ぐらさと

アメリカ在住。アメリカ人の夫と一男一女、犬一匹。 旅とシンプルライフの記録。精神疾患…

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アメリカ在住。アメリカ人の夫と一男一女、犬一匹。 旅とシンプルライフの記録。精神疾患・障害を持つ家族を支えるために。

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心が不安定な愛する人たち

中学生の頃、太宰治が大好きだった。ほぼ全部の作品を読んだと思う。文章から溢れ出る知性と脆さ。おどけたり、絶望したりしながらも、人に何かを強く求めている感じ。その不安定な感じに強く惹かれた。 そして、この前書いたけれど、尾崎豊も同じような理由で大好きだった。太宰治といい、尾崎豊といい、今思うと、精神的に不安定な夫に惹かれて振り回される要素が、私には確実に昔からあったということだ。 夫はもともとは、とても物静かでおとなしく、安定しているように見えたのだけれど、その陰で抱えきれ

    • フリーダ・カーロについて

      フリーダ・カーロは、20世紀のメキシコを代表する女性画家で、メキシコシティに旅行に行った時に伝記を読んで初めて知った。病気と事故、その後遺症、そして何よりディエゴ・リベラとの関係によって苦しんだ一生は、私の心を強く揺さぶり、惹きつけた。そこで、それまでは全く関心のなかったコヨアカンにあるフリーダ・カーロ美術館「青の家」に、急遽行くことにした。 私は芸術については、よく分からない。フリーダの絵は緻密でとても上手だけれど、大体において不気味さをはらんでいる。痛みや苦しみを表現し

      • ポットパイの日

        近所にポットパイのお店がある。チキンポットパイが有名だけど、それだけじゃなくて色々な種類のポットパイを冷凍で売っている。一人用サイズがあるので、うちは家族一人一人が好みの種類を選ぶ。 たくさんの種類を試したけれど、娘はチキンカレー、夫はマッシュポテトのシェパーズパイが定番になった。息子は何でも食べるけど、王道のチキンかポットロースト。私はその日の気分で選ぶ。 昨日は久しぶりにポットパイの日にして、私はシーフードを選んだ。クラムチャウダーがパイ生地に包まれている感じ。冷凍か

        • 海洋哺乳類を飼い慣らすことについて

          今、訳あって飼育下の海洋哺乳類に関する報告書を読んでいる。海洋哺乳類を飼い慣らして、娯楽・営利目的に使うことに反対している団体がまとめた報告書だから、それがどんなに不適切なことかを立証すべく、悲しい事案ばかりが取り上げられているので、とても暗い気分になる。 思い出すのは、日本の水族館で小さなスペースに閉じ込められていた大きな一頭のシロクマ。ひとりぼっちで、狭い水槽をずっと行ったり来たり、ガラス越しの人達の方を見ながら泳ぎ続けていて、見ていて切なくなった。ストレスからくる常同

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        • 58本
        • 洋服のミニマル化
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        記事

          悪い予感と現実

          今、このまま死んでしまえたら、と夫が運転する車の中でふと思った。なぜ突然そう思ったのか分からない。なんとなく、悪い予感がしたのだろうか。このまま、穏やかなまま死んでしまえたら、もう何も考えずにいられる、という考えが浮かんだ。でも、現実はそうは行かない。 その日の午後、夫と久々に大喧嘩した。ずっと落ち着いていたから、安心してしまっていた。夫の精神状態が不安定な時は、まともに言い返したり、受け止めてはだめなのに、久しぶりで忘れてしまっていた。地獄のような日々の再現。落ち着いた後

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          映画『PERFECT DAYS』を見て

          映画『PERFECT DAYS』を夫と見た。夫も私も面白いと思ったし好きだったけれど、感想の違いから、やっぱり価値観の違いが浮き彫りになった気がする。(ネタバレはないはず。) まず、こんな単調な繰り返しの毎日、退屈過ぎない?と夫は言った。それを面白がって見てはいたけれど、自分には無理という感じ。私は純粋にうらやましく、そういう暮らしがしたい、と思った。ルーティンがあって、自分の好きなものが分かっているシンプルな暮らし。 そして、主人公の「今度は今度、今は今」の言葉の意味が

          映画『PERFECT DAYS』を見て

          遠回りして、最後に幸せに辿り着く

          「子ども達は、色々な道を遠回りして、最後に幸せに辿り着く」と私の父が生前に言っていた、と夫から聞いた。何を思って父がそう言ったのか、なぜそれを二回しか会ったことのない夫に伝えたのか、まったくもって謎。 私は特に父と仲が良かったわけでも、でも特に父を嫌っていたわけでもないので、希薄な関係だったと思う。それは父だけでなく、家族全員に対してそうだったので、きっと私の問題なのだろう。 父は、亡くなる前に認知症になっていた。ある日、久しぶりに父に電話したら敬語で挨拶されて、面食らっ

          遠回りして、最後に幸せに辿り着く

          言語のあれこれ〜言葉もミニマルかつシンプルに

          アメリカ生活が長くなった今、日本にいる日本人と話す時、少し緊張する。私の日本語は変じゃないかな?と心配になる。日本語の単語が出てこなくて、英単語まじりのルー大柴になるのは避けられないし、逆に日本で使われているカタカナ英語や新しい単語を知らなくて、古くさい日本語を話している可能性もある。 だからと言って、私の英語には日本語訛りがあるし、英語の文章がいつでも完璧にスラスラと出てくるわけでもない。どっちの言語も中途半端な感じ。 あと、仕事や生活に必要な英語は問題なく話せるけれど

          言語のあれこれ〜言葉もミニマルかつシンプルに

          ほろ苦く、もの悲しい春

          ふきを近所の友人からもらった。毎年、この季節には裏庭にたくさん生えるそうで、去年ももらって、初めてふきを料理してみた。皮をむくのが面倒だったけど、出来上がったふきを食べたら、その手間も吹き飛ぶおいしさだった。なので、今年ももらって来て料理した。 やっぱり皮むきが一苦労で、むいてる最中は、なんでまたもらって来ちゃったんだろう、と思ったりした。でも、その後で煮たふきを食べたら、やっぱり皮むきの手間が吹き飛ぶおいしさだった。この季節にしか食べられない、という特別な感じがいい。さら

          ほろ苦く、もの悲しい春

          隣の芝生とうちの雑草

          アメリカの家の庭は、たいてい芝生が敷きつめられている。と言うと青々とした芝生のイメージがあると思うけど、冬の間、芝生は枯れていて茶色っぽく、芝刈りも必要ない。暖かくなると、芝が緑色になって元気に伸び始め、毎週のように芝刈りが必要になるわけだけど、今の季節、隣の芝生はまだ茶色っぽい。それなのに、うちの庭だけがすでに青々としている。それは、うちの庭が雑草だらけだから。 たんぽぽ、クローバー、そして名前も知らない雑草たちの勢いはすごい。芝生の種と除草剤が混ざった粉をまいてはみたけ

          隣の芝生とうちの雑草

          理想について

          息子には、なぜかずっと「お金持ちになって、結婚して、子どもを持つ」という理想があったようで、その理想に向かって生き急いでいたように思う。発達障害や精神疾患の影響もあるだろう。生き急いで、行かなくてもいい道に迷い込んでいた。曲がりくねった暗い迷路のような道。 そんな息子が、その理想を手放して、「少ないお金で、一人で暮らす」のも悪くない、という考えに変わって来ているのを感じる。少ない給料でも好きな仕事ができれば幸せ。一人ならそんなにお金もかからないし、心を乱されるような関係なら

          理想について

          旅先で不機嫌を手放せた話

          国立公園を訪れた旅先で、せっかちな私は、悠長な夫に何度もイライラしてしまっていた。さっさと準備を終えた私が、夫が準備できるまで待つのはいつものこと。でも、夫の悠長さには最近拍車がかかっていて、特に色々とやりたいことのある旅先では、夫のペースに合わせて待つ時間が長く感じられ、何度も不機嫌になりそうな自分をたしなめていた。 そんな中、朝ごはんを食べてハイキングに行く準備をした後に、まだ外は寒いから、と昼寝を始めた夫に、半ば呆れながらもかなりの怒りを覚えた。でも、ここで怒って不機

          旅先で不機嫌を手放せた話

          国立公園とその麓の町へ

          久しぶりの小旅行は、隣の州にある国立公園に行った。山より海派の私でも、高く連なる山々が遠くに見えた時は圧倒されて感動。 どんどんその山々が近づいて、国立公園の標識がある麓から山に入って行ったら、そこはなんとエンターテイメントの世界だった。連なるカラフルなお店やレストラン、山に向かうケーブルカーやリフト、通りに溢れる人々。車も多く行き交っていて、とにかく忙しい。 お目当てのワイナリーも、ワイナリーとは名ばかりの単なるワインショップばかり。たくさんあるけれど、どこも同じシステ

          国立公園とその麓の町へ

          さらにもっと手放したもの

          シンプルに、快適に暮らしたくて、もっとできることを模索中。その中で、さらにもっと手放したものたちについての記録。 枕と枕カバー ずっと、枕はなくてはならないものと思っていた。それどころか、大事なものだと信じていた。だから、値段が高めの枕を試したり、シルクの枕カバーを使ったりしていたけど、どうもしっくり来ない。というか、どちらかと言うと邪魔。でも、枕は使うもの、大事なもの、という固定観念があって、ただ自分に合う枕に出会えていないんだと思っていた。 先日、枕は使わない、とn

          さらにもっと手放したもの

          人間関係の断捨離

          私は根っからのシンプリストなので、自分が嫌な思いをし続ける人とはすっぱりと縁を切る。たとえ親しい人でも、家族でも、私に対する誠意があると思えなかったり、価値観が完全に相容れなかったりで、腹が立つことが続いて、自分の心の安定が保てないと思ったら、もう関わらないのが一番だと思っている。そうやって、今までに意識的に縁を切った身近な人は三人。シンプルに生きるために、人間関係の断捨離は必要と信じている。 それなのに、ずっと腹を立て続けながらも、縁を切れずにいる人がいる。それは、十数年

          人間関係の断捨離

          また春が来る

          最近、急に暖かくなって、桜が一気に咲き始めている。いつもより早く、また母の命日を思い出す季節がやって来る。 息子の調子が久しぶりに悪そうだったけど、自分でセラピストの予約を取って対処していたので、感心しながら様子を見ていた。まだ不安が拭えなかったようで、話がしたいと夜中に起こされて、話を聞いたけれど、息子はできる限りのことをしていて、ほかにできることなどないように思えた。感情で考えずに、論理的に考えるように気をつけていると言っていた。悪いことより良いことの方に目を向けて。息

          また春が来る