事を書きました。投稿日は4月1日、エイプリルフールということで「嘘」をテーマに投稿したものです。

 何気なく書いたこの記事が、私に思わぬ副作用をもたらしました。

 私は毎日、主にフォローしている方の記事にスキやコメントをすることを習慣にしていました。先述の記事を書いて暫くの後、フォローしている方の記事を読み終わり、「スキ」をしようとしました。いつもなら何の躊躇もないその行為に、突然、自分の内側からストップが掛かりました。そして、次のように問いかけてきたのです。

「本当に面白いと思ったからスキをするのか?」

「それは、優しい嘘なんじゃないのか?」

「自分が記事に書いたことを、自分が守らないのか?」

 自分のことながら、私は驚きました。驚きのあまり、数秒間、体が硬直していたのを覚えています。そして、自分の問いかけに対して、確かにその通りだと思いました。

 私は、その記事を本当に面白いと思ったから「スキ」を押そうとしたのではありませんでした。いつも「スキ」をしているから、自分の記事に「スキ」をくれているから、これからもスキのやり取りを互いに続けていきたいから、条件反射的に「スキ」をしようとしていることに気付きました。

 そこで、一度「スキ」をする手を止め、もう一度記事を読み返し、本当に面白い記事だと思えるか、自分に問いかけました。そして、私は、「スキ」をすることなく、その記事を閉じたのでした。

 これ以降、私が「スキ」をするハードルは上がりました。勿論、本当に面白いと思った記事には「スキ」をしています。先述の「スキ」をできなかった記事を書いた方にも、その後、他の記事では「スキ」をしています。

 しかし、「スキ」の意味合いが変わったことは自覚しました。今までの付き合い的な「スキ」ではなく、より本質的にその記事が好きだから「スキ」をするようになりました。

 これを読まれた方は、自分の書いた記事に行動を縛られるなんて、自縄自縛に陥った愚かな行為だと思われるでしょう。しかし、私はむしろ、束縛からの解放だと感じています。

 今までの私は主体的な目的がなく、義務的に何かを行うという慣習に縛られていました。この慣習の恐ろしいところは、それがあまりに当たり前で自覚することすらできず、無意識に自分の行動が制約されてしまうことです。

 加えて、今回の「スキ」の例は、記事を良いとは思っていないのに良いと評価することで、他人を誤解させ、間違った方向に進むことを助長する可能性がありました。だから、私はこのことに気付けて良かったと思っています。

 「スキ」をする理由が人それぞれであることを、私は承知しています。私の考えは、無数にある解の一つに過ぎません。ただ、この記事が、普段考えることのない「スキ」について、次のことを考えるきっかけになればと思っています。

「自分は何故この記事に「スキ」をしているのだろう?」と。


 最後まで記事を読んで下さりありがとうございました。本稿の感想や「スキ」についてのご意見などがあれば、是非コメントをください。コメントのやり取りを通して、読者の皆さんのお役に立てることがあれば幸いです。

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