ノクターンによせて 第3話|連載小説
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インターネットの検索欄に「深町実」と入力する。
『4歳からクラシックピアノを始め、11歳の時に東京ジュニアピアノコンクールで最優秀賞を受賞。高校卒業後、明文館音楽大学ピアノ科に入学』
「うそ! 明音だったの!?」
思わずパソコンのモニターに叫ぶ。明音と言えば、日本屈指の音楽大学で、ハッキリ言って私が卒業した音大とはレベルも知名度も違う。しかし、本当に驚いたのはこのあとだった。
『大学を中退し、ジャズピアニストの近藤宏隆氏のライブツアーやコンサートツアーに同行する』
――中退?
すぐに近藤宏隆を検索すると、「ストライド奏法を得意とするジャズピアニスト。ヴィンス・ウォーラーやトーマス・ガラルディ、ニューエイジミュージックのジョージ・アッカーマンなどの影響を受けている。主に海外でのライブ活動が中心」ということ以外に目立った情報はなく、どんな名ピアニストなのかと想像した私は拍子抜けした。なぜ、一流の音楽大学をやめてまで、無名に近いピアニストに弟子入りしたのか。そして、深町をジャズピアニストに育て上げた近藤宏隆は、一体どんな人物で、どんなピアニストなのか。これらの疑問を解く方法はたった1つ。明日、本人に聞くしかない。
――相当な腕前だと思うから。
不意に、深町から言われた言葉が甦った。彼をピアニストとは知らなかったとは言え、現役で活動しているピアニストにこう言われたことは、素直に嬉しい。ただ、私は彼の前で椅子に座り、ほんの数秒ピアノと対峙しただけで、1曲も弾いていない。実際に彼が私の演奏を聞いたら、一体どう思うのだろうか。上手いのか、下手なのか……ピアニスト向きなのか。
私はピアニストに憧れていた。ピアニストになるために、なれると思って音大に入った。今思えば、最初の方でつまづいた気がする。
大学1年の時、全日本クラシックピアノコンクールの、最もレベルが高いA部門に腕試しのつもりで出場したところ、1次予選通過という、誰もが予想しない展開になった。2次予選止まりで、本選出場こそならなかったものの、「出る部門、間違えてるよ」とバカにしていた連中は一転して応援派に変わり、「ウチの大学で、本選に進んだ学生は数人しかいない」と言う先生の言葉に奮起してしまった私は、大学生活のほとんどをコンクールのために費やした。
先生に「コンクールは曲選びで半分が決まる」と言われ、得意だったドビュッシーやラヴェルから、上位入賞者がほとんど弾いているスクリャービンを弾き始め、ワンレッスン90分で3万円もする先生に習うようになった。しかし、それから3回のコンクール出場で1次予選を通過することはなく、私がたった一度の「予選通過」という成功体験に縛られていたところ、「卒業後」という難しい問題に直面することになり、そんなことは一切考えていなかった私は、気が付けば音楽とは全く関係がない一般企業の事務員になっていた。ワンレッスン3万円、4年間で一体いくら注ぎ込んだのか、計算するのも嫌になる。何より、レッスン代を出してくれた親に申し訳ない。
それでも年に数回は同期のツテでホテルのラウンジピアニストやブライダルピアニストの仕事があったが、次第にそれもなくなり、あらゆる選択肢の中で、考えもしなかったピアノの先生になった。「ピアニスト」と「ピアノの先生」は、似ているようで異なる。「ピアニスト」の土俵際で踏みとどまって必死に自尊心を守り、「あわよくば」などと野心を燃やしている自分が情けなくて嫌いだった。深町の言葉は、そんな私にわずかな救いをもたらしてくれたような気がした。
突然、部屋がノックされた。
「トラブルみたいだから、会社行くわ」
夫がネクタイを締めながら顔を出す。
「夕飯はどうする?」
「遅くなりそうだからいい」
私が「分かった」と言うと、夫は部屋に入って来た。慌ててパソコンの画面をメールの画面に切り替える。
「なんか、疲れた顔してる」
「発表会の準備で、ちょっとね。でも、全然大丈夫」
無理やり笑顔を作ると、夫は「発表会の準備か。そうか、発表会か」と独り言のように繰り返した。パソコンに向き直ると、夫が後ろから私の肩に両手を置いた。服の上からでも分かるゴツゴツした手に、私は自分の左手をそっと重ねる。夫がいながら、一度しか会ったことのない男のことで頭を一杯にして、しかも、内緒で明日、その男に会いに行こうとしている自分は、妻として失格だと思った。
浩介との出会いは27歳の時。高校の同級生の友人の結婚披露宴だった。歓談中のピアノ演奏を頼まれ、二つ返事で引き受けたが、全く調律されていないガラクタのようなピアノを弾かされ、音大のピアノ科卒の私に対する嫌がらせかと、最悪な気分だった。参列者はみんなお酒を飲んでギャーギャー騒いでいて、弾いている私自身も音が聞こえないほど騒がしかったし、ピアノなんて聞いてる人がいなかったし、怒りを通り越して、もうあきらめの境地に達していた。
そんな時、演奏の合間に「リチャード・クレイダーマンの『Lady Di(レディー・ダイ)』、弾けますか?」と声をかけてきた人がいた。それが浩介だ。私は驚いた。この曲をみんな「レディー・ディー」と呼ぶ。しかし、正確には「レディー・ダイ」なのだ。リクエストされそうな曲は大体弾けるので、「もちろん」と言うと、浩介は隣に来た。
「ひどいピアノですね。せっかくの腕が台無しだ」
そう言いながらピアノを睨んだ。さすがに「そうですね」と言えないが、私は安堵した。私の気持ちを汲んでくれる人がいる。それで十分だった。
そのあと、アンドレ・ギャニオンや中村由利子などのリクエストを何曲かもらい、私の演奏中、浩介はずっと後ろで聞いていた。「もしかして、ピアノを弾かれるんですか?」と聞くと、浩介は自分の手を見て、「弾けたらいいと思っています。でも、私の手はピアノには不向きだと思うので」と自嘲気味に笑って言った。そのゴツゴツした手は、私みたいにピアノしか弾けない手ではなく、世の中の役に立つ、働く人間の手に見えた。
名前を聞くタイミングを逃したことを後悔していると、後日、友人から「披露宴でピアノ曲をリクエストした人、覚えてる?」と連絡があった。なんと浩介は友人の上司で、「美千代とじっくり話したいって言ってるんだけど、どう?」と言われ、「ええ、ぜひ」と返事をした。それから2人で会った時、不思議と全く緊張しなかった。7歳年上だと知った時も、全く驚かなかった。
浩介は自分で楽器は弾かないが、音楽は好きらしく、私から見ても相当詳しかった。クラシック、ジャズ、フュージョン、イージーリスニング、ワールドミュージック、最近はコンテンポラリーミュージックも聞き始めたと言う。浩介はとにかく聞き上手で、つい私も熱が入ってしまい、音大時代にコンクールに出たこと、ショパン国際ピアノコンクールで入賞した有名な先生に習っていたことなどを、身を乗り出す勢いで話すのを「うん。うん」と軽く微笑みながらずっと聞いてくれた。
食事をしたあと、店から駅まで歩いていると、交差点の信号待ちで浩介は突然両手を頭上に掲げ、指を広げた。
「ピアノかー! 俺も弾けたらな―」
「弾きましょうよ! それだけ音楽が好きなら、ピアノが弾けたらもっともっと楽しいですよ!」
少し間をおいて、浩介は言った。
「レッスン、してくれます?」
この時、私はすでに浩介との未来を想像していた。
もう、あの手でピアノを弾くことはないのだろうか。もっともっと弾いてほしい。でも、それを伝えることができない。もし、「弾く気がない」とハッキリ拒絶されたら、私は立ち直れないかもしれない。
お互いに無言の時間が流れていた時、夫の携帯電話が鳴った。
「ほら、早く行かないと。頑張ってね」
夫を追い払うように部屋から出す。とにかく、今は1人になりたかった。夫が会社に呼び出されたことは、申し訳ないと思いつつ、好都合だった。
ピアノ部屋に行き、本棚のどこかに眠っているショパンの楽譜を探す。ショパンを最後に弾いたのはいつか全く覚えていない。昔はよく弾いていたが、コンクールには不向きだと知ってから、弾くことはなくなった。
私が出場した全日本クラシックピアノコンクールの2次予選で、私が今まで聞いた中で完璧なショパンのバラード4番を弾いた人がいて、「この人は間違いなく本選に進めるな」と思ったが、本選出場者の中にその人の名前はなかった。自分の番号がないことよりも、その人の番号がないことに驚いていると、後ろで誰かが「ショパンのバラ4弾いた人、なかなか上手かったけど、あのくらいじゃ本選は無理だな」と言っていて愕然とした。2次予選の結果、私の順位は30人中15位で、その人は10位。本選進出ラインは上位8位までだった。この結果を見て、なぜ自分は「行ける」と思ってしまったのか、今さらながら勘違いもいいところだと笑いたくなる。
ノクターン全集の8番のページを開いて譜面台に置き、指慣らしで変ニ長調のスケールを4オクターブ弾く。
ずっと気になっていた。深町はあの時、なぜノクターンの8番を弾いていたんだろう。偶然なのか、それとも何か思い入れがあるのか。このノクターンの8番が、深町という男を構成する何かのような気がしてならなかった。
久しぶりに弾くノクターンの8番は、妙な心地よさと浮遊感があった。
――このまま漂っていたい。
そんなことを考える自分が、ひどく幼稚に思えた。
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