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大学を卒業した

 少し時間が経ってしまいましたが,私は,この春,大学を卒業しました

 進路は大学院進学でありますが,大学卒業は人生の大きな区切りのひとつでしょうから,軽く大学生活を振り返っていこうかと思います.

高校生活の終わり

 2020年2月.まだ受験期真っ只中であったその頃に,日本でも「新型肺炎」の感染者が出たと,ニュースで大々的に取り上げられた.
 私にとってはそんなものは,1億もいる日本人のうちほんの数人への出来事であり,当時海外経験の無かった私にとっては他人事であったが,世間にとってはそうでは無かったらしい.
 最後の受験を終え,福島に旅行して,帰ってきたら卒業式は保護者なし,歌唱なしの簡易開催.この頃は新型コロナなんて遠い存在であったから,なぜそんなに慎重になるのか疑問の中,高校生活を終えた.

 卒業したら入学までは自由の身である.卒業式から数日後,前々から行きたかった日本一周の旅に出る.
 3月末には新入生ガイダンス,4月1日には入学式が予定されていた.日本一周は4月中旬まで続けるつもりであったから,3月末には一時帰宅するスケジュールであった.
 「志村けん 新型肺炎で死亡
 世間を騒がせたこのニュースを,私は,宮崎県の門川駅の駅係員から知らされた.いま思えば,芸能人という仕事柄,海外の人とも接触が多く感染リスクは高かったことは容易に考えられる.
 ところが,当時の私にはそれが衝撃的であり,ようやく新型コロナに対する危機感を持つこととなった.

 それと同時に,新入生ガイダンスのオンライン化と入学式の中止を知らされる.とりあえず予定通り一時帰宅したものの,授業開始が1ヶ月ほど遅くなり,とりあえず日本一周の旅を完遂させた.

コロナ禍に始まる大学生活

 2020年の5月から始まった授業はすべてオンラインであった.1コマ90分の授業が,30分の動画と60分あれば終わる課題で済むのだから,ありがたいことこの上ない.
 特に1年生は必修が多く課題も多くいちばん大変な年であると考える.すべてオンラインとなった事を悲観する声は多々あったが,私にとってはラッキーな出来事であった.

 今となっては懐かしいgotoキャンペーンが始まってからは,旅行しながら授業を受けることができ,しかも旅費は激安で,旅先はどこも空いているという,私にとっては天国のような世界になった.

 もちろん勉強も怠らない.せっかくオンライン化で空き時間ができたのである.活用しなくてはもったいない.
 情報学科でも,1年生の頃はプログラミングなどのIT関係の授業は無かったのだが,空き時間を活用してプログラミングを独学した.
 そのおかげであろうか,2年生以降でも好調な成績を取ることになる.

 しかし,全てが良かったわけではない
 私は,大学に入ったら,留学もして,英語力をさらに向上させたいと考えていた.ところが,留学生と話す機会もなければ,オンラインの英語授業ではオンラインとあってやる気をなくし,ほとんど英語を話さず.
 高校の頃の,日常会話なら出来た英語力も,気がつけば向上するどころか落ちていたことは言うまでもない.

対面授業の再開

 2021年に入ると,毎日発表されていたうざったい感染者数も,都内だけで1日1千人を超えてきた.

 そんな中で,未だに自分が大学生になった実感のないまま,大学2年生となった.
 1年間ずっとオンラインは,正直嬉しかったが,2年目も全てオンラインとなると話は変わる.大学1年生のすべての授業が終わり,次年度はどうなるのかとドキドキするなか知らされたのは,「対面授業 一部再開」であった.

 はじめてのキャンパス,twitterで会話していた,本当に存在するかもわからなかった「友達」とのはじめての対面.ようやく自分が大学生になった気分であった.

 2年生に進級するにあたって,アルバイトも始めた.今も続けているこのアルバイトは,私にとって初めての「働く」経験であった.

 2年生にもなると,1年生と比べて授業数は減るが,それでも多いままである.だからオンライン授業がまだ3割ほど残るこの状態は,とても都合のいいものであった.

 一部オンライン授業とあって,課題や復習の時間を取れたこと.1年生のときに独学でプログラミングの知識を身につけていたこと.これらのおかげか,良い成績を収めることができた.
 しかし,英語は未だオンライン授業のままであった.それゆえに,2年生になっても英語を真面目に勉強する気にならず,英語力は落ちる一方であった.

努力の年

 大学3年生となった2022年.少ないながらも外国人観光客が日本を訪れるようになり,アルバイト先でも外国人に対して接客することとなる.そこで,あることに気付かされた.
 「あれ?英語を全然話せなくなっている…
 高校の頃には,留学生とも積極的に話したりと,日常生活程度の英語ならスラスラと話すことが出来ていた私なのに,全然英語が頭に浮かんで来なかった.オンライン授業で英語をサボっていた代償である.

 大学3年生になると,殆どの授業が対面授業となった.ありがたいことに,英語も例外ではなかった.そんな3年生の英語の授業は,いくつか種類がある中から選ぶ方式であった.だから,私は失った英語力を取り戻すべく,スピーキングの授業を選択.さらに,多くの学生が「楽な」日本人の先生の授業を取る中,私は外国人の先生の授業を取った.そのおかげか,スピーキング力だけでなく,リスニング力も再度磨き上げられるようになる.

 英語力を取り戻すためにやったことはそれだけではない.私の大学では,ありがたいことに,留学生と会話する場が用意されている.失われた英語力を取り戻すべく,その場にも積極的に参加した.おかげで,英語力の再向上だけでなく,留学生の友達を作ることもできたのである.

 3年生は,英語以外でも努力する年となった.先述の通り,私はオンライン授業のおかげで良い成績を取ることができたのである.せっかく良い成績を取れているのだから,それを維持しないのはもったいない.
 だから,すべての授業において,課題や試験にはしっかりと取り組んだ.すると,先生から,このままの成績を維持すれば大学院の学費が半額免除になることが告げられた.少し難しいかも知れないが,さらにがんばれば全額免除になるとも.

 正直,学費の心配はしていなかったから,別に学費が免除にならなくても良い.でも,「成績優秀で学費免除」という肩書きは欲しいものである.

 そんな努力のおかげであろう.最終的に,大学院授業料全額免除となった.研究室も,第一希望に配属が決定した.

そして海外へ

 大学4年生になる前の春休みには,念願の短期留学へ行った.高校生の頃には,大学に入ったら2年生までに短期留学し,3年生あたりで長期の留学に行ければと考えていたから,コロナ禍も落ち着いてきて,ようやく叶った短期留学であった.しかも,この短期留学は,私にとって初めての海外でもあったことから,全てが新しい経験であった

 旅行が好きで,20歳になる前までには47都道府県をすべて訪問した私にとって,短期留学は私の海外旅行趣味のきっかけともなるものであった.卒業論文以外の卒業要件は大学3年生までに満たしていたから,大学4年生は海外旅行の年とした.結果として,初海外から1年で13か国を訪問することとなる.

 一方で,研究は順調ではなかった.まず旅行趣味が研究と相性が悪い.研究とは日々進歩していくものである.これまでの「授業の課題」とは違って,期限がない.期限内に終わらせれば良いものではないから,日々取り組まないといけないのだが,旅行中はもちろん進められないのである.

 そんな中でも,なんとか完成させた卒業論文を提出し,2024年3月25日.私は大学を卒業し,工学の学位を得た.

これから

 気付けばもう大学卒業であり,一瞬であったと感じる4年間も,振り返ってみると,非常に充実したものであった.今は,高校を卒業したときの僕には,想像もできなかった世界が広がっている.それは,大学生活の4年間で,僕が僕自身で築き上げた世界である.

 2024年も4月に入り,大学院1年生としての日々がスタートした.これからの僕は,どのような世界を築くのだろうか.
 いまの僕には,知るすべはない.


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