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「自分になる」「自分を生きる」ことについて

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今年に入ってから、本格的に自分で仕事をつくり、自分の生き方をつくろうとあれこれと動くようになって、試行錯誤の日々を過ごしている。

とはいえ、僕はなんというのか、そうやって自分の仕事、そして生き方をつくるために今になって改めて「自分」と向き合うようになって、自分のことって、よくわかっていないんだなということにも気づいた。

僕の究極の理想としては、何かひとつの肩書きを持つとか、仕事をするとかではなくて「自分が自分であること、自分をちゃんと生きていることそのものが、自分だけの仕事、生き方になっていること」である。

それは僕が僕をちゃんと生きるというのか、自分を完全に解放するでもないけれど、自分の全部を出して生きる、それはわがままに生きるというのとはちょっと違って、自分がのびのびとそれこそ何にも染まっていない子供の頃のような「自分そのもの」になる、生きる、それができたらそれは僕だけの唯一無二の生き方をすることであり、それが誰かの何かの役に立てることだってきっと少しはあるはずだと思う。

とはいえ、自分になる、自分そのものを生きるというのはすぐにできちゃう人もいれば、僕のようにあーでもないこーでもないと時間がかかる人もいるだろう。

これはいつものなんとなくの直感ではあるけれど、自分をちゃんと生きるということは、もしかしたら「本来の自分を思い出す」ということなのかもしれないし、思い出すということは忘れているだけであって、ちょっとずつ「ああ、自分てこういうことが好きだったなあ」「こういうことが嬉しいんだったなあ」とすっかり忘れていた純粋な自分の感覚を取り戻すということだろうし、それができていけばおのずと、それが自分だけの生き方になり、自分だけの仕事にもなっていくというふうに感じている。

自分を生きるということは、これが普通とか常識とかこうあるべきというものからも自由になっている、純粋な何にもとらわれていない、自分の心が感じたままに生きるということなのだろうし、そういう行動をちょっとずつすることで「自分になる、自分を生きる」ということに近づいていけるんじゃないかと思うから、自分の心にちょっとずつでも素直になるように意識するようになった。

自分の心に素直になるとスムーズだし、心にも無理がないから、気持ちも軽く自分ものびのびしてくるように感じる。

もちろん、いつもすんなりとはいかないけれど、それでもコツコツと自分に素直になって自分を解放していくことによって、自分が自分を取り戻すというのか本来の自分と一致してくる。

そうやって自分が自分になる、自分を生きるということができるようになってくれば、心が自由で楽しくて幸せで、自分がのびのびと生きることで誰かの何かの役に立つこともできるなら、そんな素敵な生き方ってないんじゃないかと思うし、そんな生き方ができるように、焦らず自分のペースでコツコツと自分になり、自分を生きる道を進んでいきたい。


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