ベトナムの不思議(賄賂について)
ベトナム航空のCAが10kg余りのMDMAを持ち込み逮捕された。
逮捕者たちは預かっただけで品物が何かを知らなかったとのこと。
これが本当かどうかは別として、個人的には運び屋としての常習犯だろうと考える。
今回のケースに関係しているかどうかわからないが、ベトナムでは警察や役所、一部の職業において、額の大小はあるものの賄賂はごく身近な存在である。
ベトナム人たちに聞くと、『警察や役所で働く人たちは、給料が低いのに大変な仕事だから仕方がない』という風に好意的ではないものの、ある意味の同情のような形で受け止めている風潮がある。
国民にとっても賄賂を払うことで優先権を得られたり、必要なステップを跳び越すことができる、ある意味では社会的必要悪なのかもしれない。
家族が病気だったり貧しい家庭に育ったり、あるいは警察の特定のポジションに上り積めるために一定額の賄賂という名の“先行投資”を行い、その回収をせっせとしているなど、様々な背景がある。
急速に成長する国においては、こういった手落ちと言うべきか、成長痛のようなものが存在する。
つまり日本のような成熟した国で考えられる、周りの目や他人への配慮、迷惑というものは存在せず、まだまだ自分やその家族が生きることが最優先であり、何振り構っていられないのである。
ただこういった国における問題は、こういった賄賂を要求する側とされる側のポジションが一生変わらない構図であり、親ガチャスーパーレアを引くか、開発によって買い上げられた奇跡の土地成金でもなるような例外を除いては、銀河鉄道カードで資産100倍一発逆転、なんて存在しない。桁外れの金持ちは一生そのままで、その逆も然り。
社会的不公平は強く存在するものの、急速に発展する国ではそれさえも気にしない元気さと前向きな雰囲気があり、細かいこと(人・もの)は気にしないのである。
この国で働く以上、様々な事は受け入れる必要があり、自分が今までユートピア日本で育んできた性善説など何の役にも立たない。
何物にも変えられない価値というものは、日本で連日テレビで報道されている政府批判やどうでもいいで芸能ニュースよりも、やはり現場でありそこで繰り広げられるリアルなのだと感じる。
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