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彼女「まや」が遺した遺言とその言葉に向けられた悪意

彼女「まや」は急変してから亡くなるまでの2日間のわずかに起きていられた時間に
「このまま死んでしまった場合に届けてもらう言葉」
として遺した言葉

親代わりと名乗る方はこの言葉について、
「本当にあいたいと思ってるなら葬儀に呼んでと遺してるはずだ」
とおっしゃっていました

入院中、あいたいと言って頑張ってきた事や彼女が口にしてきた言葉や想いに何も目を向けなかった事はともかくとしても、
翌日、翌々日に亡くなってしまうようなこんな状態の中で思ってもいない言葉をわざわざ文字にしてまで残せる余裕があるなんて考えられる事が自分には理解出来ませんでした

こうやって最後まで「まだがんばれる」と頑張っている中で「あいたい」ではなく「死んだら葬儀に来てね、呼んでね」なんて遺せ、じゃないと本当にあいたいと思ってたとは認めないなんて自分ならとてもじゃないけど言えません

ましてや、
入院中、急変する数日前に
「どんな形であっても退院したら会うんだ」
と親代わりと名乗る方に彼女は直接話していたそうです

それも含め、なぜ、
「大切な娘」とまで言った子の言葉を信じてあげなかったのか
「大切な娘」とまで言った子が最後まで願い続けた願いを無視したのか
これも自分には理解出来ません

死に際の苦しい中で弁護士を呼んで死後事務委任契約の内容を作り替えなかった彼女「まや」が悪いという事なのでしょうか?
そんな不可能に近い事をしないと彼女の想いや願いはその方には認めてもらえなかったのでしょうか?

一般的に言えば、
本当に彼女の事を娘のように大切に思っていたのであれば、直接話した事や最後に遺した言葉を口だけ呼ばわりして無視するのではなく、気持ちをくんであげるのが普通だと思う自分が間違っているのでしょうか?

紛れもなく彼女が生きていた最後の時間に遺した言葉、最後の意思表示なのですから

その相手であった自分は葬儀に呼ばれず排除され、最後まであいたいと言い続けた相手に会わせてもらえないまま彼女は送り出されました

その事自体は仕方が無い事なのでしょう

亡くなる前日まで数ヶ月間、毎日時間を共にしてきて、彼女が頼れる人がいないと独りで苦しんでいた日々や倒れて入院してからも支えてきた側面もある恋人に別れの機会すら与えない事に関してはともかくとしても、
彼女が「葬儀に呼んで」と遺さなかった以上、あいたいと遺した彼女の最後の言葉や願いを送り出した方々が叶えてあげようと思うかどうかはその方達の善意でしかないのですから

叶えてあげたい、この世に悔いを残さないようにして送り出してあげたいと彼女が少しでも笑って旅立てるようにと思う方が一人もいなかったというだけの話だと思います

ですが、
そうやって自ら葬儀に呼ばずに排除して別れの機会を与えなかった恋人に対して彼女が死に際に遺した「あいたい」という言葉をなぜ平気で送り付ける事が出来てしまうのでしょうか?

送れば、別れの機会すら与えられない苦しみの中でより苦しむ事が容易に想像出来ますよね?

彼女が死んでしまったら送ってほしいと遺した言葉を送る事は叶えてあげるのに、
あいたいと遺した願いは叶えない

彼女の願いを叶えてあげたかったというより、気に食わない相手をより苦しめてやろうという悪意ですらあるように自分には思えてしまいます…

本来、彼女が死の淵で必死に遺してくれた言葉は最後まで自分を想ってくれていたとわかる幸せな言葉であったはずです
彼女自身も本当にそう想って遺したのでしょうし、自分をより苦しめる為に遺した言葉ではなかったはずです 

彼女としても、そんな形で送られて大切な恋人を苦しめる事になるのは本望ではなかったでしょう

最後に、
自分が彼女の死後に接した親代わりと名乗る方は二人いました

彼女が亡くなった後、半年以上やり取りをさせてもらった方はその中でこのようにおっしゃっていました

会わせず送り出すという取り返しがつかない事をしてしまった後で何を言っても彼女の願いは叶いませんし、やり直して少しでも笑って旅立たせてあげる事も出来ませんが、
それでも、本当にそう思っているのなら彼女も少しはうかばれるのではないか?と思ったのも事実です

ただ、
結果的に事情はともかくとしても無言で一方的に関係を遮断されているので、それが本心であったかどうかはわからなくなりました

本当にこう思っていたのならそういうやり方になって何も思わない、感じないという事は無いのではないかな?と思ったりするのも事実なので

その後に関わったもう一人の親代わりと名乗る方はこちらの方が並べてきた言葉さえも否定していきましたからね…







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