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eyes(5)

 小学校3年生の時、サッカー少年団に入っていた。僕は練習に参加する気にもなれず、今でもみずかみゆうき、いりえたもんと言う名前をうわごとのように呟く時がある。当時は僕も素直で、皆んなとワイワイ楽しんだりできる関係性が築けると思っていた。あの事件が起きた次の日の朝、僕は学校には行けないかと思ったけど、心持ちは冷静だった。別に二人に会う事が恐ろしくもなかったけど、この小学校を卒業したら同級生と二度と会いたくないなと思った。

 ゆうきが「近くに面白い場所があるから行こう」と僕に言う。

 僕は「良いよ」と答える。

 グラウンドの遊具が置いてある側に脇道がある、ゆうきは黙って進んでいく、僕も後をついていく。その場所は潰れた家が倉庫のように使われていて、今は所有者も分からないような廃墟になっていた。僕は「何が面白いの」と尋ねた、ゆうきは何も言わなかった。もう暫くしてたもんが来た、二人がひそひそ話している。

 ゆうきが突然、「ズボンを降ろして、パンツを脱げよ」と僕に言った。

 僕はだまって彼らのゆうことを聴いて四つん這いになった。

 ゆうきは押しピンを僕のお尻に刺した、たもんは「けつに押しピンだ」と笑った。


 どうして、こんな話しを年度末の今日、思い出しているかと言うと、今日義理の弟さんと話した時に、お兄さんの話になった。


 僕は「山口NECに勤められているのですか?」と尋ねると、

「宇部の別の会社に移っています」と答えた。

 その時にお兄さんはイカ釣りが趣味なんだけど、

「その関係性で仕事を紹介して貰った」と言うのだ。

 僕はとても良い話だと思い、とても勉強になるなと思った。僕は他人と話したり、関係性を作るのが苦手だなと感じ、過去の友人関係を思ってみた。確かにゆうきもたもんも友達だったのである。じゃあどうしてトラウマになるようなストレスがあったのか当時の教育にも深い関係があると思う。


 当時の先生は、生徒が忘れ物をすると、「全体責任だ」と言い、

教卓の前に生徒を並べさせて、一人ずつ平手打ちしていったのである。

 その事に対して、生徒も先生も疑問に感じなかったし、先生と言うものが絶対的な存在だったのだ。僕は今考えるとあり得ない事だと思う。だからゆうきもたもんも人間に対する暴力を安易に考えていたのだと思う。子供も大人の真似をするのだと思う。絶対にあっては許されない事だけど。


 その事件があった次の日学校に行っても、何の噂もなかった。二人から昨日の事を揶揄されることもなかった。でも今でも二人の事を忘れる事はないし、僕の心を深く傷つけた許しがたいことだ。僕は小学校のクラス会には絶対に行きたくないし、今でも謝罪してほしいと思っている。他人というものは信じるものではないし、その本質は恐ろしいものだと信じて疑わない。同時に他人の機嫌を無意識に伺う人になってしまったのだ。


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