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夏のフィンランドで、『かもめ食堂』のような旅をした

フィンランドへ旅に出る前、『かもめ食堂』という映画を見た。

せっかくフィンランドへ行くなら、この映画を見た方がいい、という声をいくつも聞いたからだ。

初めて見た『かもめ食堂』は、他のヒット映画とは異なる、不思議な気分に浸らせてくれる映画だった。

フィンランドのヘルシンキに、1人の日本人女性が食堂を開く。ほとんど客は訪れないが、偶然出会った2人の日本人女性も手伝うようになり、少しずつ地元の客が訪れるようになる。やがて「かもめ食堂」は、人々で賑わう人気の食堂になっていく……。

映画で描かれるのは、その淡々とした日常だ。大きなドラマが起きるわけでもなく、感動的な結末が待っているわけでもない。

なのに、なぜか心動かされてしまう映画なのだ。

そして、この舞台となっているフィンランドという国へ行ってみたい、という素直な気持ちが湧いてくる。

幸運にも、僕の手元には、夏のフィンランド行きの航空券があった。

あるいは僕は、『かもめ食堂』を見たことで、その映画の謎を解くために、フィンランドへ旅に出たのかもしれなかった。

ありふれた日常を描いたその映画に、こんなにも心動かされるのはなぜなのか。フィンランドへ行けば、その答えがわかるかもしれない、と。

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フィンランドには、夏の1週間滞在した。首都のヘルシンキに3泊、第2の都市であるタンペレに2泊、第3の都市であるトゥルクに1泊。小都市のラウマやハメーンリンナも訪れたし、湖から湖へとホッピングするクルーズにも参加した。

それでも旅の全体を包んでいたのは、ゆったりとした時間の流れだった。

フィンランドの旅では、何かに追われるということがないのだ。

観光名所巡りに追われることもなければ、名物グルメの食べ歩きに追われることもない。

それはたぶん、フィンランドが良い意味で、「いろんなものがあり過ぎない」国だったからだ。

もちろんフィンランドにも、多彩な魅力はある。ヘルシンキは可愛いトラムが走る美しい都市だし、タンペレは川沿いに町が広がる散策が楽しい都市だ。世界遺産のラウマ旧市街も素敵だし、湖を巡るクルーズでは「森と湖の国」の風景を満喫できる。

でも、それ以上のものが、特別に溢れていないのだ。あえて言えば、すべての魅力が、過剰すぎない領域に収まっている感がある。

たとえば、首都のヘルシンキ。

ヘルシンキ大聖堂やスオメンリンナ要塞といった観光名所はある。けれど、半日もあれば主な名所は一通り巡ることができる。都市の規模もコンパクトで、ほとんど徒歩だけで行きたい場所へ行けるくらいだ。

だから旅人は、忙しく観光名所を渡り歩くこともなく、ゆったりした気持ちでヘルシンキを旅できる。

そしてそのとき、旅に「余白」が生まれていく。

その「余白」こそ、フィンランドの旅の魅力なんだと、僕は思った。

たとえばヘルシンキなら、午前中から観光を始めても、午後には大体終わってしまう。するとそこから、「余白」の時間が始まっていく。

これからヘルシンキで何をして過ごそう……?

輝くようなフルーツが並ぶ市場を散策するのもいいし、郊外の公園へ行ってのんびり湖の風景を眺めるのもいい。トラムに乗って気になる停留所で降りてみるのもいいし、素敵なカフェを見つけてぼんやり夕暮れを待つのもいい。

何かをする必要のない旅人の前には、何をして過ごしてもいいという、無限の自由が広がっていく。

そこにあるのは、特別な何かではなく、ありふれた時間の過ごし方かもしれない。

でも、だからこそ、旅の中にある日常のような時間が、きらきらと静かに輝き始める……。

その輝きはどこか、あの映画『かもめ食堂』と、似ている気がした。

『かもめ食堂』と同じで、フィンランドの旅もまた、ドラマチックな何かや感動的な何かが魅力なのではない。

きっと、ありふれた時間を与えてくれる、その「余白」こそが魅力なのだ。

「余白」があるからこそ、旅人は自由に、自分らしい旅を作り上げていける。

何かを強制されることもなく、何かを決めつけられることもない。

旅人はフィンランドで、好きなところで、好きなように、好きな時間を過ごせる。

あの『かもめ食堂』で、日本人女性たちが、ありふれているけれど、豊かな日常を過ごしていたように。

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フィンランドで過ごす最後の夕方、僕はヘルシンキの外れにある「かもめ食堂」を訪れた。

映画のロケ地になった場所が、日本人シェフの手によって、本物の食堂として営業されているのだ。

もちろん、映画の「かもめ食堂」とは違う。けれど、こんなふうにフィンランドの地で、食堂を切り盛りされている日本人の方がいるんだなと、ちょっと感慨深くなった。きっとそこに、もうひとつの「かもめ食堂」があったからだろう。

そして、美味しいおにぎりや焼き鮭を食べながら、映画『かもめ食堂』に惹かれた理由がわかった気がした。

たぶん僕は、映画を包んでいる「余白」に惹かれたのだ。

登場人物のバックグラウンドも、食堂のその後も、ほとんど語られることがない。だから見る人は、映画の世界を自由に想像しながら旅できる。

それはどこか、フィンランドという国がもつ「余白」とリンクして、そこにしかない「余白」を作り出している。

ありふれているように見えて、とても豊かで、美しい「余白」。きっと、『かもめ食堂』に惹かれる理由はそれなのだ……。

ヘルシンキの「かもめ食堂」を出た僕は、夏の終わりの夕暮れを歩いた。

そして、フィンランドで過ごしたこの1週間もまた、人生をより豊かにしてくれる、美しい「余白」だったんだと、ふと気づいた。

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