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何もかも分かんない

自分のことは自分で考える、ということを心がけてる。座右の銘、ってわけじゃないけど、生きるにあたっての指針というか、気にしていること? そんな感じ。

この言葉に関しては、多分自分で自覚した気がする。ふと、自分のことなんだから他人に任せずに自分で考えなきゃな、と、受験勉強してる時に思った。塾に行きたくないって気持ちもあったからだと思う。100%それが理由ではないけど。

でも、ふと、私は言葉だけでこれを言っていて、行動として出来ていないのではと思った。実際、行動としても出来ていると思ってた。周りの人は、親の言うことを真に受けて聞いているが、私は正確な情報を自分で手に入れてるから大丈夫だと思ってたんだけど、なんかそういうことでもない気がする。

ずっと本を読んでいるんだけど、私は、本を読むことを絶対視しすぎていたところがある。
本を読んでいたらいつか素晴らしい考えに出会うことができて、それが自分を突き動かしてくれるって思ってた。本を読むのは能動的な行為で、他人からあれをやれと言われてやるのとは違う、って、思ってたけど、それも結局、白馬の王子を待つ的な考え方なんだろうなあ。

白馬の王子というか、神の啓示というか、死んだ家族の幽霊というか、空から降ってくる女の子というか、多分、そんなものを求めてる。そんなものでないと、動けない。今の私は。
まさに、“劇的”に自分が変化したことを3年前に体験しているから、それと同じことがまた起こらないだろうかと待ちぼうけしてるんだな。また、ボーイミーツガール的なことがあって、私は使命感を与えられて、何かに突き動かされるように何かに取り組む。そんな理想を待ってるんだろうなあ。そんなドラマを。劇的な人生を。

1、2年待ったけど、来なかったなあ。王子も神も幽霊も。

自分のことは自分で考える、とか言いながら、私の考えって全部他人の受け売りなんじゃないか。趣味とか好きなこととか特に無いし、友達がいたら楽しいだろうなあとは思うけど、いないものは仕方がないな。いなくてもいいか、って最近思い始めてるけど。
無職転生、サブスク配信なので今日最新話見たけど、ノルンは適当に救わないで欲しいな。友達ができて学校も楽しくなりました、みたいな安易なことは、さすがにしないだろうけど、友達いなくても大丈夫だよって答えを求めてる。ミモザの告白の4巻でもそうだったな。操には安易な救いを求めてなかった。期待通りに終わって良かったけど。結局は、自分の一歩でベクトルを変えて欲しかった。読みながら思ってた。

そう思うと、私はずいぶん安易だなあ。安易なストーリーの人生かもしれないなあ。

家の近くにできたコンビニが、他のコンビニの2倍くらいの広さで嬉しかった。ささみ揚げと梅しそはベストで、中学の頃、学校の帰りに2人の友達とコンビニで鳥の揚げたやつ食べたのを思い出した。別に、友達いないわけじゃないけど、みんな、私からLINE送らないと話しかけてくれないしな。

どこか遠くに逃げたい気持ち。モラトリアムかな?
分からない、が最近の口癖。もう何もかも分かんないんだよ何もかも。

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