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土着信仰がひらくアート|シアスター・ゲイツ展

六本木・森美術館では『シアスター・ゲイツ展:アフロ民藝』が開かれています。アフリカと民藝という近いようで遠い存在の共通項を探ってみれば、古い信仰に遡ります。多様性が問われる時代に、必ずしも権威付けされた創作ばかりがアートではないと思うのです。

 六本木・森美術館では、シアスター・ゲイツ(Theaster Gates)氏の大規模な個展が開かれている。おそらくアフリカにルーツを持つアーティストとしては初めてのこと。雑誌『美術手帖』がブラック・アートを特集してからちょうど1年が経って、ようやく日本でも彼/彼女らに光が当たり始めたようだ。その象徴として、日本に所縁の深いゲイツ氏が選ばれたことは自然な流れだろう。今回はテーマに「アフロ民藝」を掲げ、それぞれの草の根的な思想に共通項を探る。そして、交差させる。現れてくるのは当然に、権威とは無関係な市民による営みの美しさである。技術や技法を起源に持つアートは、いつからか上流階級の嗜みとなり、白人中心の世界観を維持してきた。これをいよいよ、私たちの手に取り戻す機会がやってきたのだ。

 手掛かりの一つとして、シアスター・ゲイツ氏は信仰に着目する。16世紀以降、西アフリカからヨーロッパを介して裸一貫でアメリカ大陸に連れてこられた奴隷たちは、祈りと言葉を頼りに独自の音楽文化を作り上げた。後のブルースである。これが1863年の奴隷解放宣言を契機に、黒人教会の音楽と混ざり合うことでゴスペルが生まれたとされている。以降、その中心にあったオルガン、特に1930年代からパイプオルガンの代替楽器として広まったハモンドオルガンB-3の響きは、アフリカン・アメリカンたちのアイデンティティの一つになったようだ。いわゆる西洋のアートが、聖書を読めない市民に向けた宗教画の発展と共にあったことと比べると、いかにも叩き上げの土着思想が頼もしい。

 会場内に設置されたB-3と7台のレスリースピーカーは《ヘブンリー・コード》(2022)と称され、「多様な実践の礎」と説かれている。当日はプリセットの音色にて上鍵盤の一つが固定され、Eのコードが鳴り響いていた。「姉」にも見立てられた複数のロータリーが生み出す揺らぎが、平均律に対する小さな抗いにも感じられる。これこそがアフリカン・アメリカンらしい態度であり、美しさであり、アートなのだろう。キリスト教を含む近代宗教伝来以前のアフリカは自然崇拝が当たり前だった。隣ではブラック・アートの先駆者でもある彫刻家リチャード・ハント(Richard Hunt)氏のブロンズ作品《天使》(1971)が柔らかな曲線を誇っている。ここでは必ずしもイエス・キリストに遠慮して、不器用に振る舞う必要もない。

 似た構図が日本にもあった。土着の神道に、大陸から入ってきた仏教を混ぜ合わせた独特な宗教観が、身近な自然を讃え、日用品にその姿を映してきたのが日本の民藝である。2004年に陶芸を深めるために来日したシアスター・ゲイツ氏は、常滑焼の歪みや焼きムラを味だと見做す文化に触れ、「不完全なものに美を見出す哲学が私の陶芸を変えていった」と雑誌『GQ JAPAN』(2024年5月号)のインタビューで語っている。「アメリカでは茶碗の口径も皿のサイズもきっちりと正確に、全く同じものを大量に作ることが大事」だったという。自然の中に見出される美を人工的な未熟さではなく、より高次なものとして愛でることによって、アートに多様性が生まれてくるのだろう。名も無き作り手の作品が「用の美」を超えた価値を纏うと思うと、時代性が伴ってくる。

 では、ここにアフリカの視点を取り入れるとどうなるのだろうか。《ドリス様式神殿のためのブラック・ベッセル》(2022-2023)として並べられた一連の器は、懐かしくも目新しい。東洋的な洗練を見せつつも、表面のオウトツや真っ赤な編み物に覆われた様子が荒々しいアフリカを思わせる。「魂の入れ物としての器」に死者の弔いという信仰の根底が通奏するようだ。それはそのまま祭りへと昇華する。貧乏徳利をフィーチャーし、日本酒バーをイメージした《みんなで酒を飲もう》(2024)というインスタレーションには、DJブースや、氷山型のミラーボール《ハウスバーグ》(2024)が置かれ、二つの文化の共通性を強調する。皆で酒を酌み交わし、歌って、踊る。いや、これは何もアフリカと日本に限った話でもないだろう。

 アートを通じてアフリカン・アメリカンのアイデンティティを主張し、世に多様性を訴えかけるシアスター・ゲイツ氏の活動は、遠く日本文化との共通項をヒントに、人類に普遍的な交流という解を得る。それは当たり前のようで、難しい。自らを守るために分断が生じる現状に、少なくともこれまでの権威を疑い、すべての文化が等しく価値を持つことを認める必要があると思うのだ。今回の個展ではゲイツ氏のスポーツや教育に対する眼差しも紹介されている。「アフロ民藝」は実験的な試みの一つに過ぎないと分かるのだ。

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