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自分が感じる「嫌だ」という感覚は、自分の好きなこと、やりたいことを知るためのヒントであることについて


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好きなこと、というと今ではだいぶわかってきたように感じるけれど、ちょっと前までは、自分がどういうことが好きなのかよくわからなかった。

「好きなことで生きていく」という言葉があったけれど「いやいやその前に、自分の好きなことがそもそもよくわからないんだよなあ」と悩んでいた。

多分、小さい頃は「好きなことは何?」と聞かれても、すらすらと思いつくままに答えていたのだと思うけれど、大人とよばれる年齢になって「好きなこと?ちょっと待ってくださいね、うーん、なんだっけなあ…」みたいになってしまって「好きなこと迷子」みたいにいつの間にかなっていた。

好きなことをパッと言えないのは、僕の場合はその好きなことが何か仕事、つまりお金に結びつくような好きなことでないといけないと思い込んでいたからだと思う。

小さい頃は「プラモデルをつくる!」とか「かけっこする!」とか「漫画を読む!」とかすぐに何にも悩まずに答えられたのに、いつの間にか「これを言ったら笑われるかな」とか「そんなことが好きで、なんの役に立つんだと思われるかな」みたいに考えてしまって、そういうのを繰り返しているうちに「好きなことがわからない森」に迷い込んでしまって出られなくなっていた。

だからしばらくは「僕の好きなこと、やりたいことって何でしょう?」と聞いて、知っている人がいたら教えてほしいくらいに自分の好きなこと、やりたいことがわからなかった。

とはいえ、好きなことはさっぱりわからないけれど、自分が「これは嫌だ!」ということは、すぐに答えることができる。

僕の場合だと、「たくさんの人がいるところに行くこと及びたくさんの人」「上からああしろこうしろと言ってくる人」「時間に追われること」「人の都合に振り回されること」「モノが散らかっている部屋」「自分が正しいという前提で話してくる人」「ひとりの時間がないこと」「いろいろ考えて寝られないこと」「無理な追い越しをかけてくる車」などなど、まあ他にも出てきそうだけれど、自分が好きなことは思いつかなくても「嫌だ!」と感じることは(びっくりするくらい)すらすらと出てくる。

そして実はこの自分が「嫌だ!」と感じることが、自分の好きなこと、やりたいことを知るためのヒントになっている、ということに気づいた。

僕は人の都合に振り回されたり、上からああしろこうしろと言われることが嫌なのだけれど(好きな人がいるだろうか)、そうなると「自分のスケジュール、ペース、リズムで動けること」だったり「上下の関係ではなく、仲間の関係」などが好きということがわかってくる。

前までは何かを「嫌だなあ」と感じる自分に「自分には根性がない」「社会人としてどうなのか」「そんなんじゃまともに生きていけないぞ」みたいな、今だったら笑顔でスルーできてしまうようなことを自分で自分に言ってへこんでいた。

そんな感じでモヤモヤしていたのだけれど、いつからか、はっきりとわかっている「自分が嫌だなあと感じること」を知り、そして「じゃあ自分はどうしてみたい?」という質問を自分に向けてみることで見えてくるものがあり、それが自分の好きなことだったり、やってみたいことだったりこれから目指す生き方だったりにつながるということがわかってきた。

それからは自分が「嫌だなあ」と感じたら、自分を責めたりはせず、「お、じゃあ自分はどうしてみたい?」と質問することで自分の好きを見つけるようにしている。

なんというか、自分が短所だったりコンプレックスを感じていることが、実は自分らしさそのものだったり、自分を発揮できることであるように、自分が「嫌だ」と感じることにこそ、自分の「好き」が隠れているんじゃないかと思うし、そういう自分の直感、センサーを頼りにして自分の好き、やりたいことをどんどん見つけていきたい。

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