見出し画像

中小企業診断士と聖地~ドイツでの1年を振り返る

2023年5月、ドイツのフランクフルト空港に降り立ってから、早いものでもうすぐ丸1年を迎えようとしています。以前の投稿でも書いた通り、私にとってのドイツは、高校球児にとっての甲子園、ミュージシャンにとっての武道館、あるいは東京ドームに匹敵する聖地でした。
 

ただ、こうやって振り返ると、念願のドイツという目標に届いたからといって舞い上がる感じはほとんどなかった、というのが正直なところです。家族帯同ということもあって、そんな余裕が来る前も来てからも一切なかったというのが実情なのですが。。
 
限りある短い赴任期間ということを念頭に、私が常に心掛けてきたのは、「ドイツに降り立った瞬間からトップスピードで駆け抜ける」ということだけでした。「徐々に慣れていけばいいじゃないか」という思想は自分の中では最も大きなタブー。今思えばとても背伸びをしていたし、その猪突猛進を絵にかいたような自分に付き合わされる家族はとても大変だったと思います。
 
初日から見よう見まねでIKEAで店員に話しかけるもドイツ語はおろか英語すら聞き取れないみたいなダメエピソードは無数にありますし、
崖っぷちドイツ語体験記に書いたような超絶ハイレベルなドイツ語レッスンに飛び込んで、毎週火曜日と木曜日は絶望的憂鬱、帰り道はあまりに寒すぎて涙すらでない、なんていうときもありました。
仕事でも取引先との会食中に「君のここでのミッションはなんだ?」と突然聞かれて何も答えられず、ただでさえ味の薄いシュニッツェルが完全無味になった瞬間もありました。
 
総じて、大変だったことや苦労したことが多かったなと思う一年ではありましたが、冷静に振り返ると、自分の心の中に上司である自分がいて、あえて難しい課題や苦労に直面するように仕向けていたような気もします。

なぜそんなことをしていたのかというと、大きく理由が2つあります。
一つは、上述の通り、1秒も無駄にせずトップスピードで駆け抜けるという目標があったので、困難だとしても最短かつ最大幅の成長が期待できるのならば躊躇なく突き進まなければならなかった、ということ。英語にどうしても自信が持てないときはあえて飛び込み営業の電話をかけまくる、みたいなこともしていました(むしろ今もしてる)。

もう一つは、海外という土地柄、自分でセルフマネジメントせざるを得ない環境にあったこと。一言で説明することは難しいのですが、少人数の海外支店で個人裁量が大きくなったこと、年次も上がって新人時代のように箸の上げ下ろしまで指導されることはなくなりました。あとは、赴任と同時期に中小企業診断士として個人事業主としての活動が本格的にスタートした影響も大きいと思います。いずれにせよ、自分で自分を律する、PDCAを回す場面は日本にいた時よりも圧倒的に増えたと思います。自分の上司は自分であるという意識は図らずも強くなったということです。
 
 
今振り返ってみると、中小企業診断士としては、「海外で活躍できる診断士になる」という明確な目標があったのですが、本業に関しては、あまりカチッとした目標は定めていませんでした。①苦労や困難を糧に爆進する、②自分なりの営業スタイルを完成させる、そのためにもオフィスではなくとにかく外に出ようと思っていたくらい。次々と現れる目の前の課題を手当たり次第にもぐらたたきみたいに叩きまくっていたら1年間過ぎておりました。。
 
そんな日々の中で、最近になって、自分で考えて打った施策で事業や売上が成長・拡大していく様をみてみたい、という願望が湧き上がってきました。その具体例が(超古典的ではありますが)テレアポで新規顧客を開拓する、というものですが、これはまた別のnoteで書きたいと思います。

 
最後に、上記の内容とは逸れますが、4月の中旬にロックバンドthe GazettEのベーシストREITAさんが逝去したというニュースを知りました。私にとってこのバンドは実はかなり大きな存在で、大学時代にライブツアースタッフとしてお手伝いさせて頂いたことがあります。
当時、バンドは東京ドーム公演を千秋楽とするロングツアーを組んでいて、厳しいけれどプロフェッショナルに溢れた現場だったことをよく覚えています。千秋楽の東京ドーム公演にもスタッフとしてお手伝いに行き、ステージの荘厳さ、終演後ステージから見える景色にとても感動し、今度はお手伝いではなく自分の仕事でこういう感動を味わいたい、と思ったことが、のちに海外を目指すきっかけとなり、更にその先の中小企業診断士につながっていきました。一リスナーとしてはもちろん、人生をひっくり返すほど大きなきっかけをもらったバンドでもあるのです。今も昔も、何かを目指すときに“場所とそこまでのプロセス”にこだわるのは、このバンドの影響が大きいように思います。
そして、今は亡き妹も好きで、あーだこーだ語り合っていたことが、ついこの間のことに思い出されます。
メンバーからのコメントも発表されましたが、深い悲しみの最中でファンを第一に考えた迅速かつ的確なアクションは、会社、職業人として見習うべき点が多く、非常に感銘を受けました。REITAさんのご冥福をお祈りすると共に、バンドが再び動き出し、これまで以上に前進する日を願わずにはいられません。
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?