遠足の思い出

小学校の時の「遠足」の記憶というのが僕にはあまりない。いや、もちろんないわけではない。帰り道にクラスメイトの月島くんが道路脇の用水路に落っこちただとか、遠足に行った先でテンションが上がりすぎた荒川くんが何かをしでかして先生に引っぱたかれていただとか、「お弁当にトマトが入っている!!」と橋本さんがブチ切れていただとか、そういう脇の記憶はやたらと鮮明に覚えているのだが肝心の「どこに行って何をしたか」が全然思い出せないのだ。遠足の前日、遠足のしおりとにらめっこをして入念に持ち物をチェックしたにも関わらず持ってこなければいけないもののほぼすべてを忘れていって愕然としたことも覚えている。なんなら、今でも時おり夢に見るくらいの一種のトラウマとして僕の胸に深く刻みこまれている。しかし、その遠足の目的地もそこで何をしたかもまったく思い出せないのだ。
他の学校行事もそんな感じといえばそんな感じなのだが、遠足に関してはとりわけそれが顕著な気がする。「楽しかったなあ」という漠然とした感想は残っているものの「何が楽しかったの?」と問われれば「いや、まあその…とにかく楽しかったんだよ!」と逆ギレ気味に答えるほかない体たらくだ。
遠足にはそういう感じの、肝心な場所が欠落した記憶しかないので遠足そのものの何がどう楽しかったのかを書いていくことはできない。だが、遠足のことを思い出そうとするとすぐに浮かんでくる記憶はある。
それはお菓子を買いに行った時の記憶だ。
たしか「遠足に持っていくお菓子は300円まで」というルールだった。そのルールを親に告げて300円を奪取し、その300円を握りしめて駄菓子屋に駆け込み沈思熟考していたあの時間…。あの時間こそがもはや遠足のハイライトだったような気さえする。


お菓子選びには人間性があらわれる。
300円という制限の中でどのようなお菓子をチョイスするのか。当時、僕の家庭ではお小遣いは「学年✕100円を毎月支給する」という制度が施行されていた。小学校の最高学年たる六年生になっても月に600円である。そんな僕にとって300円を一度に使うというのは圧倒的なまでの非日常的な出来事であった。当然、その使途も慎重な吟味の上になされる。他の子もきっと同じようなものだっただろう。
谷川くんは洟を垂らしながら目についたお菓子を無造作に掴み会計をしにいった。彼はアホだったのだ。
森くんは駄菓子屋にメモ帳を持参、ブツブツ言いながら必死に計算をしつつお菓子を選んでいた。綿密な計算の結果を駄菓子屋のおばちゃんに持っていったものの300円をはるかにオーバーしていると告げられ肩を落として絶望していた。彼もアホだったのだ。
高橋くんは普段は手に取らないような300円未満200円代後半という高額な駄菓子を震える手で掴み、それをおばちゃんに渡していた。一点豪華主義である。これは大物の発想だ。
小泉くんは10円クラスのザ・駄菓子って感じのものばかりを大量に抱えていた。何事も数は力なのだ、という哲学だ。なんか小物っぽくもあるが、見方によっては得も言われぬ大物の香りが漂う。
さて、当の僕はというと小市民感溢れるバランスタイプの駄菓子選びをする駄ガキであった。すなわち、そこそこ高い(100円前後)のお菓子を主軸とし、その両脇に中堅クラス(50円くらい)を配置してからその周囲を10円〜30円の雑兵菓子たちで固める、という戦略である。それもいつも食べつけていて味を知っているものばかり、というメンバー構成だ。失敗こそないだろうが大きな飛躍も望めない、といういかにも官僚的な戦略である。

そうして迎えた遠足当日、自分としては完璧な布陣で望んだつもりだったが、いざお菓子を食べると段になるとどうにもこうにも他の子のお菓子が羨ましくて仕方がなくなってしまった。高橋くんは満麺の笑みで高級駄菓子をちびちび食べている。小泉くんは雑魚駄菓子を一心不乱にむさぼり食っている。
アホだと見下していた谷川くんや森くんのお菓子を見てさえ、その自分では絶対に選べそうもない大胆な構成の選抜メンバーに畏敬の念さえ抱いてしまっていた。自分の選んだ官僚的駄菓子たちのつまらなさと比べてあのアホたちの選んだ駄菓子たちの煌めくような面白さといったら…とにかく羨ましくてたまらなかった。
他の顔ぶれも見てみる。向こうでコソコソお菓子を食べている石井くん。その手もとを見れば、質量ともにどう見ても明確に300円を超えたお菓子たちを抱えている。僕はもちろんすぐさま先生にチクる。先生はすぐさま飛んでいって石井くんをぶん殴りお菓子を没収する。石井くんは泣き喚き、僕はほくそ笑む。昔からあいつのことは嫌いだったんだ。いい気味だざまあみろ。


駄菓子選び、ここには小学校で学ぶべきすべてが詰まっている。そんな気さえする。
あれを選べばこれは買えない。これを選べばあれは買えない。それなら買えるけど別に食べたくない。どれを選んだらいいのか…。正解は自分で作り上げるしかない。しかしそこに正解はない。
自分の欲望との駆け引きの上手下手は人生を左右すると言っていい。僕は下手なままで長じてしまったから良い歳こいてnote乞食なんかする羽目になっているのだ。
「ルール? 知らねえよバカが」と反社会的な行動に出てぶん殴られるやつだっている。もしバレなければルールは破っていいのかどうか。そんな問いを設定すればイヤでも「じゃあルールって何なの?」と考えざるを得ない。僕の目線に戻すと、そういう反社会的駄ガキを発見した時にどうするか。チクるかチクらないか。言い換えると、友情を取るか法律を取るかという倫理的問題を突きつけられる。僕は石井くんが嫌いだったから即座に密告した。それは正しいことなのかどうか。そんなことを考えさせられる。
あの「300円以内」というルールのもとでの駄菓子選びは、実はすごく深い教育なのだ。遠足そのものより記憶に残っている、というのは実は無理からぬ話なのだと思う。

小山さんという女の子がいた。やたら大柄な女の子だったという印象はあるが、その体格とは裏腹に大人しくてしょっちゅう周りの女子にイジメられて泣いていた。小学校の高学年から学校を休みがちになり、中学校は一学期のはじめに少し登校したきりでその後はほとんど不登校になった。
小山さんはいつもなんだか汚かったし臭かった。それもあってイジメの標的になったのだろう。
中学校を卒業した後に人づてに聞いた話だし本当かどうかも知らないが、彼女の家庭は貧窮していて生活保護を受給して生活していたそうだ。そして彼女自身も家事やご家族の介護を手伝ったり、そんな状況だったということだ。今では「ヤングケアラー」という言葉が認知されてきてはいるが、僕が小学生や中学生だった頃にはそんな言葉はなかった。言葉の有無以前に、そんな状況は僕の想像力の外にあったし知ろうともしていなかった。有りていに懺悔すれば、積極的に関わることこそなかったから中心メンバーではなかったとはいえ、僕だって大なり小なりイジメには加担していたのだ。
そんな小山さんが一度だけ、遠足に参加したことがある。そういう行事には彼女はいつも欠席していたのだ。
「お菓子は300円まで」、そんなルールがあった。小川さんには守れないルールだ。彼女の家は、お菓子に300円も出せない。
小川さんは遠足のお菓子を家で作って持ってきていた。小川さんの持参したタッパーに入っていたのは、パンの耳に砂糖をまぶして揚げただけの、素朴な「お菓子」だった。
今は知っている。あれ、けっこう美味しい。いつも欠席している小川さんがやっと参加できた遠足。何も考えず、いつも当然のこととして遠足に行っていた僕にはわからないが、小川さんはどれだけ遠足を楽しみにしていたことだろう。そんな遠足を少しでも楽しい思い出にしようと作ってきたお菓子だった。
でもその「お菓子」はみんなに馬鹿にされた。からかわれた。「お菓子」はぶち撒けられ、踏みつけられ、嗤われた。小川さんはからかわれながら、笑っていた。「やめてよー」だとか気弱に言いながら、笑っていた。思い出すたびに泣きたくなるあの笑顔は、今でも忘れることはできない。決して忘れてはいけない、そう思っている。



さて、駄菓子選びである。
ここには小学生で学ぶべきすべてが詰まっている。先程はそう書いた。小学校どころじゃない。もはや人間そのものを試す営みと言ってもいい。
これを大人がやったらどうなるのか。
けっこう前から考えてはいた。その考えてはいたことを口にしてみたら、じゃあやるべえさと言ってくれる人がいた。
だがもう私たちもいい大人である。しかも物価も上がった。300円ってこたぁあるめえよ、ってことで「お菓子は500円以内とする」というルールの下、お菓子を持ち寄る会をやろうということになりました。バナナはお菓子に含みます。
ということで来たる3月24日、会場は新宿区は富久町にあるcafebar三日月さん。時間は15時くらいから。「500円以内でお菓子を持ち寄る会」が開催されます。誰が一番センスがいいのか、誰がお菓子王なのか、はっきりさせましょう。僕はもちろん初代お菓子王になるつもりで勝ちに行きます。お菓子チョイスの腕に覚えのある方の参加をお待ちしております。



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