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犬の供養に鐘をついた男【多田修の落語寺・天王寺詣り】

落語は仏教の説法から始まりました。だから落語には、仏教に縁の深い話がいろいろあります。このコラムでは、そんな落語と仏教の関係を紹介していきます。今回の演題は「天王寺詣り」です。

 ある男が、お彼岸に四天王寺(通称は天王寺)で亡き人の供養をすると功徳があり「天王寺の鐘をつくと十万億土(無数の世界)に響く」と話します。それを聞いた男は「うちは近くなのに聞こえない」と返します。とにかく、聞いた男の飼っていた犬の供養、ついでに父親の供養もするために、2人で四天王寺へ出かけます。寺で鐘の音を聞くと、それが愛犬のうなり声に聞こえてきました。僧侶は、犬の供養と聞いて不審に思いながら、受け付けます。男が供養の鐘をついた時に思ったことは?

 四天王寺は聖徳太子が開いたお寺で、大阪市天王寺区にあります。特定の宗派はありませんが、現在は「和宗」を名のっています。ただし、四天王寺には浄土教の影響が見られます。まず、西大門は夕日が沈む方角を向いています。そのため、西方にある極楽浄土の入口とされており、「極楽門」と呼ばれます。境内にはさまざまなお堂があり、その1つに親鸞聖人を祀った「見真堂」があります。この名前は、親鸞聖人の大師号「見真大師」にちなんでいます。この他、境内に「極楽浄土の庭」があります。

 落語の中で、四天王寺に今すぐ行こうと誘った時に取り上げたのは、親鸞聖人の歌「明日ありと 思う心のあだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」です。しかもこの時、親鸞聖人を「ご開山」(開山とは開祖のこと)と呼んでいます。大阪で浄土真宗が身近であった様子がうかがえます。

『天王寺詣り』を楽しみたい人へ、おすすめの一枚
六代目笑福亭鶴師匠のCD「ビクター落語上方篇 六代目笑福亭松鶴 天王寺詣り/棟梁の遊び」(ビクター伝統文化振興財団)をご紹介します。2人の軽妙なやりとりの中に、信心のあり様がにじみ出ています。松鶴師匠の辞世の句は「煩悩を われも振り分け 西の旅」です。

多田修(ただ・おさむ)
1972年、東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒業、龍谷大学大学院博士課程仏教学専攻単位取得。現在、浄土真宗本願寺派真光寺副住職、東京仏教学院講師。大学時代に落語研究会に所属。

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。

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