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「車でお遍路」第30番札所 善楽寺(遍路迷わせの札所)

こんにちは、旅いこかです。

四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、30番目のお寺は、

百々山どどざん 東明院とうみょういん 善楽寺ぜんらくじ


29番札所の国分寺から約8.8㎞、車で約20分の場所、

南国市の29番札所国分寺を出発して、高知市に入り最初の札所善楽寺に到着する。ここからは34番札所の種間寺まで高知市内の街中を車で走る事となり、少し気分が変わる。

善楽寺は、かつては「神辺郷」と呼ばれた土佐でもっとも古くから栄えた地に建つ。
そして、土佐一ノ宮神社の別当寺として栄えたものの、明治初期の神仏分離令で一時廃寺。
そのため、昭和4年から平成5年まで第30番札所が2ヶ寺で納経が行われるという時代に翻弄された運命をたどり、「遍路迷わせの札所」と言われたこともある。

では、遍路迷わせの札所と言われた「善楽寺」へ参りましょう。

昭和57年に改築された近代的な造りの本堂


ご詠歌

人多く たち集まれる 一の宮 昔も今も 栄えぬるかな


お参りする前に知っておいた方が良い知識

歴史

  • 大同5年(810年)、この地を巡錫中の弘法大師は、土佐一ノ宮の総鎮守である高鴨大明神の幽遠な霊域にいたく感動、渓谷が百谷あれば入定の地に定めようとしたところ九十九谷しかない
    そこで、善楽寺を高鴨大明神を祀る土佐神社の別当寺として開基して一谷を補い、山号を百々山と名付けて第30番札所とした

  • 応仁年間(1467-1469年)、兵火で焼失したが土佐藩主山内公の支援により繁栄

  • 明治時代初期には、神仏分離令および廃仏毀釈(仏教排斥運動)により一時廃寺、御本尊と第30番札所を南国市にある第29番札所国分寺に移した

  • 明治9年(1876年)、善楽寺南西約5.5㎞の場所にいち早く復興を遂げた同じ高知市内の安楽寺(菅原道真の子朝臣高視が開基)に御本尊を移して第30番札所を引き継ぐ

  • 昭和4年(1929年)、一ノ宮村民の尽力によりに善楽寺が再興するも第30番札所は安楽寺と善楽寺の2ヶ所に(札所を巡ってもめることに)

  • 平成6年(1994年)第30番札所は正式に善楽寺に戻り、安楽寺は第30番札所奥の院となる


大師伝説


寺号について

  • 山号については、歴史参照。


ご利益

  • 御本尊の阿弥陀如来
    ・・・
    「南無阿弥陀仏」と唱えることで迷いや苦しみから救いを求める全ての人を、悟りへと導く来世利益らいせいりえきの仏さま(極楽浄土へ迎え入れてくれる)

  • 大師像(厄除け大師)
    ・・・厄年の厄除けや交通安全などに霊験あらたか

  • 子安地蔵堂
    ・・・安産や子宝祈願、水子供養

  • 梅見地蔵
    ・・・首から上の病気、学業成就にご利益


御本尊・ご真言

本尊:阿弥陀如来
真言:おん あみりた ていぜい からうん


見どころ

  • 本堂
    ・・・もとの御本尊の阿弥陀如来像は、先述の通り、善楽寺⇒土佐国分寺⇒安楽寺、と移った経緯があり、現在本堂に祀る阿弥陀如来像は昭和57年に新造

  • 大師堂
    ・・・御本尊の大師像は、昭和4年に安楽寺から引き取り「厄除大師」とも呼ばれ衣は檜皮色だったが廃仏毀釈の際に墨で黒く塗り難を逃れたという

  • 梅見地蔵・子安地蔵堂

  • 土佐神社
    ・・・善楽寺隣に位置する土佐国の総鎮守土佐一ノ宮で高知県を代表する神社 善楽寺の歴史を偲び訪れたい


写真


次は、第31番札所竹林寺ちくりんじへ参ります。

2022年3月24日投稿
2022年9月19日改訂

合掌

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