2010年代後半のインターネットとサブカルチャーはもう帰ってこない。

2010年代後半のインターネットとサブカルチャーはもう帰ってこない。

全ては小四の時に東京から越してきたAの「布教」から、私の人生は二次元に傾き始めた。一番最初に勧められたのは「おそ松さん」だっただろうか。私はトド松に夢中だった。それが、人生初めての推し。自覚的な理由などない。「尊さ」に理由などいらない。ただただだ私を惹き付ける何かがそこにあった。

遊びに行く場所は専らアニメイト。私は月2000円程のお小遣いとおばあちゃんに時々貰う1万円のビッグお小遣いを貯め、アニメイトでガキらしい散財をした。都内に遊びに行くのであれば池袋。デカいアニメイト本店がある。埼京線で1本で出られるので、距離としても丁度良かった。

アニメイトに行かないのであれば、誰かの自宅。私の家は厳しく、滅多に人を呼ぶのを親が許してくれなかったから、ほとんどAの自宅で遊んだ。今思えば、Aの家に他の家族がいたことは少なかった。同居のおじいさんに何度か出くわして、みかんを頂くことはあったけれど。

Aの家にはたくさんの漫画があって、私はそこで洗礼を受けた。「おそ松さん」の次にハマったのは「文豪ストレイドッグス」だった。谷崎潤一郎が推しだった。当時の知識は後に中学や高校で文学史を暗記するのに役立った。

私の世代のゲーム機と言えば3DSである。3DSの無料ソフトで、「うごくメモ帳」というものがあった。タッチペンとパネルで絵を描いて、パラパラ漫画を作れるソフトだ。そこには多くの「手描き」動画が掲載されていた。アニメや漫画の二次創作やファンアートのパラパラ漫画である。ボーカロイドの歌詞に合わせてキャラや文字が動く。WiiUが出て、Switchがゲーム業界の覇権を握る今、後継機verが開発されなかった「うごメモ」は2013年にサービスを終了している。しかし、一部のファンの間では、未だにうごメモpvを作り続けている2次元コンテンツのプロシューマーたちがいて、Youtubeで「うごメモ pv」とでも検索すれば最新のボーカロイドファンアートを見ることができる。

私は「おそ松さん」なり、「文スト」なりの「うごメモ手描き動画」ばかり見ていたから、自然とBGMに使われるボーカロイドを口ずさむようになった。そしてハマったのが「カゲロウプロジェクト」だった。

他の「カゲプロ厨」の如く、私も私の脳内で、「メカクシ団」の団員No.10であった。覚えていないが、「目を」とやかくする能力を持ち合わせているがために、私は学校で虐められ、孤立してる、という設定だった。虐められていることだけが触覚のある事実であった。これも2016にアニメ2期制作が決定してから、何の音沙汰も無い。

その次に、「マギ」にハマった。これもAの自宅に漫画が全巻揃っていた。たちまち私も全巻揃え、私の「推し」、ジャーファルが活躍する巻を何度も読み返した。長ったらしい必殺技名や、設定上の専門用語を暗記して、キャラクター設定資料集を食い入るように見ていた。

中学三年かそこらは「ヒプノシスマイク」沼に入り浸っていた。ラップやヒップホップに特別詳しくなったわけでもなかったが、「ヒプマイ」に出てくるラップだけは今でも呪文のように唱えることが出来るから恐ろしい。推しは飴村乱数だった。それから、遅れて登場したキャラクターの四十物十四が歌う曲が好きだった。彼も私と同じくいじめられっ子のキャラだったから、彼の歌詞には刺さるものがあった。

リアルでまともな友達が作れないから、インターネット、Twitterが私の居場所だった。

友人Aとは、中学に入ってからは微妙な関係が続いていた。彼女は猫のように気まぐれで、小学生の頃に私をヲタクに染め上げて、私の人生を狂わせたのに、同じクラスなのに、同じ部活なのに、Aはクラスのカースト上位の陽キャたちとつるんでいた。いつも一緒に帰っていたのに、私のことを置いて帰るようになった。

Aが私のことを好いてくれて居ないのであれば、それ以外の中学校の人間はみんな私のこと知らないか、嫌いかのどっちかだ。実際、私はクラステ無視されていた。あるしがない公立の中学生にとって、学校とは全ての世界のことを指す。

私は勉強とインターネットだけに没頭した。学校にはスマホを持っていけないから、そのまま塾に寄って夜の22時まで勉強して、それ以外の家にいる時間はずっとTwitterをしていた。Twitterには、100人ちょっとの相互がいた。薄いけれど、その薄い関係が私の命綱だった。

#ヒプマイ好きさんで繋がりませんか

リアルの人間関係で満たされないヲタクたちはそんなタグで同じコンテンツのファン同士で繋がる人を探しあっていた。

ある女子大学生と繋がった。めちゃくちゃ仲良くなって、通話したり、実際に会ったりして、結局付き合っているような状態になった。

彼女ににじさんじの緑仙を勧められて、未だに私は緑仙のファンだ。

それから高校生になって、コロナ禍ではあったものの、中学に比べれば全く明るい青春を送った。続けていたドラムで音楽人のコミュニティに入り浸り、文化祭や卒業ライブでステージに立っている側の人間になった。

高校の3年間、彼女とはなあなあの関係性が続いた。私は彼女の思いに応えられないと思って、次第に関係が面倒臭くなってきた。最終的に、私がものすごく雑なやり方で関係性を切ってしまったのは今でも申し訳なかったと思う。

別れたあと、彼女は緑仙のファンを辞めた。私は今でも緑仙が好き。

そして今に至る。その間にも宝石の国、ゴールデンカムイ、ポケモン、進撃の巨人など幅広い創作の世界に没頭していた。私の人生は常に現実と平行した何かに没頭していた。思えば、アニメにハマる前から私は恐竜や海の生き物のヲタクだった。

現実では無い何かに没頭していないと、人生やってられんのだ。煩わしい人間関係や、山積した宿題、タスク、お金、将来のこと、ジェンダー格差、差別、貧困、戦争、etc。
現実を直視し続けているとくらくらしてくる。人が何かにハマるのは、グロテスクな現実からの逃避のためである。
社交的な人間は現実の問題もまた現実世界で、例えば友人と遊んだりして、やりのけてしまうのかもしれない。が、私のようなさして社交性がある訳でもない人間は極力完全なる現実からの逃避を希望し、さもなければ満足出来ない。

二次元とは、創作の世界とは、現実では成し得ないことを可能にしてしまう。「こうだったらいいのに」、つまり、「理想」が二次元の世界に再現されているのである。「理想」とは綺麗な言葉だ。しかしこうも言い替えることもできる、「欲望」と。

二次元美少女と言えば、スタイルが良くて、可愛くて、「僕」を消して否定しない。「僕」、それはアニメの主人公ないしはそれに同一化された現実世界の自分。二次元は「僕」の欲望のままにできている。二次元は「僕」の思いどおりで、従順。だから、しばしばTwitterで二次元美少女は性的搾取だと騒がれたりする。

ここに、二次元のパラドックスがある。二次元とは、現実問題から逃避するためのキャンバスであり、現実のグロテスクを覆い隠すものであるはずなのに、二次元世界は結局そのグロテスクな欲望由来しているのだから。

その意味において、真なる現実逃避は不可能である。「こうだったら」という現実由来の欲望がなければ、二次元もないのだから。

中学時代の孤独な自分にとって、二次元世界は孤独からの解放であった。ボカロの歌詞は私を肯定してくれるし、私はメカクシ団であり、武装探偵社員であった。

私は今までぼんやりとした疑問を抱えていた。「ヲタクが先か、いじめられっ子が先か。」

つまり、ヲタクだからいじめられるのか、いじめられるからヲタクになるのか。

これを大学の友人に話したら、後者だと言われた。二次元が現実逃避の場であるならば、現実から逃げ出したいもの、つまりいじめられっ子が二次元にハマるという訳だ。

二次元とは、現実逃避であり、いじめられっ子の居場所であった。

しかし、最近のアニメはどうだ。
思うに、「鬼滅の刃」の爆発的ヒット以降流行してきたアニメは少なくとも我々「いじめられっ子」のものだけではない。
スパイファミリー、推しの子、フリーレン、etc。それらは、いじめられっ子だけに閉じられた世界ではなく、いじめっ子もいじめられっ子も、みんなに開かれた二次元世界だ。

どういうわけだろう。ある時期、「鬼滅の刃」頃だとすれば2020年頃を境に、二次元は皆に向けて開かれてしまった。

あの閉じたじめっぽさはもはや感じられない。どこかキラキラして、フラットな世界になってしまった。何故だろう。やはりコロナか?
コロナを機にみなステイホームを強いられ、現実世界から強制的に隔絶されてしまったから?これにはもう少し時間をかけて熟考したいところだ。

しかしいずれにせよ、2020年代以降二次元は開かれた。いじめられっ子だけのじめっぽい世界ではなくなってしまった。ちょっと前まで、「ヲタク」は嘲笑の対象だったのに、最近はみんなで「推し」を商業的に消費する。

当時、2010年代後半の二次元世界が「いじめっ子」つまりは「陽キャ」に嘲笑されるたび、我々「ヲタク」、「陰キャ」はムキになって気持ち悪い口調で何かを必死に捲し立てていた。
しかし、実際に二次元が皆に受容されて、よりフランクな存在となった今、あの気持ち悪さの喪失にどこか郷愁を覚える。

あの頃のインターネットとサブカルチャーは帰ってこない。今、ここにあるのは開かれた二次元世界である。「ヲタク」であることが率直な消費社会への参加であるこの現在、二次元はこれからどこへ行くのか。





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