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北米大陸 前と後 2 (White Houseなど)

Washington DC

i. ホワイトハウス

私がワシントンDCに初めて行ったのは、本当はいつだったか記憶が曖昧だ。

今までの記事の中で、1982年(留学中)と書いてみたり、1988年(妻との旧婚旅行)と書いてみたりした気がする。記事で再確認する手もあるが、あまりにもいろいろ書きすぎて探しながら読むのは骨が折れると思い、諦めている。

そこで、とりあえず(?)1988年と言うことにして書いてみることにした。

この時は、アメリカ横断鉄道のアムトラックに初めて乗車した。後にLAのユニオン駅でアムトラックを発見して、横断鉄道だっ、と勝手に感動したのを覚えている。

と言うわけで、アムトラックでワシントンDCのユニオン駅に降り立った。

第一目標は、ホワイトハウス見学だ。
近くのホテルに3泊した。

2日目の早朝、ホテルで朝食(買ったのか、コンティネンタルブレックファーストだったかこれも覚えていない)を手にすると、早速ホワイトハウスを目指す。歩いて10分程度の近さだ。

ここで、はっきりと思い出した。
1988年、妻と行った時は、ホワイトハウス訪問2度目の時だ。

ということは、初めての訪問は、やはり1982年の留学の時だ。
グレイハウンドバスで
 ニューヨークに1週間乗り放題チケットで行った帰りに寄ったのだ。

この時は、バスターミナルから早めにホワイトハウスを目指した。
列は入場する入り口に直接並んだのだ。
1988年の時は、そこから離れたところにある何たら広場で並んだ。
そこで整理券をもらって、指定された時間に再度並ぶのだ。

私は初めてのホワイトハウスでは、2番目という幸運に恵まれた。
私の前(つまり1番目)にいた黒人青年とすぐに仲良くなった。おかげで長い待ち時間は退屈しなくてすんだ。
彼に順番を取ってもらって、近くのワシントンモニュメントにも行くことができたほどだ。

このが青年が「航空宇宙博物館」がおすすめだよ、と話してくれた。

このホワイトハウス訪問は行くたびに並ぶ列の場所が変わっていた。

2002年に、その前年の「9.11テロ事件」の跡がどうなっているかを見に行った時には、警戒が厳しすぎてもはや見学などできない相談だ。
学校からの見学の列や、国会議員等の紹介を受けた予約を取れた大人たちのみが、長蛇の列を作って入り口に入るための新たにできたゲートをくぐっていた。そこでは身分チェックなどが入念になされていた。

私はこの時には、入ることは最初からあきらめていた。
近くまで行って、その緊張の雰囲気を十分に味わうことができた。
周りでは、どこかの会社のストライキが行われていて、私のビデオカメラに向かってアピールをしていた。

この項に関する記事は、「ワクワク ガックシ ルンルン 1~3」のどこかに書かれているのではないかと思う。


ii. 航空宇宙博物館

私は、ホワイトハウスで前にいた黒人青年の勧めを受けて、航空宇宙博物館に行くことにした。その日のスケジュールとして最後に決めた。
博物館を見終えてから、早朝着いたバスターミナルに戻って、残りのグレイハウンズの旅を終えるつもりだった。

国立墓地やケネディー大統領の墓地、今年の大統領選挙に無所属から立候補に向かっているロバート・ケネディー・ジュニアーの父親の墓地など歩き回って、疲れをいやすには博物館は格好の場所に思えたのだ。

ところで、Washington DCの施設は、基本的に全て無料だ。アメリカ国民の税金で賄われているのだ。

博物館に入ると、迎えてくれるのは実物のロケットや飛行機の数々だ。

宇宙へ目が向けられたばかりの時代の姿だ。
アポロ計画で人類最初の月面に降り立った時代(1969年)だ。その当時の実物の展示まであった。
あのような狭い球体の空間に人間が座って、挙句の果てに月面に降り立つなど、想像もできない。本当に狭いのだ。

そして1972年にはアポロ計画は終了する。
その年の12月までに12人の宇宙飛行士が月面に立ったのである。

それもすごいが、個人的にはあの博物館で約30分間の爆睡した時間がすごかった。
最初に入ったのが、プラネタリウム館だ。
博物館に入って歩き回っていると、それが目についた。
2ドル25セントだっただろうか。さすがにこれは有料だ。日本円で550円くらいの為替レート(当時)だ。

ゆったりしたリクライニングシート。
自然と天井、いや、天空に目がいく。
日没から始まる。
あっという間に日の出の映像だ。
ビックリした。
あっという間のはずだ。
私は日没とともに、爆睡に入ってしまったのだ。

夜明けとともに、部屋が明るくなり、目が覚める。

博物館には2時間ほど滞在しただろうか。
早くバスターミナルまで行かなければいけない。
館の外に出ると、薄暗いというより、暗くなっていた。
あれほどたくさんいた観光客が、ほぼ一人もいないのだった。

アメリカでの夜は怖い。
何があっても不思議ではない怖さがある。
そんな夜の闇の中には黒人の若者があちこちにたむろしている。
自然に足が早まる。
幸い、近くにFBIの本部の建物がどっしりと姿を見せている。
その傍に身体を寄せ付けるように速足で歩く。
兎に角怖さが空気を支配していた。
FBI本部が守ってくれるわけではない。
自分の身は自分で・・・なんてことできるわけがない。

必死で速足で歩いて・・・ちなみに私は歩く速度は速い・・・ようやくペンシルベニア大通り(アベニュー)に出ることができた。

どこまでも人通りは途絶えたままだ。
どちらにしても、私は無事バスターミナルの待合所にたどり着いた。
妻と行った時は、ホテル(FBI本部まで1ブロック)宿泊だったが、歩き回ることに関しては同じだ。

私は基本歩くのだ。その方がいろいろな場面を見逃さないで済むからだ。

1988年には航空宇宙博物館は、暗くならないうちに閉館となっていた。
そうでなくても、あの恐怖を妻と一緒に味わいたくはない。
そういうわけで、ホワイトハウスの次に訪れた。
展示自体は1982年とあまり変化はなかった。
勿論プラネタリウムにも行った。私にとっても初めてみたいなものだ。
さすがに、爆睡どころか、一睡もしないでショーを楽しむことができた。

2002年に行った時には、以前の姿が思い出せないような変化があった。
なんと、博物館内にカフェテリアがあったのだ。
折角なので、そこで疲れをいやすことにした。
バーガーと飲み物だ。
アメリカンスタイルだ。

「ラージ?、ミディアム?、スモール?」

こんな悠長なしゃべり方などしない。
あっという間の超高速の英語だ。
私はスモールに決まっている。
何故なら、アメリカではそのカップを買うのだ。
持っている限り、何杯でも飲めるのだ。

私がいつも不思議に思うのは、アメリカ人の無神経さだ。鷹揚さだ。

家族5人で来た人が、私の前に並んでいた。
5人が5人とも一番値段の高い「ラージ」と答えたのだ。
そのラージサイズのコップで何度もお代わりに行くからすごい。
私など「スモール」なのに、3杯もお代わりすればもう十分だ。

カフェテリアがある航空宇宙博物館はすぐれものだ。

ロサンゼルスにも航空宇宙博物館はある。DCのそれとは趣が異なる。
子供たちの勉強になりそうな展示形態だ。
クイズ形式の展示物などあり、私でも楽しめた。

実物のエンデバー号が大きな部屋に窮屈そうにそのガタイを収められていた。本当は、この博物館は正式名称が「カリフォルニア・サイエンス・センター」という。私が行ったのは2016年なので、そこに収められてからまだ4年しか経っていなかったことになる。

iii. 国立公文書館


ここも訪れるとよい。
私は2度行ってみた。
メモをしとけばよかったのに、と後悔したことがある。

最初に行った時には、
実物の「独立宣言書」などが私の目を生き生きワクワクさせてくれた。

私が高校生を修学旅行に引率した時には、この公文書館と出来たばかりのホロコーストミュージアムを、見学の必須訪問場所に指定した。一日中自由行動にしたため、行くべき最低限の場所と思ったからだ。

私が最初に訪れた時に、じっくりと壁に掛けられた手紙類などを舐めまわすように見た。
中にはリンカーン大統領の奥さんから政府にあてたハガキがあった。
内容は、年金のことが書かれていた。
年金が少なくて困っている、というものだ。そのハガキで年金が増額されたかどうかはわからない。
もう一つ印象に残ったのは、キューバのカストロが書いた手紙だ。内容は忘れてしまった。まだ、共産政府になる前のことだ。

メモをしておけば、話題が増えたのにと、残念でならない。

そこで高校生を引率したときに、メモしようと、生徒数人と中に入ってハガキを探してみた。
しかし、(当然のように)以前とは違うハガキや手紙の類が展示されていた。

実は、ホロコーストミュージアムは、予約していなかったので、見学できるのは一部分だけだった。それでも、訪問する価値のある展示を見ることができた。生々しい「ダニエルズストーリー」(ダニエルというユダヤ人の少年の物語)に涙が出そうになった。
私はその感動を忘れまいとして、その物語を書いた書物を購入してきた。


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