ぼっちぼろまる的ニヒリズム 「おとせサンダー」編
少年漫画で描かれるテーマといえば、友情・努力・勝利、そして「恋愛」だ。
一途に主人公のことを想ってくれるヒロインがいて、どんなトラブルがあっても、最終的にはその子と結ばれる……。
しかし、そんなヒロインは本当にいるのだろうか?
もしいたとして、自分と結ばれるなんてことがあるのか?
そもそも、自分は物語の主人公なのだろうか?
年をとって、「世の中は漫画のようにはいかない」とわかってきた人たちは、往々にしてこうした疑問を抱く。
その疑問に対し、儚くも現実的な答えを示してくれるのが、「ぼっちぼろまる」だ。
今回は、彼の代表曲である「おとせサンダー」と「タンタカタンタンタンタンメン」を中心に、少年漫画の呪縛から逃れる方法を探っていきたいと思う。
「ぼっちぼろまる」が描く物語
彼の歌には、
少年漫画的なファンタジーが起こる
↓
でも、日常は大きく変化しない
↓
最後に、ちょっとだけすごいことが起こる
という流れがある。
このことを頭に入れてから(できれば曲も聴いてから)、以下の解説を読んでほしい。
死ぬことより恋が大事
曲の冒頭で、主人公はいきなり稲妻にうたれ、死んでしまう。
そして、なぜか生き返ることができるのだが、その衝撃の出来事について触れることはなく、次の歌詞ではふつうに恋をしている。
稲妻にうたれたことより、蘇ったことより、好きな子への恋心を優先するというのは、一見するとおかしなことである。しかし、ある意味では少年漫画のめちゃくちゃさを、いい感じに皮肉っているとも言える。
神頼みの戦国時代
次に、その子をめぐって、クラスのライバルと戦う様子が描かれるのだが、その姿はなんとも情けない。
隣の席になったり、同じ委員会に入れることを、ただ祈るだけという、非常に消極的な戦い方だ。思わず自分でも、「その根性 叩き直せよ」と突っ込んでしまっているが、次の歌詞ではそれを「戦国時代」と形容している。
少年漫画であれば、好きな人をめぐってライバルと決闘したり、世界を救ったりするのだろうが、現実では全てを運頼みにしている。この落差はあまりにも悲しいとはいえ、現実はそんなものだよな、とどこか納得してしまう。
せっかく稲妻にうたれて蘇るという、とんでもないことが起こったのに、そのことはもうすっかり忘れ去られている。
ただの中二病
ここでようやく、サンダーが登場するのだが、特殊能力というよりかは、単なる比喩表現として用いられている。
この時点での主人公は、「稲妻にうたれて、特殊能力を得たと思ってるイタいやつ」である。ありていに言えば中二病だろう。
「モブキャラたち」というのは、少年漫画でいうところのザコ敵で、「イケメン 運動部」というのは、中ボスや強敵といったところだろうか。彼は厳しい恋の旅路を、少年漫画のストーリーで捉えている。
そして彼は頭の中で、そうしたライバルたちを、必殺のサンダービームでなぎ倒している。だが、さっきも言った通り、現実の主人公は神頼みしかしていない。
たまたま会っただけで主人公気取り
街を行く君を見つけたことで、彼は自分が物語の主役であると確信する。たまたま好きな子に会っただけで、自分を主役と思い込む彼の姿は、見ていて少し悲しくなってくる。
どんな風に登場しようか、と妄想を膨らませていると、謎の男が彼女の近くにいることに気づく。
自己中心的な物語、だけじゃない
もしかしたら恋人かもしれないのに、悪いやつと決めつけ、ヒーローぶってそいつを消し去ろうとするのは、なんとも自分勝手な考え方だ。
しかし、どこかでそんなことはできないと感じており、諦めに近い感情を持っていることから、彼が単なる自己中心的な人物ではなく、ある程度現実をわきまえていることがわかる。
少年漫画的ご都合主義
主人公は、謎の方法で男が闇社会の有名ブローカーであることを知り、なぜか持っていた盗聴器を仕掛けて、きみの悲鳴を聞くことになる。この男はいうなれば、物語のラスボスだ。
このあたりの、びっくりするほどのご都合主義も、少年漫画っぽいと言える。
なぜ「アンパンマン」なのか?
主人公は怖がりながらも、彼女のもとへと向かう。
「ぼくの友達は 愛と勇気だけ」というのは、アンパンマンのことである。ここでカッコいいヒーローではなく、アンパンマンが登場するのは、主人公のヒーローへのイメージが薄っぺらく、彼が子供っぽい人物だからだろう。
そして、なぜかサンダーを出すことができ、悪者を倒すことに成功する。
さっきまでビビり散らかしていたのに、サンダーが出た瞬間調子に乗り始める主人公の単純さは、もはや愛おしくなってくる。
「喰らえ大天罰だ この僕を怒らせたな」「 響けウォウォー これこそが愛パワー」と、偶然で勝ったことに対し、クサいセリフをここぞとばかりに連発する。
ここまで来るとこのダサさが、逆にカッコいい気がしてくる。
ドン引きされるヒーロー
悪者を倒し、ヒロインをピンチから救い出すことに成功したのに、ちょっと引かれているのがなんとも面白い。超能力で敵を倒すと、惚れられる前にドン引きされてしまうのだ。
これは、超能力で全てを解決する少年漫画への強烈な皮肉である。それを、クスッと笑える物語の中に組み込むというのが、「ぼっちぼろまる」のすごさと言えるだろう。
しかし、当の主人公はウキウキで、そんなことはほとんど気にしていない。
そして、「いつか きみに ちゃんと落とすぜ」「ぼくの心 全部込めた超サンダー」と言って、この曲は終わる。
世界を変えるのに、超能力は要らない
好きな子を超能力で助けたことに満足せず、自分の手で惚れさせることを誓う主人公。これは、漫画的なご都合主義から抜け出し、自分の手で物語を作り上げるぞ、という強い決意の表れだ。
これこそ、少年漫画の呪縛から自由になるための、最高の方法なのではないだろうか。
超能力があれば、全てが上手くいくわけではない。これは裏を返せば、自分の望みを叶えるために、超能力は必要ではないということだ。
「起こるはずのない超能力に期待するのではなく、自分の力で世界を変えていこうぜ」という、現実的だが力強いメッセージを、この歌からは感じとることができる。
次回予告
かなり長くなってしまったので、「タンタカタンタンタンタンメン」は次の記事で紹介しようと思う。
この曲も、「おとせサンダー」とは違う魅力のあるストーリーなので、ぜひチェックしてほしい。
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