見出し画像

大阪のお医者さん

何年か前、原因不明のじんましんに悩まされたとき、知り合いから西天満の内科のお医者さんを教えてもらった。大阪らしい古いビルがごちゃごちゃある界隈の古いビルの一階。診察室の真ん前の、せまい待合室で椅子に座って待っていると、診察室からお医者さんと患者さんらしき楽しそうな笑い声がする。

まもなく、「ごめん桃虚さん、待たせてもーた!」と、藤岡弘みたいないい声のお医者さんに放送で呼び出された。近距離でめっちゃ声聞こえてるのにわざわざ放送。しかも大阪弁。私がじんましんの話をしたら、先生は自信満々でツムラの漢方薬を処方。看護師さんが漢方薬を試飲させてくれるときのコップが、実家にある中学のとき買ったみたいなダサいマグカップだった。

漢方薬を買いにとなりの薬局に行った。店に入って私が「あっ」と言うと、薬剤師さんがすぐに「忘れたん?」と返してきた。漫才師のツッコミぐらいの速さだった。なぜ私がお薬手帳を忘れたことがわかったのか。初対面なのに。

帰りは、行きとは違うルートで「なにわ橋」から帰ろうと思い、なにわ橋駅への行き方を聞くと、薬剤師さんが一緒に外まで出てきて身振り手振りで説明してくれた。

「そこ左にシュッと曲がって、いっこめにこめくらいに広い道出るから右まがって橋ピューわたったらグニャっとした道にでるから、グニャっとしてるここが中央公会堂でこっちに駅あるから」

***

花粉症で近所の目医者に行った時。
「気の毒やけど一生治らへんわ。目ぇがぱっちりしてはるからようけ花粉入るんやわ。正月明けぐらいから目薬さしといたらマシやわ」
と先生に言われた。大阪弁だった。

インフルエンザで近所の内科に行った時。
「インフルエンザは日にちぐすりのとこあるから、何日間かはゆっくり休まなあかんで」
と先生に言われた。大阪弁だった。

双子を妊娠した時。
スリムな私の腹回りは1メートルを超えた。
産科の先生が私のお腹を見て
「何なん?これ。山?」
と言った。大阪弁だった。

子を産んだ時。
女2000グラムと男2500グラムの双子だった。
二人とも元気でギャンギャン泣いてお乳を要求したが、私は一人ずつにしか、おっぱいをあげることができなかった。看護師さんが回ってきて、
「あんたら双子やねんから、待つのも仕事やで」
と赤ちゃんに言い聞かせて行った。大阪弁だった。

息子が野球でピッチャーをやり出して野球肘になった時、近所の整骨院に行った。
受付の椅子に毛布やらリュックやらがごちゃっと置いてあった。
女の先生が息子にピッチングのフォームをさせた。
そして「君はどこのチームのファンやねん」と息子に聞いた。
息子が「阪神」と答えた。
近くの椅子に座って脚にビリビリを当てていた患者のおっちゃんも、
あっちのベッドで腰をマッサージしてもらっていた患者のおっちゃんも、
おっちゃんの腰を揉んでいた若い男の先生も、
こっちで何かわからん治療を施されていたおばちゃんも、全員が
「ええ子や」
と言った。大阪弁だった。

私の首の動脈の血管が、二枚のうち一枚破けた時。
「血管てそないにぽんぽん破けるもんでもないけど、もし次にガーンてバットに殴られたような痛みがきたら救急車呼んでな。カーッとなるのが一番あかんで」
とお医者さんが言った。大阪弁だった。

***

大阪で生まれ育った人には当たり前なのかもしれないが、東京から来た私には、お医者さんが大阪弁を喋るというのが衝撃的だった。大阪弁で表現されると病気の症状もなんだか話のネタの一つに感じられて現実味がなくなった。

しかし大阪生活20年が経った今、「疲れた」より「あーしんど」が自然に出てくるほどに大阪に馴染んだ私は、たまに大阪弁ではないお医者さんに当たると逆にびっくりして現実味を失ってしまう。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?