映画「PERFECT DAYS」を見て感じたこと
二週間ぶりの投稿だ。
先週はイベントでコーヒー屋さんを出店し、そのとき手伝ってもらった友人の勧めで、この映画を見に行った。
トイレ清掃員「平山」の日常
何とも映画らしからぬ内容に、好奇心が刺激され見に行ったわけだが、、
この映画、今の狂った世界を生き抜くヒントと言うか、色々感じることがあったので書き残しておこうと思う。
今回の旅のテーマは「日常」
日々の暮らしを思い返しながら旅してみます。
※特にネタバレという概念はない映画で、見た人により印象が変わるかと思いますので、これから見に行く予定がある方にも差し障りない記事かと思います。
淡々と過ぎる日常
朝起きてからのルーティン。
大体の人は同じ日常を歩む。
意図してか意図せずか大体同じ日常だ。
その中でちょっとした楽しみ、気付き、変化がある。
些細なことでもクスッと笑ったり、悲しんだり。
それを同時進行で皆が経験しているわけだが、何故だか自分以外の人は「風景」となっている。
だけど「その人」にフォーカスすると「その人」それぞれにドラマがあるわけで、たまに「私」と「その人」が交わるとイベントが発生したりする。
イベントはドラマであり、その連続が記録されて一冊の本となる。その本自体が人生であり、本を読んでいくのが人生とも言える。
ただこの本は一冊とは限らず無数にあり、どんな本を読むか選んでいくのが面白い。
PERFECT DAYSの平山はトイレ清掃員の仕事を敢えて選んでおり、その日常を「丁寧に暮らしている」ように感じた。
人が嫌いなわけじゃないけど、必要最低限しか関わらない。敢えてそのように暮らしている。
だからこその「こんなふうに生きていけたなら」ってサブタイトルなのだろうか。
日常と非日常
先日、ご縁あってイベントでコーヒー屋さんを出店したが、これは非日常だろう。
会社へ出勤するのは日常だ。
できれば非日常を毎日味わいたいが、非日常が毎日になったら、それは日常になる気がする。
つまり割合というか、ふとして起こるイベントが非日常なんだろう。
映画の中で、淡々と過ごす平山にもイベントは発生する。
仕事とささやかな楽しみの日常を送っているだけにも関わらず、それは人が招き寄せる。
迷惑そうな割に楽しんでいる、そんな感じだ。
人を避ければイベントは発生しないし、感情の揺れ動きもない。
ただ、映画で繰り返し描写される「影」「揺らぎ」は一人であっても感じ取れる。
そこに光を見出したい?
正直意味があるのかないのかわからなかったが、この映画で最も大事な描写であるのは間違いない。
今一度日々を振り返る
同じ音で目を覚ます。植物に水をやる。
出勤するとき缶コーヒーを飲み、車の中ではカセットで音楽を聴く。
お昼休みは持ち歩いているカメラで「木漏れ日」を写真に撮る。
帰ったら銭湯で一番風呂を浴び、その足で一杯ひっかけに行く。
休日は洗濯をしがてら、カメラの写真を取りに行く。
そして休日はいつもと違う行きつけのスナックでお酒を楽しむ。
パッと思い返した平山の日常。
私達はどんな日常だろうか?
改めて考えてみると面白い。
私の日々の楽しみは、ちょっと一服する瞬間やコーヒーを飲むときだったり、休みに入る前日に映画を観ることだったりする。休日に出かけたり、外食に行くのも楽しみだ。
日常の合間に挟む「楽しみ」は探してみると結構あったりする。
それって意識したら増やせそうだし、気付いていないだけで結構ありそうな気もする。
なのに私達って「気づけてない」ことが多い。
日々過激な情報が飛び交い、味の濃ゆい食に慣れすぎ、妙に耳に残る音楽にはまり、身近なスマホは何でもできる。
感覚が鈍っている。でも研ぎ澄ましたら、もっと色々感じ取れるかもしれない。
まとめ こんなふうに生きていけたら
今回、結局何が書きたかったっけ?
うーん、映画を観た直後に私が感じたこと?
それなら「もっと日常を大切に送れそう」と「人生って複雑だよなーっ」になる。
でもそれは伝えたいことではない。
一番しっくりくるのは、やっぱり「人生は自分で創れる」ということのような気がする。
人って自分なりにストーリーがあって日常を送っている。
「もっとこうすればいいのに」とか、他人からすると色々思ったりするけど、その人はその人である為にその日常を送ってる。
その中で色々感じる。
なるべくそれを「自分の中だけで」感じたいから、人と距離を取る人もいるだろう。
人が存在するだけ無限にストーリーはあり、それはネットでいくら検索しても出てこない唯一無二だ。
なのに世界は画一化を目指す。同じような店、同じような娯楽、同じような人生。
でもそうはならない。私達の中に「私という光」がある限り、写し出される影は決して同じにならないから。
だから大切なのは、自分が光り続けることじゃないかと思う。
世界がどうあれ、社会がどうあれ、職場がどうあれ、家族や友人がどうあれ、自分がそれをどう捉えるかが最も大事であって、それが光りだ。
だから光を奪われてはいけない。曇ってしまうと、全てが曇って見えてしまう。
どんな日常であっても、そこに楽しみはあるし、いかようにも楽しめるはずだ。
こんなふうに生きていけたら
それは外側ではなく、自分の内側にあるもの。
生きている内に、そこへ到達したい。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
また次の旅でお会いしましょう。
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