異文化への理解(日本/韓国/ベトナム)

某日。韓国からの出張社と当地スタッフとの会食。
韓国人3名、ベトナム人3名、日本人である私1名の7名での食事となった。

今回の出張の目的はベトナムでの韓国マーケット調査。
当然我々ベトナムでも韓国企業を相手にすることがあるが、(勿論、全てではないが)韓国人の振る舞いはあまり評判がいいものではない。

ビジネスの場、レストラン、ゴルフ場などでのその振る舞いはベトナム人や日本人にとって理解し難いものであるのはある程度の共通認識だ。

BTSやブラックピンクといった政策的とも言えるK-POPの話題から兵役まで、ここで韓国のCEOが放った一言が記憶に残った。

『韓国人は常に要求にうるさく、更に声がやたらとデカい 。景気が良いときは彼らのビジネスには取引先は乗ってくるが、勢いがなくなると相手をする人はいなくなる。もっと厄介なのは基本的に韓国人の要求には具体的なロジックはない、常にNo logic and demandingだ』と笑った。

つまり相手がどう考えて対応してくれたら上手くいくか?などのロジックはなく、とにかくやってくれ、何が何でも早くやれ、猫も杓子もさっさとしろの一点張りということだ。

人によっては無くはないが、日本とは明らかに異なる文化だ。
しかし、一方でベトナムでは大小あるものの似たような文化は存在する。

ベトナム人はやたらめったらお節介で気に掛けてくれる場面もあるが、基本的には自分の利益を最優先にする為、自分がその利益を取りたい場合は簡単に相手を切り捨て、理解不能なロジックで"仕方ないことだから諦めて"で片付ける傾向にある。

他方、日本人はどうだろうか。
もちろん自分を優先するのは当たり前であるが、相手の利益を簡単に切り捨てられず、何とか相手にも利益を残そうとする。時には自分より相手のことを優先して考える。

この3つの中で孤立しているのは日本人だけであり、この中だけで言えば異質な存在と言える。

それは『相手からどう思われるか(嫌われたくない)』が根底にあり、それを基に考え行動している。しかし日本人も他者同様に、嫌われたくないという遠回りがあるものの、自分の利益を最大化しようとしているのは共通している。

個人差はあるにせよ、自身の立ち振る舞いや考え、英語の発音、文法、会議での発言、どれを取っても日本人なら『恥ずかしい』と感じて躊躇したことはあるだろう。

これが『相手からどう思われるか』を必要以上に気にしている証拠であり、これはグローバル化や個の良さを妨げている気がする。

日本人として、自分自身を省みる意味でも非常に有意義な会食となった。

ベトナム人が語る北部南部の男性女性の違いの話もあったが、それはまた別の記事で。

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