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ベトナム人の金銭感覚

『10,000,000ドン貸して欲しい、来月には返すから』

突然、知り合いからメッセージがきた。
実は私は以前にもこの方に間接的ではあるもののお金を貸しており、その時の理由は株式投資に失敗して必要になったとか。

まあそれも本当かどうかも分からないが、困っていた様子もありその時は貸すことにした。

結果としてその時のお金は間接的に別の人が私に返済をして完済した。つまり本人は何も返済していない。ちなみに本人は無職である。

お金は自分がやってきた仕事の対価であり、報酬であり、つまりは自分の価値である。一方で私は基本的にはお金は数字であり、金額大小問わずそれは信頼そのものだと思っているので、余程信頼できる人や収入のしっかりした人にしか貸すことはしない。高利で貸すようなことをしない限り、貸すメリットが全くない。

なので、わたしはハッキリと

『いま他人に貸す余裕がないから、貸せないよ、申し訳ない』

と断った。
貸さないときは他のケースでも同じ言い方をしている。

このイベントは全く気にもしていなかったが、半月ほどして思っても見なかったことが起きることになる。

断られた当人が「あいつ(わたし)は悪い人間である、近づかない方がいい」と周りに触れ回っているとのこと。

よく聞くと理由は、

「金を貸してくれなかった、困っている理由も聞かずに馬鹿にした」とのこと。
逆恨みも良いところで迷惑千万、近づきたくないのはこっちのセリフだよと思ったが、ここに日本人とベトナム人の金銭感覚の違いがある。

前述太字での考えはあくまで日本人(個人的)のスタンダードな考えだが、ベトナム人にとっては、お金を持っている人がない人に貸す、無利子、返済はいつでもいい、寧ろ返済はなくてもしょうがない。

ベトナム人が(体良く)いう「サポート」というものである。

ベトナム戦争後の貧しい時代を生き抜き依然発展途上にあるこの国は、急成長化の現在でもこういった所謂助け合いの精神が根付いている。
といえば聞こえはいいが、お金に関してはその文化を曲解して悪用しているとも言えるのでは?とも思う。

決して私は馬鹿にしたわけではないが、そう写ってしまったのだろう。
ただ私はこのお金に関する自分のポリシーは変えるつもりもないし、外国人である私を頼った時点で文化や考えの違いを認識していなかった向こうの落ち度でもある。

「金の切れ目は縁の切れ目」

なかなか貴重な経験をさせてもらったが、知人をひとり失う以上に得たものの方が大きいので結果的にはプラスかなと思っている。



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