もうちょっと身軽に生きていきたいことについて
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いつもこのエッセイを書いたり、イラストを描いたり、ラジオを録音する時は、小さな作業部屋を使っている。
この作業部屋は、しばらく使っていなかったちょっとしたスペースだったのだけれど、そのままにしておくのもなあと思って、僕がちょこちょこと、ひとりで片付けて掃除をして、いったんきれいにしてから自分の作業をする部屋として使い始めた。
広さもそんなにない、物置スペースと言ってもいいくらいのちょこっとしたスペースなのだけれど、僕は広いところよりはこういうこじんまりとした所が好きなので割と気に入っているし、僕の普段の作業には十分すぎるスペースがある。
そもそもは誰もタッチしていなかったこの部屋を、自分ひとりでコツコツと、片付けてきれいにして、自分のお気に入りのスペースとして数年ほど使ってきた。
なのでいつの間にか「自分の作業スペース」というふうに思っていたし、使っているのはいつも自分だけだった。
そのことについて何も特に思っていなかったのだけれど、ある時に奥さんに「ハンドメイドの作業をするために、作業部屋をちょこっと使わせてほしい」と言われて、ふいに「あ、これからはこの作業部屋は共有のスペースにしよう」と思いついて、その日のうちにテーブルに置いていたものを全部よせた。
多分だけど、僕は無意識に「この作業部屋は僕がひとりで片付けたんだから僕のスペースだ」と思っていたし、奥さんもそう思っていたと思う。
だから奥さんも「使わせてほしい」と僕に聞いたのだろう。
そこで初めて、僕はこの作業部屋を所有していたかったというのか自分のものにしていたかった自分がいたことに気づいた。
考えてみれば、作業部屋にはひとつ大きなちゃぶ台というのか、まあるいテーブルがあるのだけれど、そこにはいつでもすぐ作業を始められるように僕が普段使うもの、パソコンの充電器とかマグカップとか筆箱とか、英語の辞書とかティンホイッスルとかいろいろ置いていた。
そもそも自分の所有物というのか、自分の持ち物はどんどん手放してきたわけで、もうほとんど基本的に毎日のように使うものくらいしか自分の持ち物はなくなってきたのだけれど「ああ、そうかこの作業部屋という空間も、自分が所有している気持ちでいたのだなあ」と気づいたら何だか手放してみたくなったというのか、僕だけのものである必要はないなあと思った。
思いたったらすぐやってみたくなってしょうがない性格なので、とりあえずテーブルのものは全部よせて、自分の作業に使っているものは作業部屋のすみっこに全部まとめておき、使う時にそこから取り出すシステムにして基本的にテーブルには何も置かず誰でも、といっても僕か奥さんだろうけれど、使える空間にした。
僕としては久しぶりに何にもモノがのっていないテーブルを見て何だか気持ちがスッキリしたというのか、「うーん、まだまだ身軽になれそうだなあ」と感じて、何だか楽しくなってきた。
「自分の持ち物だったり、固定観念だったり常識みたいなものをどこまで手放せるか?」ということを考えたり、やってみることが趣味になりつつあるので、外から見たら「ちょっと大丈夫かなこの人?」という感じではあるけれど(家族はもう慣れたのかもしれないが)僕としてはもっと身軽になるためのいいきっかけになったと奥さんに感謝している。
僕の場合ではあるけれど、手放せば手放すほどに、身軽になって、生きるのがラクになってきているという実感がある。
なので、普通はいろんなたくさんの何かを手に入れることが楽しいのだろうけれど、僕は全く逆で、「これも手放せるかな?」とか「おお、これは無理かと思っていたけれど手放せた」みたいなことに喜びを感じながら日々を楽しく過ごしているし、これからもどれくらい身軽になれるのか楽しみである。
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