見出し画像

今の世の中は本当に個人を大切にできているのだろうか

T&Sです。
今回は私自身が非常に憤りを感じたことがあり投稿します。

突然ですが皆さんは自分を押し殺した経験ないでしょうか。
仕事のため、お金のため、人のために自分自身の気持ちや考えを封印したことないでしょうか。
社会に生きていれば誰しもが経験あるのではないでしょうか。
私にもたくさんあります。

学校、会社、友人関係などで存在する常識や雰囲気など個人を殺す環境が整いすぎています。
自分らしさよりも社会人らしさが評価されたり、自分の意見よりも組織にとっての最良の意見が優先されたり、個が殺されやすくとても生きづらい世界になっていると強烈に感じています。

評価されないと価値がない
認められないと価値がない
存在価値を証明できないと生きてる価値がない

こう言葉にする人はいいませんし、ここまで明確にこう思っている人はいいませんが、世の中に生きる大多数の人がこの感情を無意識に持っています。
でなければ頑張りが報われないなどと思う人はいないはずですし、もっと自分の仕事が評価されたいなどと思わないはずです。
もっと言えば仕事を頑張りすぎる人が世の中にいないはずです。

この厄介なのは自分自身では評価に病的になっていることに自分では気づけないことにあります。
精神が追い込まれて疲弊して初めて気付くのです。なんのために頑張っていたのだろうか。全然幸せじゃないなと。

正直、自分自身もこの感情と環境に支配されていました。
ですが、精神的に追い込まれてようやく気付きました。
評価を得ることとか、期待を裏切らないことに必死で毎日不安と焦りでいっぱいだったと。
例えばこれが自分が求めていることで、日々充実感があったならよかったのですが、ただ不安と焦り、精神的に追い込まれている感しかありませんでした。

そして、この突破口は1つしかありませんでした。
何も成し遂げなくても、周りよりも優れている証明ができなくても、結果を出せなくても、誰かに必要とされなくても、誰かや何かに貢献できなくても
自分を大切に思う気持ちを持つことでした。
今なら断言できます。
社会的に評価されたり、誰かにとって必要と思われること、誰かの思惑にお答えることと、自分の幸せは全く関係ない。
200%無関係だったと。

世の中の特に働く現場で生きるひとは気付くこともなくこの病に苦しまれています。
わたしは、この病を世の中から消滅させたい。
そして気付いて欲しい。
求められる自分を演じるのじゃなく、他からどう思われてもいいから自分を大切にするんだと心に刻んで欲しい。

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?