旅立ち

引越し前日になって、急に実家が恋しくなった。

実家という概念が、自分の中でおばあちゃんの家じゃなく、自分の両親の家のことを指すようになった。

今までは、家が学校から遠いことだけしか見えずに、それだけが苦しいと思っていた。

何事もそうだけれど、やはり大切なものは無くなりそうになって急に愛おしくなる。

今日の夜ご飯が、私が実家暮らしとして食べる最後の味で、明日の朝ごはんを実家で食べて、私はしばらく家族の味にありつけなくなる。

こういうときほど、特別なものは食べたくない。今日の夕飯は、いつものごはんが食べたい。

父から急にLINEで「ーーへ」という謎のpdfが送られてきたときは最初なんの事だか分からなくて少し驚いた。
それを開いて、私の成人と旅立ちを祝う手紙だとわかって目が潤んだ。

つくづく、私の父は不器用な人だと思う。

私が成人式の前撮りの最後に、(カメラマンのヤラセで)家族に「ありがとう」と言った時、母が泣いたいた。あの時の私の言葉が、まさか母の涙を誘うだなんて思いもしなかったが、確かに、20年を共にした家族の感謝の言葉の背負う背負う文脈を前に、私だって無表情でいられるわけが無い。

「家族のことが好きか?」と聞かれて、「はい好きです!」と即答できるほど、私は器用な人間では無い。しかし、否定形で応えたいわけでもない。

嫌いなときもあった。楽しい思い出もあった。私はきっと、長ったらしいことをくどくどと言う。そして、それでも「愛しています」って言って終わるんだ。

たぶん、他の家族もそうだろう。
父は口数少なく、母はゆっくりと、妹ははにかんで、そう答えるだろう。

先日4月16日に私は20歳になった。
20年間、色んなことがあった。
私たち4人家族は、必ずしも正解の道を歩んできた訳では無いし、今でも行先の見えない未整備のトンネルを手探りで辿っている。

私は明日、旅立つ。
それできっと直ぐに実家が恋しくなって戻ってきてしまうんだ。私はそんなに強くないから。

「いつでも戻ってきてね」
そう言ってくれる家族がいることの温かみ。
帰る場所があることの安寧。
私は恵まれている。世の中にはそうでない人たちもいる。

白い花のブーケを買った。
家に帰るまでの電車の中、大事に紙袋を抱えている。

今まであんなに独り立ちしたいと願っていたのに、いざ前日になって、私の足がすくむ。

今日だけは、いつまでも家族の温もりに甘えていたい。矛盾している。

憎き埼玉を出る。
私をひとりぼっちにした憎くて芋臭い埼玉。
来年の1月13日、私はスーパーアリーナに戻って、かつての同級生と再会を果たすだろう。
先週の日曜日に着た最高に可愛い振袖で。
今の私は、強い。

私は明日、家を出る。
トルコキキョウを身代わりに。



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