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ウガンダ生活10度目の病院にて【カラモジャ日記24-03-30】

 頭は痺れを感じ、身体の節々が軋むように痛む。血管の隅々にまで電流が流されたかのような細くて鋭い痛みだ。腸内には、風船から空気の抜けるみたいに高い音がピューと鳴り響き、10分おきに活火山が噴火するかのような爆発的な下痢が襲ってくる。

 僕の身体は、明らかに正常ではなかった。

【1:00am】

 やれやれ。病院に行くにも夜の闇はあまりにも深すぎた。ミネラルウォーターとともにパナドール2錠を飲み込んで、僕は夜が明けるのを待つことにした。なんとかベッドの上で目をつぶったけれど、もちろん眠ることなんてできない。頭痛、高熱、激しい下痢。

 2年間のウガンダ駐在生活でかかった病気の一覧表をさっと頭に呼び出してみる。マラリア3回。腸チフス1回。コロナ1回。バクテリア感染症3回。計算すると、僕は大体四半期に一度のペースで大きな病気をして、病院の世話になっている。(トホホ)

 僕のアフリカ生活は、常に病気とともにあった。

 さすがにここまでの回数体調を崩すと、直感と症状で病名の分類がある程度できるようになる。嘘じゃない、証明しようはないけれど。

 今回の場合は、激しい下痢に始まり、頭痛、関節痛、そして高熱という規則性。これは不衛生な食事に起因するバクテリア感染症に絞られる。あとは血液検査で証明するだけだ。

* * *

【7:00am】

 夜が明ける。僕は運転手を呼び、病院に向かう。経験が語る『バクテリア感染症』という仮説を心に抱きながら。激しい頭痛に頭を抱えながら。そして突発的に襲ってくる液状の下痢に備えて肛門をきつくしめながら。

 病院は行きつけの場所だ。10回目の病院。僕は彼らのシステムがどのように流れるのかをきちんと把握している。行き慣れたビジネスホテルにチェックインするみたいに、僕はレセプションでファーストネームと電話番号を伝える。受付の女性は「またこの日本人か」という顔をした。

「この時間だとドクターはまだ出勤じゃないだろう。奥の部屋のベッドで休んでいても構わないかな?」と僕はできるだけクールに伝えた。
「ええ、それは構わないわ」と彼女は言った。

 僕のベッド、いや、正確には"僕が僕のベッドと呼んでいる"病院のベッドに一直線で向かう。寝転がって、マイペースな看護師たちに緊急アラートを伝えるように、少しだけ誇張を加えた病人の演技をする。そうすれば、ドクターの到着と同時に僕はその部屋に導かれる。

 公衆トイレの個室を叩くように、僕は二度ドアを叩く。返事を聞く前に中に入る。そこはシンプルな部屋で、特徴のない一台の机と二台のイスがとても便宜的に置かれている。

 扉を開けると、片手に紅茶のカップを持ちながら、バナナをムシャムシャと食べている若い男性の医者が座っていた。僕たちは目を合わせて、不文律で中立的な微笑みを交わす。(また、会えたね)

「ミスター、ご機嫌はいかが?」と僕が椅子に腰掛けるなり、彼は最後の一口のバナナを急いで飲み込んで言った。
「見ての通り、とても悪い」と僕は20%増しの演技をしながら言った。パフォーマンスであっても深刻な表情をしなければ、まともに取り合ってくれないからだ。

 僕はこの医者を知っている。平日の朝早い時間には大体彼が出勤しているのだ。そして彼ももちろん、僕を常連客として認識している。

 僕は彼を信頼していない。過去に僕がマラリアに感染した時だって片耳にイヤホンをつけて「トムとジェリー」の動画を観ながら僕を診察したくらい、こいつはとても適当な医者だからだ。
 その子供っぽい風貌と、嬉しそうにYouTubeで「トムとジェリー」を鑑賞する姿から、僕は彼のことを『コドモ医者』と呼んでいる。

「昨晩から突発的な下痢が継続。頭痛に関節痛。熱は38度後半。平熱+2度」と僕は暗号を読み上げるみたいに伝えた。
「うーーーむ。症状はいつからだい?」とコドモ医者が訊いた。
「昨晩と言った」と僕は不機嫌に答える。同じことを二度も言いたくないんだ。
「何か、悪いものでも食べたかい?」
「毎日のようにローカルフードを食べている。だから何が悪いかなんて判別できないよ」
「君の好きなローカルフードはなんだい?」と医者は本題からそれた質問をする。
「それは今答える必要があるのかな?」と僕はコドモ医者を睨む。

「血液検査と検便検査をしよう。まずはラボに行って来なさい」とコドモ医者は言った。
「いや、血液検査だけがいい。検便はしたくない」と僕は食い下がった。
「なぜだ?検便をしないと、腸の中の細菌の数値がわからないだろう」とコドモ医者が顔をしかめた。
「やりたくないからだ」僕はエネルギーを消耗しないように続けて言った。「血液検査の数値で十分だろう。僕は検便がとても嫌いなんだ。小さい頃からずっとそうやって生きてきた。それに僕の痛みは、すでに頭痛や発熱という形で身体中に現れている。時間を無駄にしたくない」
 この病院では指示を出すのは医者じゃない。僕なのだ。"僕はコドモ医者よりも、医者に近い存在"なのだ。

 ラボに向かう。若い看護師の青年が僕を待っている。多分、見習いの研修生だ。僕は容姿を見たらわかる。彼からは不器用さと不安のオーラが滲み出ていた。

 ラボの匂いを嗅ぐと、僕はいつも思い出す。血液接種が下手な看護師が、何度も僕の腕の関節に針を刺しては抜いてを繰り返し、しまいに「君がじっとしていないからだ!」と逆ギレをしてきたこと。この病院で腕のいい看護師に当たるかどうかは、確率の問題だ。

 そんな僕の懸念とは裏腹に、今日の看護師はえらく血液検査がうまかった。青白くて細々とした病人の腕をそっと抱えるようにして、一瞬のうちに針を刺し、血を吸い取る。
 この青年は、生まれ変わったらミツバチになったらいい。その技術で十分食っていけると思う。この研修生はプロフェッショナルの卵だった。(疑って、ごめんなさい)

「20分後に結果が出るから、少しだけ待っていてね」と看護師は言う。僕は律儀にスマホの時計に20分のタイマーをかける。もちろん結果は20分で出ない。僕にはわかる。

 なぜわかるか?停電しているからだ。

 僕は常連だ。彼らがどういうシステムで稼働しているかを僕は知っている。停電したら、電球が消える。もちろんそれだけではない。院内の複雑な電子機器が使えない。ある種の機械は稼働しない。医者はカルテも印刷できない。何もかもがストップする。

 僕は過去にこの病院で、ある経験をした。医者の診察も終わり、あとは隣接の薬局で薬を受け取るだけ、というタイミングで停電し1時間電気が戻らなかった。医者のPCがシャットダウンし、医者から薬局への薬の処方データが送れなくなってしまった。そして僕は、病院の(僕の)ベッドでずっと項垂れていた。

 彼らが発電機を所有していることを僕は知っている。でも彼らは停電しても、一向にその巨大な機械のスイッチを入れようとしない。なぜだろう?(おそらく省エネ経営方針)

 結局、一時間近く待たされた挙句、血液検査の結果が渡された。それを持って僕はコドモ医者の元へ戻る。ノックは2回、返答は待たない。

 逮捕状を示す刑事のように、僕はコドモ医者に検査結果の紙を突きつける。コドモ医者はそれを受け取って、神妙な顔でそれを眺める。
 僕は彼が医者だという事実を信じていない。たまたま白衣を着て、病院に座っているという以外に医者の要素が一つもないからだ。まず信用できる医者は患者の前で「トムとジェリー」を鑑賞しない。その揺るぎない事実が僕の心に確信をもたらす。

 しばらくして、沈黙を破るように僕が言った。「バクテリア感染症だ」
「俺もそう思う」とコドモ医者は言った。
「ある血液成分が指定範囲を超えて高い」と僕は言った。
「その通りだと思う」とコドモ医者は言った。「よくわかっているじゃないか!」
「10回目だからね。僕は歴史から学ぶタイプなんだ」

ここでは僕は医者よりも医者なんだ。自分の身は自分で守らなくてはならない

「解熱剤は持ってるから、抗生物質だけ処方してほしい」と僕は端的に言った。
「オーケー!5日分出しておくよ」
 停電は戻っていた。慣れた手つきで薬を受け取り、僕は病院を出た。誰よりも早く、誰よりもクールに。

* * *

【11:00am】

 自宅に戻った僕は、バナナとフルーツジュースを胃に流し込み、自分で処方した薬を飲んでベッドに戻った。薬が効いてくると、僕はようやく、まともにモノを考えることができる状態になった。

 読みかけの『戦争と財政の世界史』を数ページめくっているうちに、僕はとても自然に夢の中へと帰っていった。

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